“創(はじめ)” の例文
(後の板もあり)さて和名抄ありて后五百年ちかくをへて文安年中下学集(かがくしふ)といふ字書(じしよ)ありき、これも元和三年創(はじめ)て板本となりたり。
塵(ちり)も置かず、世の創(はじめ)の生物に似た鰐口(わにぐち)も、その明星に影を重ねて、一顆(いっか)の一碧玉(だいへきぎょく)を鏤(ちりば)めたようなのが、棟裏に凝って紫の色を籠(こ)め、扉に漲(みなぎ)って朧(おぼろ)なる霞を描き、舞台に靉靆(たなび)き、縁を廻(めぐ)って
白花の朝顔 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
婿(むこ)の松方何とか云ふ奴の為に煉瓦(れんぐわ)の建築を創(はじめ)たのだ、僕は其前を通る毎(たび)に、オヽ国民の膏血(かうけつ)を私(わたくし)せる赤き煉瓦の家よ、汝が其礎(いしずえ)の一つだに遺(のこ)らざる時の来(きた)ることを思へよと言つて呪(のろつ)てやるンだ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
又、周の創(はじめ)、七七武王(ぶわう)一たび怒(いか)りて天下の民を安くす。臣として君を弑(しい)すといふべからず。仁(じん)を賊(ぬす)み義を賊む、一夫(ぷ)の紂(ちう)を誅(ちゆう)するなりといふ事、七八孟子(まうじ)といふ書にありと人の伝へに聞き侍(はべ)る。
右の字鏡(じきやう)ありて后(のち)二十余(よ)年を歴(へ)て、源の順朝臣(したがふあそん)の作りたる和名類聚抄(わみやうるゐじゆせう)ありき、是も字書(じしよ)也。元和の年間(ころ)那波道円(なばだうゑん)先生創(はじめ)て板本とせられたり。
しかるを近き頃、村田春海大人(はるみのうし)右の書(しよ)を京都にて購得(かひえ)てのち、享和三年の春創(はじめ)て板本となし、世の重宝となりてより后(のち)の学者(がくしや)の机上(つくゑのうへ)に置(おく)は、実(じつ)に春海大人(はるみのうし)の賜(たまもの)なりけり。
描金(まきゑ)を善(よく)して人の粕(かす)をなめず、別に一趣(いつしゆ)の奇工(きこう)を為(な)す。破笠(はりつ)細工とて今に賞(しやう)せらる。吉原の七月創(はじめ)て機燈(からくりとうろ)を作りて今に其余波(よは)を残(のこせ)り、伝(でん)詳(つまびらか)なれどもさのみはとてもらせり。