おもて)” の例文
まだ昨日きのうったあめみずが、ところどころのくぼみにたまっていました。そのみずおもてにも、ひかりうつくしくらしてかがやいていました。
幾年もたった後 (新字新仮名) / 小川未明(著)
車夫のかく答へし後はことば絶えて、車は驀直ましぐらに走れり、紳士は二重外套にじゆうがいとうそでひし掻合かきあはせて、かはうそ衿皮えりかはの内に耳より深くおもてうづめたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
私はちょっかいを出すように、おもてを払い、耳を払い、頭を払い、袖を払った。茶番の最明寺さいみょうじどののような形を、あらためてしずか歩行あるいた。
小春の狐 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
言いつつすっぽりとおもてを包んで、京弥を後ろに随えると、不敵にも懐手をやったまま、やいばの林目がけてすいすいと歩み近づきました。
信一郎が、茲まで話したとき、夫人のおもては、急に緊張した。さうした緊張を、現すまいとしてゐる夫人の努力が、アリ/\と分つた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
うちよりけておもていだすは見違みちがへねどもむかしのこらぬ芳之助よしのすけはゝ姿すがたなりひとならでたぬひとおもひもらずたゝずむかげにおどろかされてもの
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
ゴンクウルのげんを借りていへば、あたかも種紙たねがみおもての卵を産み落し行くが如く、筆にまかせて千差万様せんさばんようを描きしものにして
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
おもてこわくして言い切れば、勝太郎さすがは武士の子、あ、と答えて少しもためらうところなく、立つ川浪に身を躍らせて相果てた。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
誰というまでもなく、それは南条先生のいたずらに違いないと思うから、ばかばかしくなってその遊び人のおもてをじっとながめました。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
七三君は賢弟と南おもてえきして遊ばせ給ふ。掃守かもりかたはらに侍りて七四このみくらふ。文四がもて来し大魚まなを見て、人々大いにでさせ給ふ。
夕餉ゆうげ膳部ぜんぶもしりぞけて、庭のおもて漆黒しっこくの闇が満ちわたるまで、お蓮様はしょんぼり、縁の柱によりかかって考えこんでいたが——。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
戦場は天地を一宇の堂とした大きな修行の床ともいえる。月に白い謙信のおもてには、寸毫すんごうといえども、敗けたという色は見えなかった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「デシル法⁉ それを、どうしてまた貴方が……」と臆したようにおもてを曇らせたが、セレナ夫人は、そうした口の下から問い返した。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
主 そうだな、こう、まっすぐに、一本の点線を雪のおもてにすうっと描いたような具合に、林のへりなぞをよく縫い歩いているのだがね。
雪の上の足跡 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
困り果てて、ぼんやり沼のおもてを眺めていると、対岸に生えている大きな榎の枝から一匹の小さな青虫が、糸をひいて垂れ下がってきた。
桑の虫と小伜 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
南におもてをむけて瞳をあげると、東方に寄った空がまず透明な淡い白光を現わし、水色を帯び、ややしてあわい青緑色に澄み光って来る。
(新字新仮名) / 鷹野つぎ(著)
気落ちした様に「桐の花」の原稿を投げ棄てて小生と母と二人欷歔ききよしたのも——それから如何に逃れ難い悲哀のおもてに面接したとはいへ
わが敬愛する人々に (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
私は例の仮面めんの由来に就て種々いろいろ考えてみましたが、前にもいう通り、頼家所蔵の舞楽のおもてというの他には、取止めた鑑定も付きません。
われを君があだおぼし給ふなかれ、われは君のいづこにいますかをわきまへず、また見ず、また知らず、たゞこの涙にるゝおもてを君の方に向けたり。
頌歌 (旧字旧仮名) / ポール・クローデル(著)
それが舞い手……殊に仮面の舞台効果(おもてのこうした不可思議な且つ偉大な表現力がどこから生れて来るか……という事は後に述べる)
能とは何か (新字新仮名) / 夢野久作(著)
激情に駆られた一人の処女が、凄惨なおもてを振り仰ぎ、躍動する振袖と裾に燃え上げられて、其儘天井に焼け抜けるかと思うばかり。
菊枝は胸のふさがるおもいで読んだ、姑は聞き終ってからしばらくなにか考えているようすだったが、やがてしずかにめしいたおもてをあげ
日本婦道記:不断草 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
暮れ方の薄汚れた三味線堀のふちに立ってボンヤリ水のおもてを眺めていたとき、ポンとお艶ちゃんに肩を叩かれたこともあったっけ。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
『なんじ豚ども! そちたちは獣の相をそのおもてしるしておるが、しかしそちたちも来るがよい!』すると知者や賢者がいうことに
おとらは往返いきかえりには青柳の家へ寄って、姉か何ぞのように挙動ふるまっていたが、細君は心の侮蔑をおもてにも現わさず、物静かに待遇あしらっていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「先生、渡辺の老女おばさんがお待ちなされてです」と呼ばれる大和の声に、彼は沈思のおもてを揚げて「其れは誠に申訳がありませんでした」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
恩あるその人のむこうに今は立ち居る十兵衛に連れ添える身のおもてあわすこと辛く、女気の繊弱かよわくも胸をどきつかせながら、まあ親方様
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
聴水は可笑おかしさをこらえて、「あわただし何事ぞや。おもての色も常ならぬに……物にや追はれ給ひたる」ト、といかくれば。黒衣は初めて太息といき
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
選手がテープにぶつかると同時に、彼の腹部からしぶきの様なものが、サッとほとばしって、赤い液体がテープのおもてをツーッと走った。
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかしてこなたなる幸なく世に出でし者のおもてを汝にむけしめよ、彼等は我等と方向むきを等しうせるをもて汝未だ顏を見ず 七六—七八
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
岩壁に懸けられたおもて達は、眼を開いたり眼を閉じたり、口を開いたり口を閉じたり、がんの焔の揺れるに連れて、その表情を変えていた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
りしがかげさへ見ずなりし頃やう/\われに歸りつゝ慌忙あわてゝおくに走り入り今の次第を斯々かう/\と話すに妻も且あきれ且は驚く計りにて夫婦ふうふかたみおもて
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
『太閤様が朝鮮征伐のとき、敵味方戦死者位牌の代りとして島津ひょうごの守よしひろ公より建てられた』という石碑のおもてには
仏法僧鳥 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
湛然たんぜんとして音なき秋の水に臨むが如く、瑩朗えいろうたるおもてを過ぐる森羅しんらの影の、繽紛ひんぷんとして去るあとは、太古の色なきさかいをまのあたりに現わす。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
兄の方で苦労するのが、当り前だとは思うのですが、どうしても私には、兄や嫂に素知らぬ顔で、おもてを合せることができなかったのです。
仁王門 (新字新仮名) / 橘外男(著)
私がその句をじっと見つめていると、その句のおもてに一つのとびらが開かれて、その向こう側に一つの光景なり場面なりが展開される。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
博士は、熱心をおもてにあらわして、なおもさかんに指先でいじりまわしたが、一度蛇のように動いた後は、二度とそんなに動かなくなった。
火星兵団 (新字新仮名) / 海野十三(著)
六人の漁夫たちのおもてには、すさまじい緊張の色が圧しつけられ、ちょっとした身振りにも、なにか迫るような凄気が感じられた。
地底獣国 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
しかし当の摩利信乃法師は、不相変あいかわらず高慢のおもてをあげて、じっとこの金甲神きんこうじんの姿を眺めたまま、眉毛一つ動かそうとは致しません。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
丈「三千円返して、証文のおもてに利子を付けるという事はないが、此方こちらの身にあやまりがあるから、利子まで付けてったが、ほかに何があるえ」
白刃しらはえたような稲妻いなづま断間たえまなく雲間あいだひらめき、それにつれてどっとりしきる大粒おおつぶあめは、さながらつぶてのように人々ひとびとおもてちました。
今は秋陰あんとして、空に異形いぎょうの雲満ち、海はわが坐す岩の下まで満々とたたえて、そのすごきまでくろおもてを点破する一ぱんの影だに見えず。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
しかしやや久しく話しているうちに、保が津軽人だと聞いて、少しくおもてやわらげた。大江の母は津軽家の用人栂野求馬とがのもとめの妹であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大体 face というのはおもてなんでしょ、おもてが inter ——中——にあるんですからこれはピカソの女の顔みたいなものです。
そこで燕は得たりとできるだけしなやかな飛びぶりをしてその窓の前を二、三べんあちらこちらに飛びますと、画家はやにわにおもてをあげて
燕と王子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
池のほとりに植えた守護木の松に近い四方仏よほうぶつ手水鉢ちょうずばちに松葉が茶色になって溜まり、赤蜻蛉とんぼがすいすいと池のおもてをかすめて飛び交って居る。
(新字新仮名) / 富田常雄(著)
月のおもてに雨雲がもったりとかかった。章一の眼ははっきりめた。と、階子段はしごだんをあがって来る跫音あしおとがして、それが廊下のふすまの外に止まった。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
やがて、お日さまがキラキラと海のおもてを照らしました。人魚のお姫さまはようやく気がつきましたが、はげしい痛みをからだに感じました。
いつでも嬢様を尋ねるときはおもてに喜びの色輝やきて晴/\としてゐるが、その皮一重下にかくるゝ苦痛は如何ばかりぞと思ふと実に同情する子。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
目の前に湖水が濃い藍色あいいろたたえられている。そこにあったベンチに腰を掛けて、い心持ちになって、鏡のように平かな水のおもてを見渡した。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)