あざむ)” の例文
おつぎは勘次かんじ敏捷びんせふあざむくにはこれだけのふか注意ちういはらはなければならなかつた。それもまれなことでかずかならひとつにかぎられてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
しかもけっして既成きせいつかれた宗教しゅうきょうや、道徳どうとく残滓ざんしを、色あせた仮面かめんによって純真じゅんしん心意しんい所有者しょゆうしゃたちにあざむあたえんとするものではない。
幅広き道路の両側に商家らしきが飛び/\に並んで居る様は新開地の市街たるをあざむかない。馬車は喇叭の音勇ましく此間を駈けた。
空知川の岸辺 (新字旧仮名) / 国木田独歩(著)
秀夫はあざむかれたような気がして興味もなくなったので、料理を喫ってしまって帰って来たが、どうしても不思議でたまらなかった。
牡蠣船 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
勘定奉行大橋近江守おおはしおうみのかみ殿をあざむき、本多伯耆守ほんだほうきのかみ殿にまで御迷惑をかけ、百姓共の強訴ごうそを拒んで、大公儀の御眼をくらます不届千万の処置振り
もし世間の云うように、妻が私をあざむいているのなら、ああ云う、子供のような無邪気な顔は、決して出来るものではございません。
二つの手紙 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
不随意筋ばかりで出来てるような寝台車掌コントロルウ! あの男は、確かにクイリナアレの廻し者です! 私の読心術テレパセイは、決して私をあざむきません。
踊る地平線:10 長靴の春 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
ソシテ世ニモ珍シイめぐリ合セト云ウベキハ、陰険ナ四人ガ互イニあざむキ合イナガラモ力ヲあわセテ一ツノ目的ニ向ッテ進ンデイルヿデアル。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「貴様の如き黄口児こうこうじになんでこの袁紹があざむかれようぞ。いかに嘘を構えても、謀叛心はもはや歴然だ。成敗して陣門にさらしてくれる」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
目覚しいのは、そこに生えた、森をあざむくような水芭蕉で、沼の片隅から真蒼まっさおな柱を立てて、峰を割り空を裂いて、ばさばさと影を落す。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
とかく我々が思わぬことを聞いたり見たりすると、一時案外あんがいの驚きに打たれて、その人が故意こいに我をあざむけりと判断することがある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
と鬼をあざむく文治もそゞろに愛憐あいれんの涙に暮れて、お町をかゝえたまゝ暫く立竦たちすくんで居りまする。お町はようやく気も落着いたと見えまして
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
以て役人をあざむく段不屆ふとゞき千萬なり其の申分甚だくらく且又すその血而已に有らず庭のとび石に足痕あしあとあるは既に捕手の役人より申立し如く其血を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
しかしてその間になんらの陰険なる野心もなく、またなんら選挙人をあざむくこともなく、公明正大のうちに第一回の総選挙は行われたのである。
選挙人に与う (新字新仮名) / 大隈重信(著)
イワノウィッチの感じは、彼をまったくあざむかなかった。ある晩、彼は馬車を雇って、リザベッタが楽屋から出るのを迎えていた。
勲章を貰う話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
○北上川の中古の大洪水に白髪水というがあり、白髪のうばあざむき餅に似たる焼石を食わせしたたりなりという。この話によく似たり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一個々玉をあざむこいしの上を琴の相の手弾く様な音立てゝ、金糸と閃めく日影ひかげみだしてはしり行く水の清さは、まさしく溶けて流るゝ水晶である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ツァンニー・ケンボにあざむかれてロシアは真に仏教国でその皇帝は菩提薩陲ボーデサッタ塵謌薩陲マハーサッタであると信じて居るという話を致しますと
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
菜の花はくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸がこまやかでほとんど霧をあざむくくらいだから、へだたりはどれほどかわからぬ。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
人々は、それが蝋細工と分っても、そんなもので、どうして長い間、世人せじんあざむくことが川来たのかと、不思議にたえなかった。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
自分の感じてることについて、心から自分をあざむいていた。かくて彼らの恋愛の大部分は、まったく書物から来たものであった。
人間て自分の事をめいめい好きなようにするもので、誰よりも一番うまく自分をあざむきおおせたものが、一ばん愉快に暮らしていくわけです。
これよりして、我足は日として四井街に向はざることなく、偶〻たま/\識る人に逢ふことあれば、散歩のゆくてはヰルラ、アルバニなりとあざむきつ。
しかし不幸にも現代はかかる聖賢の声を用いる事を恐れている。しかし吾々はかかる偉大な古人の教えが吾々をあざむかない事を信じねばならぬ。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「決していことじゃない。親友をあざむいているんだから、気が咎めるよ。むしろ直ぐに打ち明けて頼む方がいゝかも知れない」
田園情調あり (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
好機いっすべからずとて、ついに母上までもあざむき参らせ、親友の招きに応ずと言いつくろいて、一週間ばかりのいとまを乞い、翌日家の軒端のきばを立ちでぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
わたくしは隱岐おきの島にいてこの國に渡りたいと思つていましたけれども渡るすべがございませんでしたから、海のわにあざむいて言いましたのは
さすがに怒った寄せ手の勢は、あざむかれるとは夢にも知らず、先陣にあたった五百余人、馬乗り放してかちだちとなり、喚いて門内へ駈け込んだ。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と何の苦もなく釿もぎ取り捨てながら上からぬっと出す顔は、八方にらみの大眼おおまなこ、一文字口怒り鼻、渦巻うずまき縮れの両鬢りょうびんは不動をあざむくばかりの相形そうぎょう
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
あざむくに詞なければ、じつをもてぐるなり。必ずしもあやしみ給ひそ。吾は九三陽世うつせみの人にあらず、九四きたなきたまのかりにかたちを見えつるなり。
されどかのグアスコニアびとが未だ貴きアルリーゴをあざむかざるさきにその徳の光は、かねをもつかれをも心にとめざる事において現はれむ 八二—八四
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
私はただ人間、そして人間性というものの必然の生き方をもとめ、自我自らをあざむくことなく生きたい、というだけである。
デカダン文学論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
わたくしも、初めて、女として生れ甲斐があったということを、今こそあざむかずに申し上げることができるのでございます。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
僕の如きも現にあざむかれて居た一人いちにんのだ、そりや君、酒は飲む放蕩はうたうはする、篠田の偽善程恐るべき者は無い、現に其のおほふべからざる明証の一は
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
「紳士」という偽善の体面を持たぬ方が、第一に世をあざむくという心にやましい事がなく、社会の真相をうかがい、人生の誠の涙に触れる機会もまた多い。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
投者ピッチャーは打者に向って球を投ずるを常務とす。その正投ピッチの方、外曲アウトカーブ内曲インカーブ墜落ドロップ等種々ありけだし打者の眼をあざむき悪球を打たしめんとするにあり。
ベースボール (新字新仮名) / 正岡子規(著)
〔譯〕君子は自らこゝろよくし、小人は自らあざむく。君子は自らつとめ、小人は自らつ。上たつと下たつとは、一のの字に落在らくざいす。
恋に酔っている女性ほど、他の男に対して無慾に見えるものはない。おぬいさんの無邪気らしさにあざむかれかけたのはあまりばからしいことだった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
から、あながちそればかりを怒ッた訳でもないが、ただ腹が立つ、まだ何かの事で、おそろしくお勢にあざむかれたような心地がして、訳もなく腹が立つ。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
私の妻に會ふやうに招きます! 私があざむかれてどんな人間をめとつたかお目にかけます、そして私がその契約を破つて
私は破邪の剣を振って悪者と格闘するよりは、頬の赤い村娘をあざむいて一夜寝ることの方を好むのである。理想にも、たくさんの種類があるものである。
デカダン抗議 (新字新仮名) / 太宰治(著)
また少女の姿は、初めてひし人を動かすにあまりあらむ。前庇まえびさし広く飾なきぼうぶりて、年は十七、八ばかりと見ゆるかんばせ、ヱヌスの古彫像をあざむけり。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
彼は教授のめるのも聞かず、勇躍ゆうやく飛んで出ると、スイッチを真暗まっくらの中にさぐってパッとをつけた。たちまち室内しつないは昼をあざむくように煌々こうこうたる光にみちた。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
滿船まんせんてらそのひかり白晝はくちうあざむかんばかり、そのひかりした一個いつこ異樣ゐやうなる人影ひとかげあらはれて、たちま檣桁しやうかうたか信號旗しんがうきあがつた。
なぜなら、自然のみが、どこに行っても、莞爾かんじとして、遊子をふところにいれてあざむかないからだ。しかし、変らないというばかりでは、このことは説明されない。
彼等流浪す (新字新仮名) / 小川未明(著)
雪をあざむくとか玉の肌とかいふのはこんなのを指すのであらうかと、まだ物心のつかぬ少年の私も、何となく一種眩しい思ひなしにぬすみ見ることも出来なかつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
紫の野郎帽子に額を隠し、優にやさしい女姿、——小刻みに歩み行く、﨟たけたこの青年俳優わかおやまの、星をあざむく瞳の、何とにわかに凄まじい殺気を帯びて来たことよ!
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
と、自分の計画が、の程度大岡をあざむき得たかを知りたさに、と同時に、それは、越前守の器量を試す事にもなるという意味から、聞くと、越前は、微笑して
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
または悪辣あくらつな売淫周旋業者と売淫業者との巧弁悪計にあざむかれて身を売るというような原因も加っている。
私娼の撲滅について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
一時の豪気ごうきは以て懦夫だふたんおどろかすに足り、一場の詭言きげんは以て少年輩の心を籠絡ろうらくするに足るといえども、具眼卓識ぐがんたくしき君子くんしついあざむくべからずうべからざるなり。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)