長火鉢ながひばち)” の例文
寒い時分で、私は仕事机のわき紫檀したん長火鉢ながひばちを置いていたが、彼女はその向側むこうがわ行儀ぎょうぎよく坐って、両手の指を火鉢のふちへかけている。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
包みの中から、ウイスキーや、ハムや、チーズなぞを出して、長火鉢ながひばちの前にどっかと坐った。もう昔の青年らしさはおもかげもない。
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
鉄瓶てつびんが約束通り鳴っていた。長火鉢ながひばちの前には、例によって厚いメリンスの座蒲団ざぶとんが、彼の帰りを待ち受けるごとくに敷かれてあった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
とほざくようにいって、長火鉢ながひばちの向かい座にどっかとあぐらをかいた。ついて来た女将おかみは立ったまましばらく二人ふたりを見くらべていたが
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
お俊は最早もう気が気でなかった。母は、と見ると、障子のところに身を寄せて、聞耳を立てている。従姉妹いとこ長火鉢ながひばちの側に俯向うつむいている。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
おひろの家へ行ってみると、久しく見なかったおひろの姉のお絹が、上方かみがた風の長火鉢ながひばちの傍にいて、薄暗いなかにほの白いその顔が見えた。
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
化粧をらして、座敷着の帯つきを気にして、茶屋のかかるのを、長火鉢ながひばちのそばで、朱羅宇しゅらうを置いたり捨てたりして、待ち焦がれている。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越後屋佐吉えちごやさきちは、女房のおいちと差し向いで、長火鉢ながひばちに顔をほてらせながら、二三本あけましたが、寒さのせいか一向発しません。
頭の中に籠ツてゐた夜の温籠ぬくもりを、すツかり清水せいすいまして了ツた、さて長火鉢ながひばちの前にすはると、恰で生まれ變ツたやうな心地だ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
うむ、彼方あつちに支度がしてあるから、来たら言ひに来る? それは善い、西洋室の寄鍋なんかは風流でない、あれは長火鉢ながひばち相対さしむかひに限るんさ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
とこわきの袋戸棚ふくろとだなに、すぐに箪笥たんす取着とりつけて、衣桁いかうつて、——さしむかひにるやうに、長火鉢ながひばちよこに、谿河たにがは景色けしき見通みとほしにゑてある。
飯坂ゆき (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
三上が、のっそりはいったのを見たおばさんは、長火鉢ながひばちの前に吸いかけの長煙管ながぎせるを置いて、くるりと入り口の方を振りかえって、そういった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
突然、順一は長火鉢ながひばちの側にあったネーブルの皮をつかむと、向うの壁へピシャリとげつけた。狂暴な空気がさっとみなぎった。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
此方こつちへおよんなさい。寒いから。」と母親のおとよ長火鉢ながひばち鉄瓶てつびんおろして茶を入れながら、「いつおひろめしたんだえ。」
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
彼女はじれったくなったので他の便所へ往こうと思って、一まず二階のへやへ引返した。二階の室には客が長火鉢ながひばちによりかかって煙草をんでいた。
料理番と婢の姿 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それはとにかく、この振り出し薬の香をかぐと昔の郷里の家の長火鉢ながひばちの引き出しが忽然こつぜんとして記憶の水準面に出現する。
藤棚の陰から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
次の間の長火鉢ながひばちかんをしながら吉里へ声をかけたのは、小万と呼び当楼ここのお職女郎。娼妓おいらんじみないでどこにか品格ひんもあり、吉里には二三歳ふたつみッつ年増としまである。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
踏切の八百屋やおやでは早く店をしまい、主人あるじ長火鉢ながひばちの前で大あぐらをかいて、いつもの四合の薬をぐびりぐびりっている、女房はその手つきを見ている
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
初秋の夜で、めすのスイトが縁側えんがわ敷居しきいの溝の中でゆるく触角を動かしていた。針仕事をしている母の前で長火鉢ながひばちにもたれている子は頭をだんだんと垂れた。
(新字新仮名) / 横光利一(著)
硝子ガラスの戸を開けてはひると、カフェーらしく椅子いす、テーブルの土間もあり、座敷には茶湯台ちやぶだいも備はつてをり、居間といふか茶の間といふか、そちらには長火鉢ながひばちも置いてあり
椎の若葉 (新字旧仮名) / 葛西善蔵(著)
長火鉢ながひばちのまえにどっかりあぐらをかいて、かつおのはしりか何かでのんびりとさかずきを手にしている。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
家には鼠入ねずみいらずだの、長火鉢ながひばちだの、箪笥たんすなどが一通りそろえられていた。だから、たしかに今は、私の知っていた頃の父よりは遥かに楽な生活をしているのに相違なかった。
「……」長造は、無言で長火鉢ながひばちの前に胡座あぐらをかいた「おや、ミツ坊が来ているらしいね」
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私は、次の間の長火鉢ながひばちのところにいる母親にも聞えるように、畳みかけて問いつめた。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
老主人はこれもいつもの通り長火鉢ながひばちの側に箱膳はこぜんを据ゑて小量な晩酌ばんしやくを始めてゐた。
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
小さい長火鉢ながひばちを買つたのもやはり僕の結婚した時である。これはたつた五円だつた。しかし抽斗ひきだし具合ぐあひなどは値段よりも上等に出来上つてゐる。僕は当時鎌倉のつじといふ処に住んでゐた。
身のまはり (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
格子戸こうしどを開けて入ったすぐ横の三畳が茶の間になっていて、そこの長火鉢ながひばちの前でおばさんはいつも手内職をしているきりなので、弘は奥の八畳の間を一人で占領して、茶ぶ台を机の代りにして
三つの挿話 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
四分珠しぶだま金釵きんかんもて結髪むすびがみの頭をやけに掻き、それもこれも私がいつもののんきで、気が付かずにゐたからの事、人を恨むには当りませぬと、長火鉢ながひばちの前に煙草タバコみゐるおかみ暇乞いとまごいして帰らんとする
そめちがへ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
(前略)長火鉢ながひばちへだてて、老母は瀬戸の置き物のように綺麗きれいに、ちんまり坐って、伏目がち、やがて物語ることには、──あれは、わたくしの一人息子で、あんな化け物みたいな男ですが、でも
十五年間 (新字新仮名) / 太宰治(著)
木理もくめうるわしき槻胴けやきどう、縁にはわざと赤樫あかがしを用いたる岩畳作りの長火鉢ながひばちむかいて話しがたきもなくただ一人、少しはさびしそうにすわり居る三十前後の女、男のように立派なまゆをいつはらいしかったるあとの青々と
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
箪笥たんす長持ながもちはもとよりるべきいゑならねど、長火鉢ながひばちのかげもく、今戸燒いまどやきの四かくなるをおななりはこれて、これがそも/\此家このいへ道具だうぐらしきものけば米櫃こめびつきよし、さりとはかなしきなりゆき
大つごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
とお父さんは長火鉢ながひばちの前に羽織袴はおりはかまのまま坐りこんで
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
すると長火鉢ながひばちわきに坐っている彼女の前に、いつの間にか取り拡げられた美くしい帯と着物の色がたちまち彼の眼に映った。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
岸本は節子を庇護かばうように言った。長火鉢ながひばちを間に置いて岸本とむかい合った嫂の視線はまた、娘のさかりらしく成人した節子の方へよく向いた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すすけた塗り箪笥だんす長火鉢ながひばち膳椀ぜんわんのようなものまで金に替えて、それをそっくり父親が縫立ての胴巻きにしまい込んだ。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
章一は力をめて突き飛ばした。細君さいくんの体はよろよろとなって長火鉢ながひばちねずみいらずとの間へ往って倒れた。と、そこから苦しそうなうめきが聞えて来た。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ぢぶきなり、ひと長火鉢ながひばちを、れはとまたふ。わすれたり。大和風呂やまとぶろなり。さてよつぱらひのことんとつたつけ。二人ふたりともわすれて、沙汰さたなし/\。
寸情風土記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
勝手の間に通ってみると、母は長火鉢ながひばちの向うに坐っていて、可怕こわい顔して自分を迎えた。鉄瓶てつびんには徳利が入れてある。二階は兵士どもの飲んでいる最中。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
お樂は何時の間にやら長火鉢ながひばちの向う側から、此方側へすべつて、平次の身體にもたれるやうにして居るのでした。
三畳の方は茶の間になツてゐて、此處には長火鉢ながひばちゑてあれば、小さなねずみいらずと安物やすもの茶棚ちやだなも並べてある。はしらには種々なお札がベタ/\粘付はりつけてあツた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
これ色男がりたる気障きざな風なり。芸者が座敷より帰つて来る刻限を計り御神燈ごじんとう火影ほかげ格子戸こうしどの外より声をかけ、長火鉢ながひばちの向へ坐つて一杯やるを無上の楽しみとす。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
葉子も思わず飛び立つように貞世を迎えて、長火鉢ながひばちのかたわらの自分の座にすわると、貞世はそのひざに突っ伏してすすり上げすすり上げ可憐かれんな背中に波を打たした。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
年久くかはるる老猫ろうみようおよ子狗こいぬほどなるが、棄てたる雪のかたまりのやうに長火鉢ながひばち猫板ねこいたの上にうづくまりて、前足の隻落かたしおとして爪頭つまさきの灰にうづもるるをも知らず、いびきをさへきて熟睡うまいしたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
赤い手絡てがらのおはなは、例の茶の間の長火鉢ながひばちもたれて、チャンと用意の出来たお膳の前に、クツクツ笑いながら(何てお花はよく笑う女だ)ポッツリと坐っていることであろう。
接吻 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と飛びこんで来たけたたましい与吉の声に、長火鉢ながひばちの向うからお藤は物憂ものうい眉をあげた。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
これから洋服をぬいで、そこの長火鉢ながひばちの前で御馳走になるてえ順序でござんす。
新学期行進曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
中にも窓下の畳は一番大きな穴を見せていたが、母はその上に長火鉢ながひばちを載せた。その他のにはボール紙をあてて上から白い糸で畳にいつけた。そうしてやっと穴から出て来るほこりを防いだ。
と、そこの茶の間の古い長火鉢ながひばちの傍には、見たところ六十五、六の品の好い小綺麗こぎれいな老婦人が静かに坐って煙草たばこっていた。母親はその老婦人にちょっと会釈しながら、私の方を向いて
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
ある日の午後、「てつ」は長火鉢ながひばち頬杖ほほづえをつき、半睡半醒はんすいはんせいの境にさまよっていた。すると小さい火の玉が一つ、「てつ」の顔のまわりを飛びめぐり始めた。「てつ」ははっとして目をました。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
岸本は格子戸の内からぐ玄関先へ上らないで、繁と一緒に潜戸くぐりどから庭の方へ抜けた。庭から長火鉢ながひばちのある部屋を通して奥の方までも見透される。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)