くま)” の例文
早速八五郎を出してやつて、心當りをくまなく搜させましたが、伊勢屋新兵衞は何處へ行つたか、日が暮れるまで到頭見付かりません。
さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深くあおく、日の光は透通すきとおった空気に射渡さしわたって、夕の影が濃くあたりをくまどるようになった。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ために、彼の形相は、たださえ恐ろしくなっているところへ、魔王のくまを描いたように、世にもあるまじき物凄さに見えるのだった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょっとしたつけひげ、目立たない目のくま、脣のどす黒い色、その顔からは宮城圭助を思い出させるものが、すっかり消えうせていた。
薔薇夫人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
菊村の店でも無論手分けをして、ゆうべから今朝けさまで心当りをくまなく詮索しているが、ちっとも手がかりがないと清次郎は云った。
半七捕物帳:02 石灯籠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
翌日二人は、八幡様はちまんさまの小さな森に出かけて、狸の巣をくまなく探し廻りました。しかしどこにもそれらしいのは見当りませんでした。
狸のお祭り (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
かげから、すらりとむかうへ、くまなき白銀しろがねに、ゆきのやうなはしが、瑠璃色るりいろながれうへを、あたかつき投掛なげかけたなが玉章たまづさ風情ふぜいかゝる。
月夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「それでは、変化のくまどりと、扮装の後見をしたのは誰であろう。その人達が、第一に嫌疑をうけねばならないのではあるまいか」
京鹿子娘道成寺 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
しかしぐっと胆力たんりょくをすえて、本堂の中へ入ってみた。そして中の様子をくまなく調しらべた。それから廊下ろうかつづきの庫裡くりの方へ入って行った。
鬼退治 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
中流より石級の方を望めば理髪所の燈火あかり赤く四囲あたりやみくまどり、そが前を少女おとめの群れゆきつ返りつして守唄もりうたふし合わするが聞こゆ。
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
清らかなひたい、ときどき黒いくまで縁取られる、ずるそうな率直な娘らしい眼、大きな口、そのくちびるは乳飲み子のようにふくれ上がって
「いくら探しても無駄さ。あのとおり、八ツの眼で、下界をくまなく探したが、見つからなかったのだから、もうあきらめた方がいいぜ」
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
げにやくまなく御稜威は光被する。鵬翼萬里、北をおほひ、大陸をつつみ、南へ更に南へびる。曠古未曾有の東亞共榮圈、ああ、盟主日本。
新頌 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
ただ、時々出会う光のくまがますます薄くなってゆくので、日光はもう往来にささず日暮れに間もないことが、わかるばかりだった。
たのみつる君は、此の国にては一一六由縁ゆゑある御方なりしが、人のさかしらにあひてしる所をも失ひ、今は此の野のくまわびしくて住ませ給ふ。
わたしは寝衣ねまきそでに手燭の火をかばいながら廊下のすみずみ座敷々々の押入まで残るくまなく見廻ったが雨の漏る様子はなかった。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そして縦繁たてしげの障子の桟の一とコマ毎に出来ているくまが、あたかも塵が溜まったように、永久に紙に沁み着いて動かないのかとあやしまれる。
陰翳礼讃 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しまいには私は燐寸マッチまでってくまなく調べて見たが、それでも花も線香も何にも上ってはいないのであった。しかもそればかりではない。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
一枚ぐらいはドコかにってありそうなもんだと、お堂の壁張かべばりを残るくまなく引剥ひきはがして見たが、とうとう一枚も発見されなかったそうだ。
あの古き大津絵がくまなく美しいのは、救いが果されているしるしではないか。美しい大津絵の凡ては、自然の力の恵みを受けているのである。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
薄月夜うすづきよである。はっきりとも見えぬ水のくまに、何やらざぶんという物音がする。獺が鮭でも取るのであろう、という句意らしい。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
一首は、豊腴ほうゆにして荘潔、いささかの渋滞なくその歌調をまっとうして、日本古語の優秀な特色がくまなくこの一首に出ているとおもわれるほどである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
大江山課長は真先まっさきに向うの汽艇へ飛び移った。つづいて部下もバラバラと飛び乗った。狭い汽艇だから、艇内は直ぐにのこくまなく探された。
地中魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
小笠原はその持前の物静かな足取りで黄昏たそがれひたり乍ら歩いていたが、やがて、伊豆の心に起った全ての心理をくまなく想像することが出来た。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
私にはあのひとの白魚しらうおのようにかぼそい美しい手がのあたりに見えるようだ。あのひとの月のように澄みきった心がくまなく読めるようだ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
然し、月はもうその光りを見せるくまがないほど、そらは一面にかき曇つて、風がおほひらの雪をぽたり/\と二人の顏に投げ打つのである。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命おしくもね。遠い昔の日のみ子さまのおしの、いいと、みを作る御料の水を、大和国中残るくまなく捜しもとめました。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
それから五にん手分てわけをして、窟内くつないくまなく調査てうさしてると、遺骨ゐこつ遺物ゐぶつ續々ぞく/″\として發見はつけんされる。それをあやまつてみさうにる。大騷おほさはぎだ。
仏陀(宇宙大生命の人格化、覚者の義)の手は行き亘らぬくまもなく、どんな狭い隙からも霧のように漉き入り、身をも心をも柔かく包みます。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
田山白雲は、茂太郎には無言で、ランタンをそこらあたりに振り照らして、狼藉の行われたらしいマストの下あたりをくまなく照らして見たが
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ところへ主人の寛治氏が帰って来たので、鎌子夫人及び運転手のおらぬ事を告げ、邸内をくまなく探したがとんとわからぬ。
芳川鎌子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
これは家相が悪いようだと言って、家中くまなく見て廻り、どこにこんな物がある、どこに入口があり、家族は何人と悉皆探偵が出来て仕舞った。
くまなく晴れ上つた紺青こんじやうの冬の空の下に、雪にぬれた家々のいらかから陽炎かげろふのやうに水蒸気がゆらゆらと長閑のどかに立ち上つてゐた。
このとき空は雲晴れて、十日ばかりの月の影、くまなくえて清らかなれば、野も林も一面ひとつらに、白昼まひるの如く見え渡りて、得も言はれざる眺望ながめなるに。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
しかるにてんのぼったひめは、大空中おほぞらぢゅうのこくまもなうらさうによって、とりどもがひるかとおもうて、さぞ啼立なきたつることであらう。
立てめられた湯気は、ゆかから天井をくまなくうずめて、隙間すきまさえあれば、節穴ふしあなの細きをいとわずでんとする景色けしきである。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この船中であなたの同室の人を知っているのはあの給仕だけなので、彼はくまなく船中を捜しましたが、どうしてもその行くえが分からないのです。
あいちやんは爪先つまさき立上たちあがり、きのこふちのこくまなくうちはしなくもそのたゞちにおほきなあを芋蟲いもむし出合であひました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
斯うなっては幸三郎も母に明さん訳には参りませんから、母にも明し、是から番頭を呼んで来まして、くまなく取調べた上、訴書うったえしょしたゝめさせました。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
重苦しい、くまのできた眼と、謎のように微笑する唇とをもって、裸形で、美しく。そしていかなる祈りも、それを追いやることはできないのだった。
神の剣 (新字新仮名) / パウル・トーマス・マン(著)
所謂いわゆる女らしさへの又ひとつのくまとして、しなとして、知性というような言葉も今日の会話の飾りとしてさしはさまれ
知性の開眼 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
しかし、お訊ねにかかわる羅針盤の文身いれずみは、くまなく捜したのでしたが、ついに発見することなく終ってしまいました。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
やがて此浅き谷は低き山のくまに尽きて、其処そこに大なる無花果、ポプラル、葡萄、石榴ざくろなど一族いちぞくの緑眼もさむるばかり鮮かなる小村あり。ドタンと云ふ。
「雞」の行方に関してはその後私は知らなかったが、地主の一党は私に依ってそれの緒口をつかもうとして私の在所ありかくまなく諸方にもとめているそうだ。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
目の四方に青いくましたり、一方のに黒い頬黒ほくろこしらへたりする女であつた。おれは又この女どもを人の情婦いろをんなになつて囲はれて居るのかとも思つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
林の中は日の光りが到らぬくまもなく、うれしそうに騒ぐ木の葉を漏れて、はなやかに晴れた蒼空がまるで火花でも散らしたように、鮮かに見わたされた。
あいびき (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、まず邸内をくまなく掃除し、見苦しい物はことごとく焼きすてた。それから老若ろうにゃく打ち寄って酒宴をした。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
くまなく心の中を天眼鏡で見透されたような気がした。何てよく分ってくれる人なんだろう、私の心の中のことが。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
次の日、下男をつれてそのあたりをくまなくさがしたけれども、其処には何ものもなかつた。それは彼には、奇怪に思へる自然現象の最初の現はれであつた。
彼はこの西欧派的な開かれたをもって、ロシアの現実の蒙昧もうまい暗愚あんぐと暴圧とを、残るくまなく見きわめ見通し
「はつ恋」解説 (新字新仮名) / 神西清(著)