“無慚”のいろいろな読み方と例文
| 読み方 | 割合 |
|---|---|
| むざん | 97.8% |
| ムザン | 2.2% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
こんな無慚な裏切りはない、どれほど非情な人間にも、こういう酷薄なまねはできないだろう、杉永のためにも生かしてはおけない。
それにしても無慚なのは、孫を固く抱いたまゝ黒くなつて居たと言ふ——その、人をせつながらせる姿が、思ひがけなく、吾々の魁車像に割りこんで来てしまうたことである。
“無慚”の解説
無慚(むざん)(sa: āhrīkya、アーフリーキヤ)は仏教が教える煩悩のひとつ。
はじらいのないこと。なお、 慚とは、法灯明として自分の出世間たる仏の教えに照らして恥じる心のこと。
説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち中随煩悩である。
五位七十五法の大善地法「慚」の逆の心作用。
(出典:Wikipedia)
はじらいのないこと。なお、 慚とは、法灯明として自分の出世間たる仏の教えに照らして恥じる心のこと。
説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち中随煩悩である。
五位七十五法の大善地法「慚」の逆の心作用。
(出典:Wikipedia)