つえ)” の例文
おかの麦畑の間にあるみちから、中脊ちゅうぜい肥満ふとった傲慢ごうまんな顔をした長者が、赤樫あかがしつえ引摺ひきずるようにしてあるいて来るところでありました。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
若君のお刀は伝家の宝刀、ひとの手にふれさせていいしなではありませぬ。また、拙者せっしゃつえ護仏ごぶつ法杖ほうじょうおいのなかは三尊さんぞん弥陀みだです。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一人は細いつえ言訳いいわけほどに身をもたせて、護謨ゴムびき靴の右の爪先つまさきを、たてに地に突いて、左足一本で細長いからだの中心をささえている。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その晩月が出るのを待って、三人は八幡様はちまんさまへ出かけました。次郎七と五郎八とはなわを持ち、老人は南天なんてんの木の枝をつえについていました。
狸のお祭り (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
つな家来けらいもんのすきまからのぞいてみますと、白髪しらがのおばあさんが、つえをついて、かさをもって、もんそとっていました。家来けらい
羅生門 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
老婆は、蛙股かえるまたつえにあごをのせて、もう一度しみじみ、女のからだを見た。さっき、犬が食いかかったというのは、これであろう。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「では……」と云って、自然木のつえを突いて、やや皮肉な笑いをうかべ、もういちど、「それでは」と云って、そうして去っていった。
似而非物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
其処そこでもう所詮しよせんかなはぬとおもつたなり、これはやまれいであらうとかんがへて、つえてゝひざげ、じり/\するつち両手りやうてをついて
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その意見に反対しようものなら、すぐにつえを振り上げた。大世紀(訳者注 ルイ十四世時代)のころのようになぐりつけまでした。
遠くで梟が鳴いています。いずれ本屋でしょうが、どんな御本がお気に入ったのかと思いました。御手にはつえばかりのようでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
そのなかにもなおわずかにわが曲りしつえとどめ、疲れたる歩みを休めさせた処はやはりいにしえのうたに残った隅田川すみだがわの両岸であった。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
薄汚うすぎたない法衣ころもを着て、背には袋へ入れた琵琶を頭高かしらだかに背負っているから琵琶法師でありましょう。莚張むしろばりの中へつえを突き入れると
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ある時分家に遊びに来て帰途かえりみち、墓守が縁側に腰かけて、納屋大小家幾棟か有って居ることを誇ったりしたが、つえを忘れて帰って了うた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
つえがつきものになっている魔法使いはたいていばあさんかじいさんであるが、しかし彼らの杖はだいぶ使用の目的が違っていて
ステッキ (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼は我が児以上に春琴の身を案じたまたま微恙びようで欠席する等のことがあれば直ちに使つかいを道修町に走らせあるいは自らつえいて見舞みまった。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
フィールスがはいってきて、自分のつえを横手のドアのそばに立てかける。ヤーシャも客間からはいって来て、ダンスを見物する。
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
塩田は散歩するに友をいざなわぬので、友がひそかに跡に附いて行って見ると、竹のつえを指の腹に立てて、本郷追分おいわけへん徘徊はいかいしていたそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
村の人が大勢出て見ると、若い法師がつえをもって田の水口に立ち、みぞの水をかきまわしているのが、月の光でよく見えました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのうちに、おまんもつえをついて裏二階の方からかよって来た。いよいよ輝きを加えたこの継母の髪の白さにも彼の頭はさがる。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ただ気違いじみた空威張からいばりから、手にしたつえで、ちょうど愛妻の死骸が内側に立っている部分の煉瓦細工を、強くたたいた。
黒猫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
まるで背中の所で二つに折れたみたいに、腰が曲っていて、歩くにも、つえにすがって、鍵のように折れ曲って、首だけで向うを見て歩くのよ。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
大八車だいはちぐるまが続けさまに田舎いなかに向いて帰って行く小石川の夕暮れの中を、葉子はかさつえにしながら思いにふけって歩いて行った。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
火鉢の縁にひじをもたせて、両手で頭を押えてうつむいている吉里の前に、新造しんぞのお熊が煙管きせるつえにしてじろじろと見ている。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
村方むらかたの家々にてはあわてゝ戸を閉じ子供は泣く、老人はつえを棄てゝにげるという始末で、いやもう一方ひとかたならぬ騒ぎでございます。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
おれは火の玉の兄きがところへ遊びに行たとお吉帰らば云うておけ、と草履ぞうりつっかけ出合いがしら、胡麻竹ごまだけつえとぼとぼと焼痕やけこげのある提灯ちょうちん片手
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
わたくしがある海岸かいがんあそんでりますと、指導役しどうやくのおじいさんがれいながつえきながら彼方むこうからトボトボとあるいてられました。
お前はうちの一人息子、わたしにとってもドゥーニャにとっても、お前はこの世のすべてです、つえとも柱とも頼むほどです。
シュルツとクンツとは、報知を心の中でくり返し考えながら、うわの空の言葉をかわしていた。突然クンツは立ち止まって、つえで地面をたたいた。
B えええ、つえをついてやっと歩く位の年寄だから牛乳壜はもとより、お爺さんはそこへ転んだのですって。Cさんはびっくりして抱起しながら
大きな手 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
なにしろ、前が見えないのに、どんどん進んでいくのだから、まるで眼の見えない人が、つえなしで、がけのうえをはしっているようなものであった。
地底戦車の怪人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
面会に来たのはつえをつき、腰の半ば曲った老婆であった。黄色い日の弱々しく流れた庭の一隅に、影法師をおとして二人は向い合って立っている。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
父親の親類というのはどこにもなく、生命いのちの綱ともつえとも柱とも頼んでいた弟に死なれてからは本当の母ひとり娘ひとりのたよりない境涯きょうがいであった。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
黄昏たそがれの暗さに大槻の浴衣ゆかたを着た後姿は小憎らしいほどあざやかに、細身のつえでプラットホームの木壇もくだんたたいている。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
ことに水夫らにとっては、まるで盲人がつえをかついで、文字どおり盲滅法に走っているように思われるのであった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
あくる朝、わたしは早く起きて、庭の木でつえを一本作ると、城門の外へ出て行った。ちょっと散歩をして、うさ晴らしをしてやれ、と思ったのである。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
しかし、わたしはお別れに臨んで、悪魔のつえによって隠されたる原因をはっきりと申し上げておきたく存じます。
錯覚の拷問室 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
宮内はまだ、そこに死んでいるのではなかった、大刀をつえに、棟をまたいで突っ起ったが、乱髪を一とふり振った。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
いちばん年上の男は腰帯こしおび水筒すいとうを下げ、頭のそばにはパン種のはいらないパンをいれたふくろをもっていましたが、この男がつえで砂の上に正方形をえがいて
不意にすべけた すると頭の上にあった荷物が横になって片手で上げにゃあならんようになった。もうつえは間に合わぬようになってずんずん流された。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
わが玉の緒の断えんばかり悲しい時に命のつえとすがった事のあるおはまである。ほかの事ならばわが身の一部をさいても慰めてやらねばならないおはまだ。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
もし彼らを失ったら、永きこの世の旅に誰か堪え得るであろう。遍路のつえには「同行二人どうぎょうににん」と記してあるが、工藝をかかる旅の同行と云い得ないであろうか。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
合戦のいきおいがまた盛返もりかえしたとの注進もうつろ心に聞きながし、わたくしは薙刀なぎなたつえに北の御階みはしにどうと腰をえたなり、夕刻まではそのまま動けずにおりました。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
何しろ周三は、其のさいがせきゝてゐて、失敗の製作までも回護かはふだけ心に餘裕よゆうがなかツた。雖然奈何なる道を行くにしても盲者めくらつえを持ツことを忘れない。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
その先達に初歩ふみはじめおそわってこの道に入りましてから、今年でもう十六年になりますが、つえとも思うは実にこのほんで、一日もそばを放さないのでございますよ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
わか椿つばきの、やわらかいはすっかりむしりとられて、みすぼらしいつえのようなものがっていただけでした。
牛をつないだ椿の木 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
つえにすがりてよろよろと、本の藁屋わらやへかえりけり、百年ももとせうばと聞こえしは、小町が果ての名なりけり……
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
親鸞 良寛、ちょっと私のおいを見てくれ。最前つえがあたった時に変な音がしたのだが、もしかすると……
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
つえを突いて、ヨボヨボ歩いている可哀そうな姿を見ると、大抵たいていいえでは買ってやるようでありました。
納豆合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
岸に沿って彎曲わんきょくしている防波堤の石に腰かけてつえをたらせばその先の一、二寸はらくに海水にひたる。
そこからは腰の痛みの軽い日は、つえすがりながらでも、笠寺観音から、あの附近に断続して残っている低い家並に松株が挟まっている旧街道の面影を尋ねて歩いた。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)