まぼろし)” の例文
とにかく彼はえたいの知れないまぼろしの中を彷徨ほうこうしたのちやっと正気しょうきを恢復した時には××胡同ことうの社宅にえた寝棺ねがんの中に横たわっていた。
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
周は驚きおそれて気絶しそうにしたが、やがて、それは成の法術でまぼろしを見せたではあるまいかと疑いだした。成は周の意を知ったので
成仙 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
私の眩惑げんわくされた眼は、われ知らず、姿見の深みを探つた。そのまぼろしの虚影のなかでは、何もかもが、現實より一層冷たく陰鬱に思はれた。
なるほど、今のは夢か、それともまぼろしだったのかもしれません。いくら見まわしても、黒装束の男など、どこにもいやしないのです。
怪人二十面相 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
年忌の法会ほうえなどならばその人を思ひ出すとか、今にまぼろしに見ゆるとか、年月の立つのは早いものとか、彼人がしんでから外に友がないとか
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
今僕と並んでいる君は、本体ほんたいのないまぼろしにすぎないのだ。本体の君は、連続的成長を続けて、やっと青年になりかけのところにいるんだ。
海底都市 (新字新仮名) / 海野十三(著)
昔自分が酌をして、この四疊半で樂しい晩餐を取つたことが、まぼろしのやうに京子の頭に浮かんでゐるらしかつた。其の頃は京子も若かつた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
「どこで、このおじいさんをたろう。」と、佐吉さきちかんがえながら、ほし見上みあげていますと、さまざまのまぼろしうつってくるのでありました。
酔っぱらい星 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ねむくはないので、ぱちくり/\いてても、ものまぼろしえるやうになつて、天井てんじやうかべ卓子テエブルあし段々だん/\えて心細こゝろぼそさ。
怪談女の輪 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
父親の歸りを心配して、小用場の窓から、まぼろしともうつゝともなく、此晩の樣子を見て、そのまゝ氣を喪つてしまつたといふことだ。
女王は、その庭に見入っているの。そこには、木立こだちのそばに噴水ふんすいがあって、やみの中でも白々しらじらと、長く長く、まるでまぼろしのように見えています。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
「目には見れども」は、眼前にあらわれて来ることで、写象として、まぼろしとして、夢等にしていずれでもよいが、此処は写象としてであろうか。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
ゆえにこの間に結ばるる夢はいたずらに疲労ひろうせる身体のまぼろしすなわちことわざにいう五ぞうわずらいでなく、精神的営養物となるものと思う。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
鏡子は我子の言葉から、春のすゑの薄寒い日の夕暮に日本の北の港を露西亜船ろしやぶねに乗つて離れた影の寂しい女をまぼろしに見て居た。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
あらたなるまぼろしはわが心をこれにかたむかせ、我この思ひを棄つるをえざれば、かく疑ひをいだきてゆくなり。 五五—五七
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
が目ざめてのち、ぼくはあのひとのまぼろしだけとともに、まわりはつめたい鉄のかべにとりかこまれようやく生きている気がする。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
まぼろしの如く、消えては現われ、現われては消え、からみつき、ほぐれ出し、物に触れて駕籠が烈しく揺れるたびに、いったん途切れてまた現われる。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
すなわち一年の境に、遠い国から村を訪れてはるばる神のくることを、確信せしめんがための計画あるまぼろしであった。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
二個の世界は絶えざるがごとく、続かざるがごとく、夢のごとくまぼろしのごとく、二百里の長き車のうちに喰い違った。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今昔こんじゃくの感そぞろにきて、幼児の時や、友達の事など夢の如くまぼろしの如く、はては走馬燈まわりあんどんの如くにぞ胸にう。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
たしかに、竹童ちくどう愛鷲あいしゅうクロのようだったが——見ちがいであったかしら? まぼろしであったかしら? ——と咲耶子さくやこはあとのしずかななかで錯覚さっかくにとらわれた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だいなやますやまひまぼろしでございます。たゞ清淨しやうじやうみづこの受糧器じゆりやうきに一ぱいあればよろしい。まじなひなほしてしんぜます。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
「これは夢にちがいない。寝ても覚めても京の都のことばかり思いつめていたためのまぼろしの声だ。悪魔がおれの心を惑わそうというのか。とても現実とは思えん」
夕になれば、燭に火を點ずるほどに、其光は腸づめの肉と「プレシチウツトオ」(らかん)との間に燃ゆる、聖母像前の紅玻璃燈と共に、このまぼろしの境を照せり。
余は今しがた眼の前を過ぎた二つのまぼろしの意味を思いつゝ、山を見ることを忘れて田圃の方へ下りて往った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
住むべき家の痕跡あとかたも無く焼失せたりとふだに、見果てぬ夢の如し、ましてあはせて頼めしあるじ夫婦をうしなへるをや、音容おんようまぼろしを去らずして、ほとほと幽明のさかひを弁ぜず
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
彼女は膝の上から反絵と反耶の頭を降ろして、しずかに彼女の部屋へ帰って来た。しかし、彼女はひとりになると、またも毎夜のように、まぼろしの中で卑狗ひこ大兄おおえの匂をいだ。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
自己だと? 世界だと? 自己をほかにして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射したまぼろしじゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
母の生い育ったのはただ色町と云うばかりで、いずこの土地とも分らないのが恨みであったが、それでも彼は母のまぼろしに会うために花柳界かりゅうかいの女に近づき、茶屋酒に親しんだ。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
陸上の生活力を一度死にさらし、実際の影響力えいきょうりょくなめしてしまい、まぼろしに溶かしている世界だった。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
げにや榮華は夢かまぼろしか、高厦かうか十年にして立てども一朝の煙にだも堪へず、朝夕玉趾ぎよくし珠冠しゆくわん容儀ようぎたゞし、參仕さんし拜趨はいすうの人にかしづかれし人、今は長汀ちやうていの波にたゞよひ、旅泊りよはくの月に跉跰さすらひて
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
抜けるように白いお艶の顔と、山吹いろの小判とがかわるがわるまぼろしのように眼前にちらつく。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
九蔵の宗吾と光然、訥子とっしの甚兵衛とまぼろし長吉、みんな好うござんしたよ。芝鶴しかく加役かやくで宗吾の女房を勤めていましたが、これも案外の出来で、なるほど達者な役者だと思いました。
半七捕物帳:60 青山の仇討 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「しかし能く来てくれたね。まさか君が今頃来ようとは思はないもんだから、ふつと顔を見たときには、君の幽霊か、僕の目のせゐでまぼろしが映つたのかと思つて、慄然ぞつとしたよ。」
或売笑婦の話 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
いもおわらずこの白衣びゃくい老人ろうじん姿すがたはスーッと湖水こすいそこまぼろしのようにえてきました。
その唯一人きりの若様へあの不思議の物語、アラビヤあたりの童話にでもありそうな、まぼろしじみたお話を致すのは心苦しいことでござりますが、(間)思い切ってお話し致しましょう。
レモンの花の咲く丘へ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
さりとてはしからずうるわしきまぼろしの花輪の中に愛嬌あいきょうたたえたるお辰、気高きばかりか後光朦朧もうろうとさして白衣びゃくえの観音、古人にもこれ程のほりなしとすきな道に慌惚うっとりとなる時、物のひびきゆる冬の夜
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
耳の無いあのおんながこう聞いた時、その声は泣いているようでもあったし、また発作的な笑いを押えているような声でもあった。酔いの耳鳴りの底で、私は再び鮮かにそのまぼろしの声を聞いた。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
それでも、最後の芝鶴の人形振は、専門家から見ればどれほどのものか知りませんが、少くとも、私の眼には、美しい、懐しい、まぼろしの世界でした。これなら、これだけでもいゝと思ひました。
一〇〇巫山ふざんの雲、一〇一漢宮かんきゆうまぼろしにもあらざるやとくりごとはてしぞなき。
其の時、周三の頭に、まぼろしごとく映ツたのは、都會生活の慘憺さんたんたる状態じやうたいだ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
ちはてし熔岩ラヴアうもるるポンペイを、わがまぼろしを。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「それ達人は大観す……栄枯は夢かまぼろしか……」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
胸に籠めたるまぼろしを雲に痛みて、地のほめき——
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
ああこのまぼろしの寢臺はどこにあるか。
蝶を夢む (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
恋人の 白い 横顔プロフアイル—キーツの まぼろし
秋の瞳 (新字旧仮名) / 八木重吉(著)
まぼろしなりき、事映ことばええゆくにこそ
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
こがねまぼろし通ふらむ。またある時は
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
気味わるくまぼろしに映つた。
念仏の家 (新字旧仮名) / 小寺菊子(著)
なぐさめもなきまぼろし
藤村詩抄:島崎藤村自選 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)