美濃みの)” の例文
当時平田派の熱心な門人は全国を通じて数百人に上ると言われ、南信から東美濃みのの地方へかけてもその流れをくむものは少なくない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして伊吹山いぶきやまの背や、美濃みのの連山を去来するその黒い迷雲から時々、サアーッと四里四方にもわたる白雨が激戦の跡を洗ってゆく。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枕山は横山湖山その他の詩人と共に星巌を送って板橋駅に到ってたもとを分った。星巌は道を中山道なかせんどうに取って美濃みのに還らんとしたのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
江戸末期の文久二年の秋——わたしの叔父はその当時二十六歳であったが、江戸幕府の命令をうけて美濃みのの大垣へ出張することになった。
くろん坊 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
弾正太夫とはいかなる者か? それは一個の豪傑であって、昔の身分は美濃みの梟雄きょうゆう、斎藤道三の執事職の脇屋刑部わきやぎょうぶと云った武士。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
美濃みのの産、仔細あって郷国を出て、こうして江戸に、関の孫六の夜泣きの大小を一つ合わして手に収めんと身を低めているのだとのみ——。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
美濃みの揖斐いび郡の山村では、十一月の三日が、氏神の出雲から還りたまう日であって、お神楽かぐられと称して天気がよく荒れる。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
美濃みの寄りのかいは、よけいに取れますが、そのかたの場所はどこでございますか存じません——芸妓衆げいしゃしゅうは東京のどちらのかたで。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
美濃みのの国の竜泰寺りようたいじ一夏いちげみたしめ、此の秋は奥羽のかたに住むとて、旅立ち給ふ。ゆきゆきて下野しもつけの国に入り給ふ。
これから皆様御案内の通り福島を離れまして、の名高い寝覚ねざめの里をあとに致し、馬籠まごめに掛って落合おちあいへまいる間が、美濃みのと信濃の国境くにざかいでございます。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
私は彼の文を読んで先生は実に大剛の士であると思ったのです、大槻磐渓おおつきばんけいの『近古史談』というのに、美濃みのいくさに敵大敗して、織田おだ氏の士池田勝三郎
竹乃里人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
ここで中部と名づけるのは便宜上、美濃みの飛騨ひだ尾張おわり三河みかわ遠江とおとうみ駿河するが伊豆いず甲斐かい信濃しなのの九ヵ国を指します。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
昔では、織田信長の家来に、美濃みの金山の城主、森武蔵守むさしのかみ長一というのがあり、森蘭丸の兄で、鬼武蔵と言われた豪勇の侍だが、二十七歳で若死している。
師匠は何んであるかと、その物を見ると、それらの紙片は短冊たんざくなりに切った長さ三寸巾六、七分位の薄様美濃みのに一枚々々南無阿弥陀仏なむあみだぶつ御名号おんみょうごうが書いてある。
義竜は弘治こうじ二年の春、庶腹しょふくの兄弟喜平次きへいじ孫四郎まごしろうの二人を殺し、続いて父道三どうさん鷺山さぎやまたたこうて父をほろぼしてからは、美濃みのの守護として得意の絶頂に立っていたが
赤い土の壺 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
老中がたは酒井(雅楽うた)侯、稲葉(美濃みの)侯、阿部(豊後ぶんご)侯。またお側衆そばしゅう久世くぜ大和やまと)侯であった。
なし是より伊賀亮等の三人は美濃みのへ立もどり川越浦賀の兩所にて金子は三千兩餘出來しゆつたいせしと物語れば皆々大によろこまづ六郎兵衞に夫々の判物はんものわたせしかば六郎兵衞は是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
しかも戦乱の時代に連歌師の役目は繁忙を極めている。差当さしあたっては明日にも、恐らく斎藤妙椿みょうちんのところへであろう、主命で美濃みのへ立たなければならぬと云うではないか。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
寝て居るはう瑞樹みづきなのであらう、居なくなつたのは花樹はなきであらう、花樹はなき美濃みのの妹が来てれて行つたのであらうと私はぐそれだけのことを直覚で知ると云ふのです。
遺書 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
別の説として美濃みのでは「ギバは白虻しろあぶのような、目にも見えない虫だという説がある、また常陸ひたちではその虫を大津虫と呼んでいる。虫は玉虫色をしていて足長蜂あしながばちに似ている」
怪異考 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
美濃みのの、神大根王かんおおねのみこという方のむすめで、兄媛えひめ弟媛おとひめという姉妹きょうだいが、二人ともたいそうきりょうがよい子だという評判をお聞きになって、それをじっさいにおたしかめになったうえ
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
場所は美濃みの国高須郡内の山間にして、夜中旅行の出来事である。途中、火葬場を通りかかりしに、青色の火が燃え上がっておる。これは身体を焼いておるのであると知った。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
この中には西京さいきょうの松茸も少しばかり混っていますが大概は江州ごうしゅうから美濃みの辺の松茸のようです。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
旅の俳諧師はいかいしでございましてね、このたび、信州の柏原かしわばら一茶宗匠いっさそうしょうの発祥地を尋ねましてからに、これから飛騨ひだの国へ出で、美濃みのから近江おうみと、こういう順で参らばやと存じて
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
すると、捜索隊の一人が、山の古宮ふるみやの境内の青萱の中から拾ったとて、美濃みの横綴よことじの手帳を持って来た。云うまでもなくそれは直芳の物で、途中の風景その他が写し取ってあった。
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
細香と山陽との恋愛関係のこと、山陽が美濃みのに遊んだ当時のこと、「湘夢しょうむ遺稿」のことなど、沢崎はいろいろなことを持ち出してしゃべったが、未亡人も言葉少なに応酬しながら
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
正徹・尭孝の歌学の対立の後、東常縁とうのつねよりが出た。東常縁は千葉介平常胤ちばのすけたいらのつねたねの子孫で、本来平氏。応永八年美濃みのに生れた。常胤の子胤頼たねより下総国香取郡東荘しもうさのくにかとりごおりとうのしょうを領してから東氏を名乗った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
昨日きのふ仰ぎし惠那岳えなだけは右に、美濃みの一國の山々は波濤の打寄するが如く蜿蜒ゑんえんつらなわたりて、低き處には高原をひらき、くぼき處には溪流をはしらせ、村舍の炊烟すゐえん市邑しいう白堊はくあ、その眺望の廣濶くわうくわつなる
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
広子の聯想れんそうはそれからそれへと、とめどなしに流れつづけた。彼女は汽車の窓側まどぎわにきちりとひざを重ねたまま、時どき窓の外へ目を移した。汽車は美濃みの国境くにざかいに近い近江おうみ山峡やまかいを走っていた。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
野田は天草の家老野田美濃みのせがれで、切米取りに召し出された。四月二十六日に源覚寺で切腹した。介錯は恵良えら半衛門がした。津崎のことは別に書く。小林は二人扶持十石の切米取りである。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一、俳句に貞徳ていとく風あり、檀林だんりん風あり、芭蕉ばしょう風あり、其角きかく風あり、美濃みの風あり、伊丹いたみ風あり、蕪村ぶそん風あり、暁台きょうたい風あり、一茶いっさ風あり、乙二おつに風あり、蒼虬そうきゅう風あり、しかれどもこれ歴史上の結果なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
一首は、まだようやく碓氷峠うすいとうげを越えたばかりなのに、もうこんなに妻が恋しくて忘れられぬ、というのであろう。当時は上野からは碓氷峠を越して信濃しなのに入り、それから美濃みの路へ出たのであった。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
美濃みの十郎は、伯爵はくしゃく美濃英樹の嗣子ししである。二十八歳である。
古典風 (新字新仮名) / 太宰治(著)
よきしゆくなりしならん大きな宿屋荒果あれはてあはれなりこゝに木曾義仲馬洗うまあらひの水といふ有りといへど見ず例の露伴子愛着の美人も尋ねずわづかに痩馬に一息させしのみにて亦驅けいだす此宿より美濃みの國境くにさかひ馬籠まごめまでの間の十三宿が即ち木曾と總稱する所なり誠に木曾にりしだけありてこれより景色けいしよく凡ならず谷深く山聳へ岩に觸るゝ水生茂おひしげる木皆な新たに生面を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
ちとにわかだが、それがしは今日ここを立って、美濃みの国許くにもとへまかり越え、その足ですぐ安土あづちへ伺い、信長公の御処分をうけようと思う。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とうさんのうまれた田舍ゐなか美濃みのはうりようとするたうげうへにありましたから、おうちのお座敷ざしきからでもおとなりくにやまむかふのはうえました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃みのの山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、まさかりり殺したことがあった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
天満の鉄橋は、瀬多の長橋ではないけれども、美濃みのへ帰る旅人に、怪しい手箱をことづけたり、俵藤太たわらとうだに加勢を頼んだりする人に似たように思ったのだね。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかも戦乱の時代に連歌師の役目は繁忙を極めてゐる。差当さしあたつては明日にも、恐らく斎藤妙椿みょうちんのところへであらう、主命で美濃みのへ立たなければならぬと云ふではないか。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
美濃みのの金森兵部少輔の家が幕府から取潰されたときに、家老のなにがしは切腹を申渡された。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その次には土屋采女正うねめのしょう様のこれも同じお下屋敷へ、次には美濃みのの豪農の関重左衛門の屋敷のほとりへ、その次には石山の仁王門の下へ、あばかれるを恐れて地を変えて埋め
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
琵琶湖びわこの東北の縁にほぼ平行して、南北に連なり、近江おうみ美濃みのとの国境となっている分水嶺ぶんすいれいが、伊吹山の南で、突然中断されて、そこに両側の平野の間の関門を形成している。
伊吹山の句について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
自分はこれからただちに水火の秘符ひふを持って美濃みのせきへ帰るが、ついてはこの二刀はもともとお前さまのお家の物、先生としちゃア文状もんじょうさえ手に入れれば夜泣きの刀には用はねえ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
どの町のどの唐津屋からつやのぞいて見ても、石見のものはすくない、瀬戸、美濃みの、有田、信楽しがらき等と、他国のものが店を支配し家庭を支配する。それは石見では小ものを焼かないからである。
雲石紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
美濃みののくに加納藩かのうはんに実家があるので、ひとまずそこへ落ち着くことにきめたのである。お咎めによる追放なので、知りびとは云うまでもなく、召使たちも見送ることはできなかった。
日本婦道記:箭竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ある年、美濃みのの国の竜泰寺りょうたいじ夏安居げあんごの修行をすまされると、この秋は奥羽地方に滞在しようと、そこを出立して東国にむかわれた。旅を重ねて、やがて下野しもつけの国におはいりになった。
やがて、そこをお立ちになって、美濃みの当芸野たぎのという野中までおいでになりますと
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
まず、美濃みの国恵美郡中野方村、山田氏より昨年寄せられたる書状によるに曰く
妖怪玄談 (新字新仮名) / 井上円了(著)
世をふうして美濃みのに流され、後帰って出家し、東福寺に入り、仏照派の下僧げそうとなり、栗棘庵りっきょくあんに住み、右筆ゆうひつとなり松月庵に住んだ。で、徹書記てっしょきともよび松月庵正徹ともいう。また清巌せいがん和尚ともいった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
「ことしはすこしへんだぞ」と云ひあつてゐた豫感はあたつて、その年の夏六月九日、美濃みの、信州を中心に、諸國に大雪が降り出した。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)