“東常縁”の読み方と例文
読み方割合
とうのつねより100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
まず正徹は東常縁とうのつねよりに答えて、常光院尭孝はつねに『草庵集』を見るようにいう由だが、頓阿時分に心をかけるのは余りだとおしえる(『東野州聞書とうやしゅうききがき』)
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
正徹・尭孝の歌学の対立の後、東常縁とうのつねよりが出た。東常縁は千葉介平常胤ちばのすけたいらのつねたねの子孫で、本来平氏。応永八年美濃みのに生れた。常胤の子胤頼たねより下総国香取郡東荘しもうさのくにかとりごおりとうのしょうを領してから東氏を名乗った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
個人の才分よりは一層おしのく二条流の格式にれて、尭孝の門弟となり、そのあとをついだのが、当時としては小大名の東常縁とうのつねより、それから歌学を継承して古今伝授のようなものを作りあげたのが
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)