さかずき)” の例文
すると、軽く膝をいて、蒲団ふとんをずらして、すらりと向うへ、……ひらきの前。——此方こなたに劣らずさかずきは重ねたのに、きぬかおりひやりとした。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さかずきのめぐるままに、人々の顔には微醺びくんがただよう。——詩の話、和歌うたの朗詠、興に入って尽きないのである。と、思い出したように
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さかずきかずがだんだんかさなるうちに、おかしららしいおには、だれよりもよけいにって、さもおもしろそうにわらいくずれていました。
瘤とり (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
その前夜には、二人の弟もその妻たちも妹もそろって大森の両親のもとにあつまった。そうして一同が私のために盛んにさかずきをあげてくれた。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
気をかえようとして取り上げたのが、さかずきではなくて、火の消えた煙管でしたから、それが一層、七兵衛をめいらせるような気持にして
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
どのテーブルにもアペリチーフのさかずきを前にした男女が仲間とおしゃべりするか、煙草たばこの煙を輪に吹きながら往来おうらいを眺めたりしている。
異国食餌抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「馬鹿! 一升餅くらいで、一里からの雪路ゆきみち、吉田様まで、誰が行くものか。おれの欲しいの、餅なんかじゃねえ。銀のさかずきを欲しいのだ。」
手品 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
夫婦のかためのさかずきはあったが、夫婦の語らいはなかった。で、お綾さんが里へ来て、その事をお母様へお話をしたものらしい。
高橋信造は此処ここまで話して来てたちまかしらをあげ、西に傾く日影を愁然しゅうぜんと見送って苦悩にえぬ様であったが、手早くさかずきをあげて一杯飲み干し
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
そして親類たちは、私とその男とを並べて座らせて、例の三々九度さんさんくどさかずきというのを取り交わさせて、「おめでとう」と祝ってくれたのです。
そして、漁師が大きな魚をもってきたのをよろこんで、高坏たかつきに盛った桃を与え、そのうえさかずきを与えて十分おのませになった。
無限の残忍なる風に橄欖かんらんの木立ちの震える頃、星をちりばめた大空のうちに、影をしたたらせ暗黒にあふれてる恐るべきさかずきが前に現われた時
「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大軽蔑だいけいべつの調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」とさかずきを出す。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
マリイは物語のなかばより色をたがへて、目は巨勢が唇にのみ注ぎたりしが、手に持ちしさかずきさへ一たびは震ひたるやうなりき。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「槍には三位のくらいがある。いわば武器の王様だ。どいつだ、王様を馬鹿にするのは!」わめいているのは丸橋忠弥、朱塗りのさかずきが膝の前にある。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
実にこの差別は天地霄壌てんちしょうじょうもただならざる差別であって、ヨブは大苦難のさかずきを飲みしために、ついにかくの如き霊的進歩をぐるに至ったのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
かれ微笑びしょうもっくるしみむかわなかった、軽蔑けいべつしませんでした、かえって「このさかずきわれよりらしめよ」とうて、ゲフシマニヤのその祈祷きとうしました。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
右近は、酒杯さかずきを持った手をわざとふるわせて見せた。黄金こがね色の液体がさかずきのふちからあふれ落ちて、右近の手をつたい、ひじからひざへしたたっている。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
しかしやっとひと息ついたと思うと、今度は三鞭酒シャンパンさかずきを挙げて立ち上らなければならなかった。それはこの晩餐の中でも最も苦しい何分かだった。
たね子の憂鬱 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
私は飲んだくれだが、さかずき徳利とっくりも持たず、ビールの栓ぬきも持っていない。部屋では酒も飲まないことにしていた。
いずこへ (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
さかずきに触れなば思い起せよ、かつて、そは、King Hiero のうたげにて、森蔭深き城砦じょうさいの、いと古びたる円卓子に、将士あまた招かれにし——私は
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
彼はお幸ちゃんの置いた一合びんるなり、じぶんいで飲み、また注いで飲んで、三ばい目のさかずきを下に置いた。
雪の夜の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「僕にも近頃流行はやるまがい物の名前はわからない。贋物にせものには大正とか改良とかいう形容詞をつけて置けばいいんだろう。」と唖々子は常にさかずきなさない。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
今となっては如何どうやら一日位は延ばしてもいような心持になっているうちに、支度はズンズン出来て、さて改まって父母ちちははと別れのさかずきの真似事をした時には
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
初めは風の音かと思っていましたが、それが何度も続くものですから、平助も少し気になりました。彼はさかずきを前に置いて、表の方をふり返りながらたずねました。
正覚坊 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
総大将は若旦那の利太郎それに幇間ほうかん芸者等の末社まっしゃが加わり春琴には佐助が附き添って行ったこと云うまでもない佐助はその日利太郎始め末社からちょいちょいさかずき
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
長十郎はその日一家四人と別れのさかずきかわし、母のすすめに任せて、もとより酒好きであった長十郎は更に杯を重ね、快く酔って、微笑を含んだまま午睡ごすいをした。
と叫んで、花田の前に立ちはだかり、さかずきをカチンと合わせた。グッとほして、お互の肩を叩き合う。
月と手袋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それから、巫女たちの眼が、花の冠のかげでキラキラ光って、花の冠は黒っぽくしたいわ。とらの皮や、さかずきも、忘れないでちょうだい。——それにきんだわ、金をどっさりね
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
俊寛 今わしが流すこのあぶらのような涙をお前の歓楽のさかずきに注ぎ込んで飲まさずにはおかぬぞよ。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
二階は貴衆両院議員の有志が懇親会とやら抜けるほどの騒ぎに引きかえて、下の小座敷はおんなも寄せずただ二人ふたり話しもてさかずきをあぐるは山木とかの田崎と呼ばれたる男なり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
自分からもガラッ八を説いて、「いざ三三九度のさかずきという時、真物ほんものの聟の錦太郎と入れ替らせるから」という条件で、ようやく聟入りの偽首になることを承知させたのでした。
うつくしいおんなたちは、かなしい、やるせないうたをうたいながら、酒場さかばまえをあるいていました。若者わかものたちは、夕焼ゆうやけのようにあかい、サフランしゅさかずきを、くちびるにあててあじわっていました。
砂漠の町とサフラン酒 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ひとりひとりの食卓しょくたくの上には、おさらさかずき食器しょっきがひとそろいならべてあって、それは、大きな金の箱にはいっている、さじだの、ナイフだの、フォークだので、こののこらずが
眠る森のお姫さま (新字新仮名) / シャルル・ペロー(著)
花魁の位牌とさかずきをしてくれたらば、若草が成仏するだろう、わしうらみも晴れるというのですが、是は田舎気質の婆さんだから屹度きっと晴れるかも知れませんよ、お呪咀まじないさえ利きますから
かつ采女うねめをつとめたことのある女が侍していて、左手にさかずきを捧げ右手に水を盛った瓶子へいしを持ち、王のひざをたたいて此歌を吟誦したので、王の怒が解けて、楽飲すること終日であった
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
夏の暑い盛りだと下帯一つの丸裸で晩酌の膳の前にあぐらをかいて、渋団扇しぶうちわで蚊を追いながら実にうまそうにさかずきをなめては子供等を相手にして色々の話をするのが楽しみであったらしい。
重兵衛さんの一家 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
御前へ女二にょにみやのほうから粉熟ふずくが奉られた。じんの木の折敷おしきが四つ、紫檀したん高坏たかつき、藤色の村濃むらご打敷うちしきには同じ花の折り枝が刺繍ぬいで出してあった。銀の陽器ようき瑠璃るりさかずき瓶子へいし紺瑠璃こんるりであった。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
アウシュコルンは驚惶きょうこうていで、コーンヤックの小さなさかずきをぐっとのみ干して立ちあがった。長座したあとの第一歩はいつもながら格別に難渋なので、今朝けさよりも一きわしざまに前にかがみ
糸くず (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
二人の前のさかずきに、ゼラール中尉の注文によって注がれた酒は、地回りの葡萄酒で——収穫の僅かなベルギー産の葡萄から作ったものでかなり上品な味を持っていたが、パリに二年も留学して
ゼラール中尉 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そこには細君と一人の下男とが一つのさかずきの酒を飲みあっていたが、そのさまがいかにも狎褻おうせつであるから周は火のようになって怒り、二人をとらえようと思ったが、一人では勝てないと思いだしたので
成仙 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
ともかくも御身おんみの意見に任すべしとうべなわれなお重井にして当地に来りなば、宅に招待して親戚にも面会させ、その他の兄弟とも余所よそながらのさかずきさせんなど、なかなかに勇み立たれければ、妾も安心して
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
私のさかずきは大きくはないが、しかし私は……他人の杯で飲む。
「おさかずきをさし上げて、失礼でござんせんければ——」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
「お父上様、おさかずきをいただかしてくださいませ。」
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
おかしらのおにもおさかずきひだりの手にって、おもしろそうにわらいながらいています。その様子ようすすこしも人間にんげんちがったところはありません。
瘤とり (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
われら三人は、桃園に義を結んで、兄弟のさかずきをかため、同年同日に生るるを求めず、同年同日に死なんと——誓い合った仲ではなかったか
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
待遇もてなすやうなものではない、銚子ちょうしさかずきが出る始末、わかい女中が二人まで給仕について、寝るにも紅裏べにうら絹布けんぷ夜具やぐ枕頭まくらもとかおりこうく。
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
出し抜けに呼びかけられた若者は倔強くっきょう頸筋くびすじを曲げてちょっとこっちを見た。すると小林はすぐさかずきをそっちの方へ出した。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今宵こよいは月の光をさかずきみて快く飲まん、思うことを語り尽くして声高く笑いたし、と二郎は心地ここちよげに東の空を仰ぎぬ。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)