かお)” の例文
「いいかおりがする。あれは、すずらんのはなにおいだよ。」と、おとうさんはほどちかくに、しろいているはなつけておしえられました。
さまざまな生い立ち (新字新仮名) / 小川未明(著)
彼女の中でしばらく過して来たのではあったが、その神秘な滞在からは、故人のごくかすかなかおりをようやく得てきてるのみだった。
花下かかにある五萼片がくへん宿存しゅくそんして花後かごに残り、八へんないし多片の花弁かべんははじめうちかかえ込み、まもなく開き、かおりを放って花後に散落さんらくする。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
金砂のように陽の踊る庭に、こけをかぶった石燈籠いしどうろうが明るい影を投げて、今まで手入れをしていた鉢植えのきく澄明ちょうみょうな大気にかおっている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
雛鶏ひなどり家鴨あひると羊肉の団子だんごとをしたぐし三本がしきりにかやされていて、のどかに燃ゆる火鉢ひばちからは、あぶり肉のうまそうなかお
糸くず (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
ヘリオトロープらしいかおりがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織あわせばおり背中せなかからしみ込んだような気がした。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
空からは、静かな冷気が下りてきて、野菜ばたけからは、茴香ういきょうかおりが漂ってきた。わたしは、何本かの並木道なみきみちをすっかり歩いてしまった。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
この実を塩漬けにするとかおりのよい箸休めになる、と云っていたが、妻の生きているうちには一つか二つしかならなかった。
改訂御定法 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
これはきっとこの雑草の中に何か特別なかおりを発するものがあって、それが彼の記憶を刺戟しげきするのかも知れないぞと思った。
恢復期 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
そして黙ったまま葉子の髪や着物からべんのようにこぼれ落ちるなまめかしいかおりを夢心地ごこちでかいでいるようだったが、やがて物たるげに
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
因縁ぶかい徳川家の匂いが、この増上寺には、いたるところにかおっている。彼はその中に坐って何か心がなごむのであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
野に立てば温度や花の香などで野の心持ちもわかり、ひとりで湖に舟をいでは、かおりや風のあたりぐあいなどで、舟の方角を定めました。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
白いものが、夫の手から飛んで来て、あたしの鼻孔びこうふさいだ。——きついかおりだ。と、そのまま、あたしは気が遠くなった。
俘囚 (新字新仮名) / 海野十三(著)
Kはほとんど呆然ぼうぜんとして女の顔を見上げていたが、女がこうまで身近に来ると、胡椒こしょうのような、苦い、刺激的なかおりが女から発散するのだった。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
新しい青い部屋へやの畳は、うぐいすでもなき出すかと思われるような温暖あたたかい空気にかおって、夜遊び一つしたことのない半蔵の心を逆上のぼせるばかりにした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
畑では麦が日に/\照って、周囲あたりくらい緑にきそう。春蝉はるぜみく。剖葦よしきりが鳴く。かわずが鳴く。青い風が吹く。夕方は月見草つきみそうが庭一ぱいに咲いてかおる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
おまえはみずからを売り、妻を売り、子供を売らねばならない。だが、長く苦しむことはない! かおり高い広い葉かげに、死の女神めがみがすわっている。
そんなとおくにいたんじゃ、本当ほんとうかおりはわからねえから、もっと薬罐やかんそばって、はなあなをおッぴろげていでねえ
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
今日は二百十日なのだ。そうと気がつくと、なんとなくあらしをふくんだ風が、じゃけんにほおをなぐり、しおっぽいかおりをぞんぶんにただよわせている。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
めし屋ののれんの中からは、味噌汁みそしるやごはんかおりがうえきった清造の鼻先はなさきに、しみつくようににおってきました。
清造と沼 (新字新仮名) / 宮島資夫(著)
鹿の背をかりて、しばらくたどってくると、小文治こぶんじ馥郁ふくいくたるかおりに、仙境せんきょうへでもきたような心地がした。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中からはぷんといいかおりがたって、羽衣はごろもはそっくりもとのままで、きれいにたたんでれてありました。
白い鳥 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
一つ一つの短い物語の底に流れる、絵を絶した浪漫的ローマンてきかおりも高い詩情こそその生命なのである。
絵のない絵本:02 解説 (新字新仮名) / 矢崎源九郎(著)
かおりのする花の咲き軟らかな草のしげって居る広野ひろの愉快たのしげに遊行ゆぎょうしたところ、水は大分に夏の初めゆえれたれどなお清らかに流れて岸を洗うて居る大きな川に出で逢うた
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
よい匂いがする。ほんとうにいいかおりだな、というのはことごとく「鼻」に属するものです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
まだ三月二十日になったばかりですが、少年の住んでいる村は、南部なんぶスコーネのずっと南の、西ヴェンメンヘーイにありました。そこにはもう春のかおりがみちみちていたのです。
そして、開いてあるまどからも、何ともいえぬいいかおりが、におってきていました。
そしてしだいに、その修道院のような沈黙と、その花のようなかおりと、その庭のような平和と、その婦人らのような単純さと、その子供らのような喜悦とで、彼の心は作らるるに至った。
ぷーんと新しい木のかおりがする丸や四角の材木を、丈夫じょうぶ荷馬車にばしゃに積み上げ、首のまわりに鈴をつけた黒馬にひかして、しゃんしゃんぱっかぱっか……と、朝早くから五里の街道かいどうを出かけて
天下一の馬 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
結構の奇、事状の異、談話の妙、所謂三拍子揃い、柳のえだに桜の花をかせ、梅のかおりをたせ、ごうも間然する所なきものにて、さきに世に行われし牡丹灯籠、多助一代記等にまさる事万々なり。
松の操美人の生埋:01 序 (新字新仮名) / 宇田川文海(著)
仄暗い廊下のようなところに突然、目がくらむような隙間があった。その隙間から薄荷はっかかおりのような微風が吹いてわたしの頬にあたった。見ると、向うには真青な空と赤い煉瓦れんがへいがあった。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
日向にキリスト教を植えつけそのかおりがローマにまで達するということ、この新しい国をキリシタンやポルトガル人の法律によって治めるということ、それが彼には今にも出来そうに思えていた。
鎖国:日本の悲劇 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
ひとつでも堪えられないくらい芳烈ほうれつかおりを放っていました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
なんともいえない、なつかしいいいかおりがよる空気くうきにしみわたっているのにつけて、小太郎こたろうはほんとうのおかあさんをおもしました。
けしの圃 (新字新仮名) / 小川未明(著)
幸福というものは、魂のかおりであり、歌う心の諧調かいちょうである。そして魂の音楽のうちのもっとも美しいものは、温情にほかならない。
老人は首肯うなずきながら、朱泥しゅでい急須きゅうすから、緑を含む琥珀色こはくいろ玉液ぎょくえきを、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清いかおりがかすかに鼻をおそう気分がした。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そうしてその小さな茂みがマイ・ミクスチュアらしいかおりをただよわせているのに気がついたのもそれとほとんど同時だった。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
氷と雲とにおおわれたはだかの岩山が谷をとりまいていました。ヤナギとコケモモがきそろい、よいかおりのするセンオウはあまにおいをひろげていました。
ばらりといたお七のおびには、夜毎よごときこめた伽羅きゃらかおりがかなしくこもって、しずかに部屋へやなかながれそめた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
血管のなかにはまだ夜来の酒気もそのままかおっているかのような夢中と現身うつしみの境に、彼の脳裡のうりには、南方の島々や高麗こうらいの沿海や、ゆくてに大明国だいみんこくをさしている大船列や
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんなさびしい杉森の中の家にも、時々紅葉館のほうから音曲の音がくぐもるように聞こえて来たり、苔香園たいこうえんから薔薇ばらかおりが風の具合でほんのりとにおって来たりした。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その時虚空こくうはるかに微妙みみょうなる音楽がきこえ始めた。聖衆の群れはそれに合わせて仏様をめる歌をうたわれた。すると天から花が降って来て、あたりはきよかおりに満ちた。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
海岸を歩けば、帆立貝ほたてがいからが山の如く積んである。浅虫で食ったものゝ中で、帆立貝の柱の天麩羅てんぷらはうまいものであった。海浜随処に玫瑰まいかいの花が紫に咲き乱れて汐風にかおる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そして皇子おうじのおからだからは、それはそれは不思議ふしぎなかんばしいかおりがぷんぷんちました。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
忍冬すいかずらや昼顔の酔うようなかおりが、快い美妙な毒のように四方から発散していた。枝葉の下に眠りに来る啄木鳥きつつき鶺鴒せきれいの最後の声が聞こえていた。小鳥と樹木とのきよい親交がそこに感じられた。
ニールスは、この島がとくに羊のためにつくられているような気がしました。というのは、この山には、スカンポや、羊のすきなかおりのいい小さい草のほかは、ほとんど何もえていないのです。
「わたし、あの、あおはなかおりをかいで、おねえさんをおもしたの、のすらりとした、頭髪かみのすこしちぢれたかたでなくって?」
青い花の香り (新字新仮名) / 小川未明(著)
獣のようにほてった熱い大地の巨大なかおりが、花や果実や愛欲の肉体などのにおいが、熱狂と愉悦と痙攣けいれんの中に立ちのぼった。
あるときは罪々と叫び、あるときは王妃——ギニヴィア——シャロットという。隠士が心を込むる草のかおりも、煮えたるかしらには一点の涼気を吹かず。……
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私の小さいブランコのつるしてあった、その無花果の木の或る枝の変にくねった枝ぶりだとか、あるときの庭土のかおりだとか、或いはまた金屑かなくずのにおいだとか
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)