こんな無慚な裏切りはない、どれほど非情な人間にも、こういう酷薄なまねはできないだろう、杉永のためにも生かしてはおけない。
數人とも知れぬ人を斬つて、泥棒まで働いた、兇惡無慚な辻斬が、平次の膝の下に敷かれて、シクシク泣いて居るのも受取れないことです。
いやもう一つ、わたくしが気を失って倒れておりました間に、つい近所の町筋では無慚な出来事が起ったのでございました。
“無慚”の解説
無慚(むざん)(sa: āhrīkya、アーフリーキヤ)は仏教が教える煩悩のひとつ。
はじらいのないこと。なお、 慚とは、法灯明として自分の出世間たる仏の教えに照らして恥じる心のこと。
説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち中随煩悩である。
五位七十五法の大善地法「慚」の逆の心作用。
(出典:Wikipedia)
はじらいのないこと。なお、 慚とは、法灯明として自分の出世間たる仏の教えに照らして恥じる心のこと。
説一切有部の五位七十五法のうち、大不善地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち中随煩悩である。
五位七十五法の大善地法「慚」の逆の心作用。
(出典:Wikipedia)