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弘治
弘治三年(一五五七)七月、
越後のくに
春日山の城中では、いま領主うえすぎ
謙信を首座として、
信濃へ出陣の軍議がひらかれていた。
弘治の
美濃の内乱に、父祖以来の明智城も火中に失って、
従兄弟の
弥平治光春と、ふたりきりで越前へ落ちて行ったものである。
義竜は
弘治二年の春、
庶腹の兄弟
喜平次、
孫四郎の二人を殺し、続いて父
道三と
鷺山に
戦うて父を
滅してからは、
美濃の守護として得意の絶頂に立っていたが
“弘治”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。天文の次で、永禄の前。1555年10月23日から1558年2月28日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)