みぞ)” の例文
叔父の家は広い植木屋の地内で、金目垣かなめがき一つ隔てて、じかにその道路へ接したような位置にある。垣根のわきには、細い乾いたみぞがある。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そうだ、あのとき私は、銀玉に見惚みとれていた。横に細いみぞのある銀玉だった。ああ、そうすると……あの銀玉に薬が入っていたのだ。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
贋物の千兩箱も一應は見せて貰ひましたが、何んの目印も無い中古の錢箱で、蓋の上に左右二本のみぞのあるのだけが妙に眼につきます。
銭形平次捕物控:274 贋金 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
一人は近景に黍の行列を入れ一人はみぞにかかった板橋を使っていた。一人のは赤黒く一人のは著しく黄色っぽい調子が目についた。
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂きゅうはんを登りつめた揚句あげく、このほりはたまで来て一も二もなくこの深いみぞの中に飛び込んだのである。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
小初の言葉のしんにはきりきり真面目さがとおっていながら手つきはいくらかふざけたように、薫の背筋のみぞに砂をさあっと入れる。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
引越した当時は、私の家の裏手はまだ一めんの芒原すすきはらになっていて、大きなみぞを隔てて、すぐその向うが華族のお屋敷になっていた。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
今しがたまでお客がいたものと見え、酒のかおりと共に、煙草たばこけむりこもったままで、紫檀したんテーブルみぞには煎豆いりまめが一ツ二ツはさまっていた。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
みぞの底の汚泥をつかみ出すのは世態に通じたもののすることでは無い、と天明度の洒落者しゃれものの山東京伝はったが、秀吉も流石さすがに洒落者だ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
警察のそばの道に沿った汚ないみぞには白い小さい花がポチポチ咲いて、さびた水に夢見るような赤いねむの花がかすかにうつった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
所がその内にどう云ふ拍子ひやうしか、彼のついた金羽根きんばねが、長押なげしのみぞに落ちこんでしまつた。彼は早速さつそく勝手から、大きな踏み台を運んで来た。
点心 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「オイ橋だぞ」とみぞにかけし小橋に注意して「けれども全く見えなくちゃアこんなところまで来てかせぐわけにゆかんではないか」
女難 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
そんな光彩とそんな音律が、山陽の頭のなかに、ぼうっと、紅色のほこりか、油のういたみぞの泡つぶのように、消えたり、舞ったりしていた。
梅颸の杖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それだから風呂ふろに入つた時などに、ひそかにそのかさぶたを除いてみると、その下は依然としてただれて居つて深いみぞのやうになつてゐる。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
それからの私達わたくしたちあいだにはまえにもまして、一そうおおきなみぞができてしまい、夫婦ふうふとはただばかり、こころこころとは千もかけはなれてるのでした。
「なあに、旦那だんなも馬もよくまあ往来のみぞにもころげ込まねえで、五里もこられたなあ不思議だ。まあ見てごらんなさるがいい。」
彼は私と同じく東京一中の出身であるが、生れは多摩川の向う川岸のみぞくちあたりであるから、東京人とはいえないのである。
文壇昔ばなし (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しかし、みぞのところまで行くと、さすがにそれを飛びこしかねたらしく、そこに立ち止ったまま、いつまでも口ぎたなく勘作を罵っていた。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
粘土のかめが頭から落ちて、みぞれている大理石の敷石しきいしの上で二つにくだけてしまいました。少女はわっと泣きだしました。
村の人が大勢出て見ると、若い法師がつえをもって田の水口に立ち、みぞの水をかきまわしているのが、月の光でよく見えました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
広いはたと畑との間を、真直に長く通っている街道である。左右にはみぞがあって、そのふちにははんの木のひょろひょろしたのが列をなしている。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
小かぶや大根の葉につく青虫や黒虫は、畝並うねなみにみぞを掘っておいて、そこへ向って葉を振うと、皆ころころと落ちてしまう。
猫八 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
ダルガス、としは今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、みぞを掘るの際、彼はこまかに彼の故国の地質を研究しました。
横穴よこあななかでも格別かくべつめづらしい構造かうぞうではいが、ゆかみぞとがやゝ形式けいしきおいことなつてくらゐで、これ信仰しんかうするにいたつては、抱腹絶倒はうふくぜつたうせざるをない。
お前たちは母上の死を思い出すと共に、U氏を思い出すことを忘れてはならない。そしてこの恐ろしいみぞを埋める工夫をしなければならない。
小さき者へ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
かれらはシャベルでほったつちをトロッコへなげこんだり、つるはしをかたい地面じめんにうちこんで、みぞをつくったりしました。
はたらく二少年 (新字新仮名) / 小川未明(著)
天照らす大神が田を作つておられたその田のあぜこわしたりみぞめたりし、また食事をなさる御殿にくそをし散らしました。
みぞにうつ伏せになっている死骸しがいを調べえた巡査が、モンペ姿の婦人の方へ近づいて来た。これも姿勢を崩して今はこときれているらしかった。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
我等このひとやを過ぎてかなたの岸にいたれるに、こゝに一の泉ありて湧きこゝより起れる一のみぞにそゝげり 一〇〇—一〇二
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「大丈夫?」肩に手をかけようとした時、私はドサ貫の前のみぞに、血のようなものがべとりと吐き出されているのを見た。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
或る者はすきを持つてみぞを掘り、或る者はそこから掘上げられた土を運んで、地続きになつてゐるくぼみの水溜みづたまりを埋めてゐ
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
水増しの時できた小さな壺穴つぼあなあとや、またそれがいくつも続いた浅いみぞ、それから亜炭のかけらだの、枯れたあしきれだのが、一列にならんでゐて
イギリス海岸 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
彼は心臓のしびれるような感じと、神経性の戦慄せんりつを覚えながら、一方の壁はみぞに、いま一方は××町に面している、恐ろしく大きな家に近づいた。
その水盤はやっぱり外から見た通りで、高さはひざまで位しかなかった。ふちの厚さは二寸位で、そのふちへもってって、また細いみぞが三方にある。
空腹すきばらを抱いて、げっそりと落込むように、みぞの減った裏長屋の格子戸を開けた処へ、突当りの妾宅の柳の下から、ぞろぞろと長閑のどかそうに三人出た。
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
海蔵かいぞうさんはくるしそうにわらって、そとてゆきました。そして、みぞのふちで、かやつりぐさって、かえるをつっていました。
牛をつないだ椿の木 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
三人は黙って狭い坂路を降りていくと、石で畳んだ急勾配のみぞを流れ落ちる水の音が冷たい耳を凍らせるように響いた。
探偵夜話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
邸前の高壇の馬鹿なみぞの後ろには、眠ってる二門の大砲が、眠ってる町の上に欠伸あくびをしていた。クリストフはそれらのものの鼻先で笑ってやった。
おかしいことのようだが、家まわりのみぞのとくとくという水音で雪解ゆきげの季節の来たことを知ったのもその前後だった。
日本婦道記:桃の井戸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
もう湯気はあがってはいず、丸いどんどん焼は無慚むざんにゆがんでいた。扶佐子はそれを下駄で下水のみぞこみながら
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
みかどの愛子として育った源氏の自負はそれを無視してよいと教えた。こんなことが夫妻のみぞを作っているものらしい。
源氏物語:07 紅葉賀 (新字新仮名) / 紫式部(著)
酒ぶとりした六十翁の、みぞね越え、阪をけ上る元気は、心の苦からのがれようとする犠牲のもがきの様で、彼の心をいたませた。やがて別荘に来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そして彼等の楽しい日課のひとつとして、晴れた日の午後には子供の手をひいて、小犬をつれて、そこらの田圃たんぼみぞをとりに行くことになつてゐた。
哀しき父 (新字旧仮名) / 葛西善蔵(著)
南に富士川は茫々ばう/\たる乾面上に、きりにて刻まれたるみぞとなり、一線の針をひらめかして落つるところは駿河の海、しろがね平らかに、浩蕩かうたうとして天といつく。
霧の不二、月の不二 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
家々の前の狹いみぞには、流れるでもない汚水の上に、薄曇つた泡が數限りなく腐つた泥から湧いてゐて、日に晒された幅廣い道路の礫は足を燒く程暖く
二筋の血 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
「はい」と御返事をして、そのまま手の土を払って附いて出ました。古びた裏門を出ると、邸の廻りに一間幅いっけんはば位のみぞがあって、そこに吊橋つりばしが懸っています。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
そして彼は三尺ほどのみぞを飛び越え、熊笹くまざさの茂っている一けんあまりのがけをよじ登ると上から手を差しのべた。
わたしは高いところからはげしい夕日にむかって、手をかざしながら彼を見ていたので、深いみぞに影を落としている信号手の姿はよく分からなかったのであるが
しかしみぞに叩き込まれんとする時は、ドッコイ、いかぬぞ、これより先は一歩も半歩も譲ることが出来ぬ。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
そういうみぞのような長い穴が二間四面の内に二つあるいは三つ位穿ってあって、一つの穴でも二人あるいは三人位列んで出来得るようになって居るのですから
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)