掘出ほりだ)” の例文
くはかついで遺跡ゐせきさぐりにあるき、貝塚かひづかどろだらけにつてり、その掘出ほりだしたる土器どき破片はへん背負せおひ、うしていへかへつて井戸端ゐどばたあらふ。
渡島國凾舘住吉町をしまのくにはこたてすみよしてう後志しりべし國余市川村、石狩いしかり空知監獄署用地ソラチかんごくしようようち日高ひだか捫別舊會所もんべつきうくわいじようら等よりは石鏃せきぞくを入れたるまま土器どき掘出ほりだせし事有り。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
それを石橋いしばしわたしとでしきり掘出ほりだしにかゝつた、すると群雄ぐんいう四方しはうよりおこつて、ひゞきの声におうずるがごとしです、これ硯友社けんいうしや創立さうりつ導火線だうくわせんつたので
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
伴「実は江戸へ仕入しいれに行った時に、あの海音如来の金無垢きんむくのお守を持って来て、此処こゝへ埋めて置いたのだから、掘出ほりだそうと思って来たんだ」
夜中に掘出ほりだし其の死骸の衣類いるゐ等をのこらず剥取はぎとり申候處此儀あらはれしに付早々逐電ちくでんいたし候と一々白状に及びければ即ち其おもむきを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
蒙古もうこ退治の注進状ちゅうしんじょうの中に、確か此人このひと連名れんみょうもあったかと思いますが……。いや、それは調べればすぐに判ります。何しろ、面白いものを掘出ほりだしましたよ。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼は自ら一軍を率いて、アメシス王の廟所びょうしょのあるサイスのまちに向った。サイスに着くと、彼は、故アメシス王の墓所を探出し、その屍を掘出ほりだして、おのれの前に持って来るよう、一同に命令した。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「まあ掘出ほりだものですね。八十ゑんひました」と主人しゆじんはすぐこたへた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ロレ まへのをはかほうむって、べつのを掘出ほりだせとはつひはぬ。
おほいに疲勞ひらうしてたので、引揚ひきあげやうかとかんがへてうち幻花子げんくわしは、口部こうぶだけけて、完全くわんぜんなる土瓶どびんを一掘出ほりだした。
衰破すゐは斷滅だんめつし其屋敷あとはたとなりてのこれり其中に少しのをかありて時々とき/″\ぜに又は其外そのほか種々いろ/\器物きぶつなど掘出ほりだす事ある由を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
上へ印の竹を立てゝ置けば、家捜しをされても大丈夫だ、そこで一旦身を隠して、半年か一年も立って、ほとぼりの冷めた時分けえって来て掘出ほりだせば大丈夫知れる気遣きづかいはねえ
山𤢖の棲家に金の兜を発見するとは、豚小屋から真珠を掘出ほりだしたようなもので、何人なんぴとも想像の及ばぬ所であろう。歴史の智識に富んでいる大学生は、早くもこれを鎌倉時代の物と見た。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
『あんなことつて、親分おやぶんトボケてるが、面白おもしろ土瓶どびんたやうなものだの、香爐かうろたやうなものだの、澤山たくさん掘出ほりだしてつてるだよ』とをしへてれた。
掘出ほりだされし由をたしかうけたまはりおよびたり扨々さて/\浦山敷うらやましき事なり何卒其古金の内を少々拙者せつしや配分はいぶん致し賜れと云ふに兵助ははつと思へど然有さあら風情ふぜいにて貴殿にはさることを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
發掘はつくつ結果けつくわ依然いぜんとして多量たりやう彌生式土器破片やよひしきどきはへんおよどう徳利形とくりがた上半部じやうはんぶを(水谷氏みづたにし、二望蜀生ばうしよくせい、三掘出ほりだした。
一寸ちよつとればぐに完全くわんぜんものくらゐかんがへて見物連けんぶつれんは、一かうなにないので、つりるよりもだつまらぬなど、そろ/\惡口わるくち掘出ほりだすのである。
今日けふ香爐形こうろがた以上いじやう珍品ちんぴん掘出ほりだしたいと力味りきみかへつてると、磨石斧ませきふ其燒土そのやけつちなかから掘出ほりだした。
ならんでつて望生ぼうせい膝頭ひざかしらどろうまつてるのを、狹衣子さごろもし完全くわんぜん土器どき間違まちがへて掘出ほりださうとすると、ピヨイと望生ぼうせい起上たちあがつたので、土器どき羽根はねえたかとおどろいたのも其頃そのごろ
人夫にんぷとして茶店ちやみせ息子むすこくわつたが、もなく石匙いしさじ掘出ほりだした。(第四圖ホ參照)
てども/\つてぬので、ハンマーをつて往還わうくわんをコツ/\穿うがち、打石斧だせきふうもれたのなど掘出ほりだしてたが、それでもない。仕方しかたいので此方こつち二人ふたりは、きへてらなかはいつた。
なにたかとひながらも、を四はうくばつてると、掘出ほりだしたかひは、一々いち/\ふるひふるつて、かひかひだけとして、やまごとんである。破片はへん其所此所そこここ散亂さんらんしてる。むね土器々々どき/\である。
最後さいごに、偶然ぐうぜんにも、それは鶴見驛つるみえきから線路せんろして、少許すこしつた畑中はたなかの、紺屋こうや横手よこて畑中はたなかから掘出ほりだしつゝあるのを見出みいだした。普通ふつう貝塚かひづかなどのるべき個所かしよではない、きはめて低地ていちだ。
其間そのうち正午ひるになつたので、一先ひとま座敷ざしき引揚ひきあげ、晝餐ちうさん饗應きやうおうけ、それからまた發掘はつくつかゝつたが、相變あひかはらず破片はへんくらゐやうやくそれでも鯨骨げいこつ一片ひとひらと、石槌いしづち打石斧だせきふ石皿いしざら破片はへんなど掘出ほりだした。
三十六ねんつて大成功だいせいかうをした。一ぐわつ十六にちには、土器どきしゆもつ緻密ちみつなる模樣もやうゑがいてあるのを、二箇ふたつまで掘出ほりだした。それから四十二ねん今日こんにちまでにくのごと珍品ちんぴんまたでずにる。
望蜀生ぼうしよくせい完全くわんぜんなる土器どきふた掘出ほりだしてたので、きふきたいり、三十六ねん十二ぐわつ十四に、幻花翁げんくわおう望蜀生ぼうしよくせい玄川子げんせんしとの四人連にんづれ品川しながはから汽車きしや鶴見つるみ、それから一里弱りじやく下末吉村しもすゑよしむらへとつた。