ここ)” の例文
ここによきはかりごとこそあれ、頃日このころ金眸きんぼう大王が御内みうちつかへて、新参なれどもまめだちて働けば、大王の寵愛おおぼえ浅からぬ、彼の黒衣こくえこそよかんめれ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
八つが岳山脈の南の裾に住む山梨の農夫ばかりは、冬季のまぐさに乏しいので、遠くここまで馬を引いて来て、草を刈集めておりました……
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ここで長幼の序が定まり、家長主婦の権威が確立するのみならず、火神の祭りも占問うらどいも、みなこの炉縁ろぶちの木の上で行われたのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
すなわれが暗謨尼亜アンモニアである。至極しごく旨く取れることは取れるが、ここに難渋はその臭気だ。臭いにも臭くないにも何ともいようがない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
其道そのみちに志すこと深きにつけておのがわざの足らざるを恨み、ここ日本美術国に生れながら今の世に飛騨ひだ工匠たくみなしとわせん事残念なり
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ここに至りては予は実にうれしくして、一種言うべからざるの感にうたれて、知らず識らず震慄しんりつして且つ一身は萎靡なえるが如きを覚えたり。
関牧塲創業記事 (新字新仮名) / 関寛(著)
物とは統一せられる者である(ここに客観というのは我々の意識より独立せる実在という意義ではなく、単に意識対象の意義である)
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
(評釈) ここに説いてある所は、正に幽明交通に関する、最も親切にして、要領を掴める虎の巻と称しても、決して過言でないと思う。
これで漸く合点が行ったが、それよりもここ一寸ちょっと吹聴ふいちょうして置かなきゃならん事がある。私は是より先春色梅暦しゅんしょくうめごよみという書物を読んだ。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
厳粛なる支那日本の古典よりその意匠を借来かりきたりてこれをきわめて卑俗なるものに応用する時はここおのずか滑稽こっけい機智の妙を感ぜしむべし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
かく何か不吉なことがあると、必らずこの音を聞いたと、この自伝の中に書いてあるが、これがここ所謂いわゆる『不吉な音』の大略たいりゃくであるのだ。
不吉の音と学士会院の鐘 (新字新仮名) / 岩村透(著)
うでもうございます、私はふら/\してたまらない、殺されてもいから少時しばらくここで横になりたい、構はないかね、御免なさいよ。」
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
村民をあつめて文珠菩薩の祭礼さいれいおこなひ、あはせて此一行をも招待せうたいすべし、而して漸次道路を開通がいつうここたつし、世人をして参詣さんけいするを得せしめんと
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
停車場から此処まで物の十分とはっていない。東路あずまじここも名高き沼津の里も是でもう見物が済んでしまったのかと僕は全く拍子抜けがした。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
もうひとここ景色けしきなかとくわたくしいたものは、むかって右手みぎてやま中腹ちゅうふくに、青葉おおばがくれにちらちらえるひとつの丹塗にぬりのおみやでございました。
が、ここにはこの中の一、二節を引いて記述する間緩まだるこい真似まねをするよりは手取早てっとりばやく渠らの生活の十分現れてる松岡緑芽まつおかりょくがの挿画を示すが早手廻はやてまわしである。
「元日や」というのは、唯「元日」といったばかりでもよいが、「や」という字をここに置くため「元日」という感じを深く人の頭に起さすようになる。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
幹をすかして空の見える反対の方角を見ると——西か東か無論わからぬ——ここばかりは木が重なりおう一畝ひとせ程は際立きわだつ薄暗さを地に印する中に池がある。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ここは木曾第一の難処と聞えたる鳥井峠の麓で名物蕨餅わらびもちを売っておる処である。余はそこの大きな茶店に休んだ。
くだもの (新字新仮名) / 正岡子規(著)
辛未かのとひつじ、皇太子、使をまたして飢者を視しむ。使者かへり来て曰く、飢者既にまかりぬ。ここに皇太子おほいこれを悲しみ、則ちりて以て当処そのところほふりをさめしむ。つかつきかたむ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
私は別に義憤を感じてここに立ち上つた英雄ナポレオンでは決して無く、私の所論が受け容れられる容れられないに拘泥なく、一人白熱して熱狂しやうとする——つまり之が
FARCE に就て (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
此女房目をさまし、きものつぶれた顔して、あたりへ我をつきのけ、起きかへつて、コレ気ちがひ、ここを内ぢやと思ひやるか、けぬ先ににや/\と云ふに
案頭の書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
然し、幸村は「ここを辛抱せよ。片足も引かば全く滅ぶべし」と、先鋒に馳来って下知した。一同、その辺りの松原を楯として、平伏ひれふしたまま、退く者はなかった。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
すべて一人の主張は、賛成を得れば前進を促し、反対を得れば奮闘を促す、ところがここ生人せいじんうちに叫んで生人の反響なく、賛成もなければ反対もないときまってみれば
「吶喊」原序 (新字新仮名) / 魯迅(著)
狂言の小歌にも「ここ通る熊野道者の、手に持つたも梛の葉、笠にさいたも梛の葉、これは何方いずかたのおひじり様ぞ、笠の内がおくゆかし、大津坂本のお聖様、おゝ勧進聖ぢや」
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
ここにピラト、イエスをとりて鞭つ。兵卒ども茨にて冠冕かんむりをあみ、そのかうべにかむらせ、紫色の上衣をきせ御許に進みて言ふ『ユダヤ人の王やすかれ』而して手掌にて打てり。
鬼神 (新字旧仮名) / 北条民雄(著)
唯迷惑の外なし、ここに火光、河の向に当つて、奇特を見るの間郎従四人たちまち死亡す、しかるに忠常彼の霊のおしえに依つて、恩賜の御剣をくだんの河に投入れ、命を全うして帰参すといふ。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
 しかれどもことすでにここに至れば、刺しちがへ・切り払ひの両事を受けざるは、かへつて激烈を欠き、同志の諸友また惜しむなるべし。吾れといへども、また惜しまざるにあらず。
留魂録 (新字旧仮名) / 吉田松陰(著)
人のいうなる死はここに、人のいうなる生は彼処かしこに、しかも壮と厳と、美と麗と、人が自らせばめた社会の思いおよばぬものは、わが立つ所ならずして、いずれにあるのだろう、七時すぎ
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
『本朝二十四孝』八人の猩々講しょうじょうこうに——波の鼓の色もよく、長崎の湊にして猩々講を結び、椙村のうちに松尾大明神を勧請中、甘口辛口二つの壺をならべ、名のある八人の大上戸ここに集まる。
酒渇記 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
此処から初めて利根川が幽谷の間に白練をけるが如く流れているのを下瞰し、其奥に大利根岳の突兀とつこつ天に朝するを望み、水源探検の目的殆どここに終れりとし、再び水長沢に下りてこれを遡り
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
三膳出しましたといって、かえってこの男をあやしんだ、ここおいてこの男は主人の妻子が付纏つきまとって、こんな不思議を見せるのだと思い、とてのがれぬと観念した、自訴じそせんととっえす途上捕縛ほばくされて
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
未だ日本の地に着かざるなし、毒竜ここは鬼ヶ島を去ること若干里いくばく
鬼桃太郎 (新字新仮名) / 尾崎紅葉(著)
そこで窓の格子を隔てた覚束おぼつかない不言の交際がここに新しい époqueエポック に入ったのを、この上もなく嬉しく思って、幾度いくたびも繰り返しては、その時の岡田の様子を想像にえがいて見るのであった。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
墓を定むるにはの蹴外したる枕を持ち行きて、ここぞと思う所にの枕を据え置き、『地神様より六尺四面買取り申す』とて、銭四文を四方へ投げて定むるなり。これ地神を汚さぬ為めなりと云う。
本朝変態葬礼史 (新字新仮名) / 中山太郎(著)
ここ籠屋ろうやの奉行をば石出帯刀と申す。しきりに猛火もえきたり、すでに籠屋に近付しかば、帯刀すなはち科人とがにんどもに申さるるは、なんぢら今はやき殺されん事うたがひなし。まことにふびんの事なり。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
ちちしてはうむらず、ここ(二九)干戈かんくわおよぶ、かうけんや。
右岸に見られるのは、かえでうるしかばならたぐい。甲州街道はその蔭にあるのです。忍耐力に富んだ越後えちご商人は昔からここを通行しました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ここに一種の研究所を設けて、およそ五、六名乃至ないし十名の学者をえらび、これに生涯安心の生計を授けて学事の外に顧慮する所なからしめ
人生の楽事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そうしてこの無言の約束はここだけでなく、いつでも奇抜な笑いの句の出るたびに、必ずといってもよいほどよく守られているのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
王子おうじ宇治うじ柴舟しばぶねのしばし目を流すべき島山しまやまもなく護国寺ごこくじ吉野よしのに似て一目ひとめ千本の雪のあけぼの思ひやらるゝにやここながれなくて口惜くちおし。
彼がロンドン大学予備科の教授に就任したのは、一八七〇年の暮で、ここでも彼の人格と、学力とは、彼をして学生達の輿望よぼうの中心たらしめた。
此爺このじいも今日悟って憎くなった迷うな/\、ここにある新聞をめ、とはじめは手丁寧後は粗放そほうことばづかい、散々にこなされて。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それでそち母人ははびとは、今日きょうここついでわし本体ほんたい見物けんぶつして、それを土産みやげってかえりたいということのようであるが、これは少々しょうしょうこまった註文ちゅうもんじゃ。
ここ川越かわごえ在の小ヶ谷村に内田という豪農があった。(今でもその家は歴とした豪農である。)その分家のやはり内田という農家に三人の男の子が生れた。
こはその生受的なると後得的なるとを問わず意志の力とも称すべき者で、ここにこれを動機と名づけて置く。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
私は別に義憤を感じてここに立ち上った英雄ナポレオンでは決して無く、私の所論が受け容れられる容れられないに拘泥こだわりなく、一人白熱して熱狂しようとする——つまりこれ
FARCE に就て (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
その実この事に限らず徳川文学を全く研究しないといふ結果が偶然ここに現はれたのであるから余は何処までもいはゆる擬古的文学者の無学なのを責めたいのである。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「知らぬ疇昔むかしは是非もなけれど、かくわが親に仇敵あること、承はりて知る上は、もだして過すは本意ならず、それにつき、ここ一件ひとつの願ひあり、聞入れてたびてんや」
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
公事くじは漢の棠陰比事とういんひじにも見えず、倭の板倉殿のさばきにも聞えず。ここに我ひとつの発明あり。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)