“創”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
きず37.1%
はじ24.8%
つく24.5%
5.4%
はじめ1.8%
はじま1.1%
きづ0.7%
そう0.7%
はじめて0.7%
ハジ0.4%
いため0.4%
0.4%
おこ0.4%
きずつ0.4%
づく0.4%
はじむ0.4%
キズ0.4%
0.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
吉田は刺客に立ち向つて、肩先を深く切られて、きずのために命をおとしたが、横井は刺客の袖の下をくゞつて、都筑と共に其場を逃げた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
新聞社の応接間に私を訪ねて「雑誌をはじめることになったが、その初号から、岡本綺堂さんの半七のようなものを書いてくれないか」
人は偉大な作品をつくりたいという気をきわめて起こしやすい。しかし偉大な表現はただ偉大な内生あって初めて可能になるのである。
創作の心理について (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
みのりの秋は、秀吉に来たのである。秀吉はこの夏、大きな収穫をやった。それは、関白かんぱくとなり、初めて、豊臣姓とよとみせいてたことである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(後の板もあり)さて和名抄ありて后五百年ちかくをへて文安年中下学集かがくしふといふ字書じしよありき、これも元和三年はじめて板本となりたり。
才人の官、しんの武帝にはじまり、宋時に至つてなほ之を沿用す。然れども才子を才人と称しても差支へなきは勿論なり。辞源にも「有才之人曰才人。猶言才子なほさいしといふ
念仁波念遠入礼帖 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
其時第一に馳けけたものは祖父ぢゞであつた。左の手に提灯をかざして、右の手に抜身ぬきみを持つて、其抜身ぬきみ死骸しがいを叩きながら、軍平ぐんぺいしつかりしろ、きづあさいぞと云つたさうである。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
しん身に十余そうこうむり、自ら馬上にくびはぬ。あんいよいよせまりて、燕王に北坂ほくはんう。安のほこほとんど王に及ぶ。燕の番騎指揮ばんきしき王騏おうき、馬を躍らせて突入し、王わずかに脱するを得たり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
宝暦年中平賀鳩渓きうけい(源内)火浣布をはじめてせいし、火浣布考くわくわんふかうあらはし、和漢の古書を引、本朝未曾有みそう奇工きこうほこれり。ぼつしてのち其術そのじゆつつたはらず、好事家かうづか憾事かんじとす。
さう言へば、山田寺は、役君小角エノキミヲヅヌが、山林仏教をハジめる最初の足代アシシロになつた処だと言ふ伝へが、吉野や、葛城の山伏行人ヤマブシギヤウニンの間に行はれてゐた。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
寄て見ると左の拇指と人指し指とをいためて居りました——。えんから飛出した時暗がりから不意にり付けたのを短銃ぴすとるで受止めたが切先きが余つてきずつひたのです——。
千里駒後日譚 (新字旧仮名) / 川田瑞穂楢崎竜川田雪山(著)
その門地を倒し、そのお家柄を破壊して、四民平等の天下をみ出そうと豪語した旧権打倒御新政謳歌の志士が、真っ先に先ずおどろくべき憤慨を発したのである。
流行暗殺節 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
それより悔改コンチリサンをなし、贖罪符しょくざいふをうけて僧院を去れるも、帰途船中黒奴ムールはゴアにて死し、嬰児えいじはすぐせと名付けて降矢木の家をおこしぬ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
寄て見ると左の拇指と人指し指とをいためて居りました——。えんから飛出した時暗がりから不意にり付けたのを短銃ぴすとるで受止めたが切先きが余つてきずつひたのです——。
千里駒後日譚 (新字旧仮名) / 川田瑞穂楢崎竜川田雪山(著)
「むむ、おもしろかったな鎌倉づくりは。だが、気狂いが火をつけ出した。もうお仕舞いだ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「廿日。晴雪相半せいせつあひなかばす。弘前侯より岡田総督始、人夫迄之御祈祷、於当所上林中林下林三所被仰付。右に付中林神明社参詣。」岡田、名ははじむ、後吉顕、旧称伊右衛門、二十七歳。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
大きいおなかの上の小さいキズを写真にとる。
ココニ大坂ヲメテヨリ以来四十九年ノ春秋ヲ送ルコト、昨日ノ夢ノ如シ、世間之相、事時之相ヲ観ズルニ、生死ノ去来キヨライ有為転変ウヰテンペンノ作法ハ、電光朝露ノ如シ、タダ一セイ称念シヨウネン利剣リケン
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)