かぶ)” の例文
私は麦稈帽子むぎわらぼうしかぶった妹の手を引いてあとから駈けました。少しでも早く海の中につかりたいので三人は気息いきを切って急いだのです。
溺れかけた兄妹 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ちとやそっとの、ぶんぶんなら、夜具の襟をかぶっても、成るべくは、蛍、萱草かやくさ、行抜けに見たい了簡りょうけん。それには持って来いの診察室。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
けれども帽子をかぶらない男はもうどこからも出て来なかった。彼は器械のようにまた義務のように何時もの道をったり来たりした。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ネネムはまっ白なちぢれ毛のかつらをかぶって黒い長い服を着て裁判室に出て行きました。部下がもう三十人ばかり席についています。
「いや、もう沢山、もう沢山」長造は、そのお面みたいなものを、弦三が本気でかぶせそうな様子を見てとって、尻込しりごみしたのだった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
きゲートルをして、地下足袋じかたびをはいて、くろ帽子ぼうしかぶっていました。小泉こいずみくんは、ほかへをとられて、ぼくづきませんでした。
生きぬく力 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ふねの中は藻抜けの殻だ——今まで敵だと思った人影は盗み出した品物を積み上げて、それに上衣うわぎを着せ帽子をかぶせた案山子かかしであった。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
それは丁度撃剣士のかぶるお面のやうな形であつた。そのフレムの上から鉄板を張つて、職工達は長柄のハンマで鋲つけにするのであつた。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
その側には食い掛けた腸詰や乾酪かんらくを載せた皿が、不精にも勝手へ下げずに、国から来た Figaroフィガロ反古ほごかぶせて置いてある。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
誰か、うしろから追いかけて来る者がある。編笠をかぶって、干飯袋ほしいぶくろに旅の持物を入れ、短い義経ばかまの袴腰にくくり付けている若者だった。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そんなことをしないだって阪急は平気なんですよ。ちょっと頭から風呂敷か何かかぶせてやれば、人間と一緒に乗せてくれるんです」
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
おそらくそれはその普請場を早朝から巡視に来た役人であったろうけれど、笠を深くかぶっていたから、誰とも知ることができません。
だ東京で三年前に買つたまゝのをかぶつて居る僕の帽もこの連中れんぢゆうあかみた鳥打帽やひゞれた山高帽やまだかばうに比べれば謙遜する必要は無かつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
手拭てぬげかぶつてこつちいてる姐樣あねさまことせててえもんだな」ふさがつたかげから瞽女ごぜ一人ひとり揶揄からかつていつたものがある。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
すると一人の男、外套がいとうえりを立てて中折帽なかおれぼう面深まぶかかぶったのが、真暗まっくらな中からひょっくり現われて、いきなり手荒く呼鈴よびりんを押した。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
荷馬橇の馬は、狹霧さぎりの樣な呼氣いきかぶつて氷の玉を聨ねたたてがみを、寒い光に波打たせながら、風に鳴る鞭を喰つて勢ひよく駈けて居た。
菊池君 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
冬、どした恐ろしない雪の日でも、くるめんばかぶらねで、千成せんなり林檎りんごこよりも赤え頬ぺたこ吹きさらし、どこさでも行けたのだずおん。
雀こ (新字新仮名) / 太宰治(著)
帽子もかぶつたまま、オーバコートも着たままの、役所へ行きがけらしい兄の姿をもう一度よく視守つて、何か云はうとしてゐると
イボタの虫 (新字旧仮名) / 中戸川吉二(著)
お茶の水のがけに、後ろ半分乗出したようなお関の家の、往来から完全に隠された裏の空地に、お由良の死骸はむしろかぶせられてあります。
その途端に確かに書斎から人の出て来るような気配がしたの。あたし震え上がっちゃったわ。床の中へもぐり込んで蒲団をかぶっていたの。
ニッケルの文鎮 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
まさか芝居でするお女郎の道行みちゆきのように、部屋着をきて、重ね草履をはいて、手拭を吹き流しにかぶっていたわけでもあるめえが……
半七捕物帳:52 妖狐伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
冬でもの笠をかぶって浜へ出て、えさを拾って、埠頭場はとばに立ったり幸神潟こうじんがたの岩から岩を伝ったりして、一人ぼっちでよく釣魚をしていた。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
台の上部うえは土間に立つと三尺ほどの高さで、かぶせ板が左右に一寸ほどみ出ているぐあいが、なんのことはない、経机の形だった。
島の女の人の風習らしいが、正代も風呂敷ふろしきや何かの布れでいつもすっぽりと頭を包む。まるでロシアの農婦のかぶるプラトオクのようだ。
石ころ路 (新字新仮名) / 田畑修一郎(著)
大黒頭巾だいこくずきんでもかぶった隠居がにこにこしながら、それを眺めている。——西鶴の『永代蔵』にでもありそうな、めでたい蔵開である。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
なんて申したって分りません、仮令たとえ長く下げまして、末には目の上にまでかぶさって、向うが見えないように成って、向うから人が来て
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それに答えて、新しいかさを買ってそれをかぶって春の朝早く旅立ちまする、という挨拶を返したのが脇句である。またこういうのがある。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
オホホ、私もくわしい事はよく存じませんが先ず荒増あらましを申せばお米は草の実でもみという皮をかぶってその皮をくと中に若い芽があります。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
「この会社の裏で独逸人と決闘をしたという話がある。大将が家重代いえじゅうだいの国光を振りかぶったら、先方は腰を抜かしてしまったそうだ」
ガラマサどん (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
上田敏博士の追悼会ついたうゑ先日こなひだ知恩院の本堂で営まれた時、九十余りの骸骨のやうな山下管長が緋の袈裟けさかぶつて、叮嚀にお念仏を唱へた。
おほかぶさつてるまゆ山羊やぎのやうで、あかはな佛頂面ぶつちやうづらたかくはないがせて節塊立ふしくれだつて、何處どこにかう一くせありさうなをとこ
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「あれじゃ」「ほう、またひどく嵩高かさだかな物だが、何でござろうか」「おおいをとれ」はっと答えて家来の一人がかぶせてある蔽い布をとった。
備前名弓伝 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
見ると、その男は富士屋自動車とう帽子をかぶっていた。信一郎は、急にたすけ舟にでも逢ったように救われたような気持で、立ち止った。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
私などは一番あとだつたのでせう、そばにはお菊さんとお政さんが居ました。二三げん上ると松葉を上にかぶつた松茸が一本苔から出て居ました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
そんな物を着ることをお島が拒んだので、着せる着せないではなしがその日ももつれていたが、到頭かぶせられることになってしまった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
日の照りつける時は、傘を持たせると忘れたり破ったりするからと、托鉢たくはつのお坊さんのかぶるような、竹で編んだ大きな深いかさかぶります。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
遠くの公園の入口のところに、鳥打帽をかぶった二人の日本人が立ち話をしていたが、急にわたしたちのいるほうに進んできた。
謎の街 (新字新仮名) / 松本泰(著)
発電所は八分通り出来上っていた。夕暗にそびえる恵那山えなさんは真っ白に雪をかぶっていた。汗ばんだ体は、急にこごえるように冷たさを感じ始めた。
セメント樽の中の手紙 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
鹿のつのをつけたる面をかぶり童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。笛の調子高く歌は低くしてかたわらにあれども聞きがたし。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
其の影はカツキリと長く流に映ツてゐた。兩岸の家や藏の白堊はくあは、片一方は薄暗く片一方はパツと輝いて、周圍ぐるりの山は大方雪をかぶツてゐた。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
米沢の名をかぶるものに「米琉よねりゅう」があります。しかし主に織ったのは長井ながいであります。それ故「長井紬ながいつむぎ」の名でも呼ばれました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
また那智で一丈四方ほどの一枚いわ全くこの藻をかぶりそれから対岸の石造水道を溯って花崗石作りの手水鉢ちょうずばちの下から半面ほど登りあるを見た
彼女は帽子をかぶりに室へ行った。クリストフは待ちながら、ピアノの前にすわって少しばかり和音をひいた。向こうの室から彼女は叫んだ。
私は彼女の顔を見ながらあねさんかぶりが似合うだろうと思い、空に雲雀ひばりさえずる畑の中にいる彼女の働く姿を容易に想い浮かべることができた。
朴歯の下駄 (新字新仮名) / 小山清(著)
夏の炎天えんてんではないからよいようなものの跣足すあしかぶがみ——まるで赤く無い金太郎きんたろうといったような風体ふうていで、急足いそぎあしって来た。
雁坂越 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
まあ帰ってからゆっくりと思って、今日見つけた家の少し混み入った条件を行一が話しためらっていると、姑はおっかぶせるように
雪後 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
ミルクのような雲をかぶった山々や、白いチョークで線を引いたような海岸の波打際なみうちぎわが、映画のフィルムのように過ぎて行く。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
「オーライ」作業服を着た男たちは、声とともに、寄ってたかって僕をとらえ、用意の麻袋を頭からすっぽりかぶせてしまった。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
ワシリは全身に泡をかぶつた馬に乗つて、帰つて来る途中で、己の側へ来た。負けた騎者はまだずつと跡になつて付いて来る。
「よし、よし、着物を出さんのなら、これで好い」と、白地の単衣ひとえ唐縮緬とうちりめんの汚れたへこ帯、帽子もかぶらずに、そのままに急いで戸外へ出た。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)