大和やまと)” の例文
『おもろ草紙そうし』を見てもわかるように、勝連が当時の文化の中心であったことは大和やまとの鎌倉のごとしと歌われていた通りであった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
やはり大和やまとながらの女性は女性のたしなみを忘れかねるとみえて、見るも悩ましく、知るも目にあざやかな紅の切れでありました。
釣殿というのも大和やまとのなにかの堂を模してつくらせた茶室で、中には畳のしかれた部屋と支那風の卓とイスをおいた部屋と二つあった。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
天皇は、沙本毘古王さほひこのみこという方のお妹さまで沙本媛さほひめとおっしゃる方を皇后におしになって、大和やまと玉垣たまがきの宮にお移りになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
かねてから、範宴の宿望であった大和やまとの法隆寺へ遊学する願いが、中堂の総務所に聴き届けられて、彼は、この初秋はつあきを、旅に出た。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先き頃、京阪方面の古刹めぐりから戻られた柳井先生の旅がたりのうちに、大和やまと中宮寺の「天寿国曼荼羅」のおはなしがあった。
痀女抄録 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
大和やまとくにのある山寺やまでら賓頭廬樣びんずるさままへいてあるいしはち眞黒まつくろすゝけたのを、もったいらしくにしきふくろれてひめのもとにさししました。
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
結婚してからすぐ、俊寛は、妻に大和やまと言葉を教えはじめた。三月経ち四月経つうちには、日常の会話には、ことを欠かなかった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ぬかしてたまるか。危険よ、困難よ、不幸よ、さあくるならいくらでもこいだ。われら大和やまと民族は、きさまたちにとっては少々手ごわいぞ
宇宙戦隊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
今また何かの姿に身をやつして、伊那いなの谷のことを聞き伝え、遠く大和やまと地方から落ちて来る人のないとは半蔵にも言えなかった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
するとその伊藤君が我々より一日前に同じ大和やまとホテルに泊っていたので、ただ、やあ来ているねぐらいでは事がすまなくなった。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
美しい色をした撫子なでしこばかりを、唐撫子からなでしこ大和やまと撫子もことに優秀なのを選んで、低く作ったかきに添えて植えてあるのが夕映ゆうばえに光って見えた。
源氏物語:26 常夏 (新字新仮名) / 紫式部(著)
百済野は大和やまと北葛城きたかつらぎ百済くだら村附近の原野である。「萩の古枝」は冬枯れた萩の枝で、相当の高さと繁みになったものであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
恩を知るをもって大和やまと民族の特長などとほこっても、しばしば自分にかえりみないと、人から受けた親切ほど忘れやすいものはない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
大和やまとへの旅、わけても法隆寺から夢殿、中宮寺界隈かいわいへかけての斑鳩いかるがの里の遍歴が、いつしか私の心に飛鳥びとへの思慕をよび起したのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
軍監府では河内かわち大和やまと辺から、旧幕府の役人の隠れていたのを、七十三人捜し出して、先例によって事務を取り扱わせた。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
したがって「いき」とは東洋文化の、否、大和やまと民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差支さしつかえない。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
あの大和やまと法隆寺ほうりゆうじなどのおほきい伽藍がらん出來でき時分じぶんに、いままで私共わたしども古墳こふんがなほつくられてをつたのであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
わしの先祖が、人種学上、純正の大和やまと民族なのか、それとも、もっと劣等な人種から出ているのか、よくは知らない。
白髪鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
京の清水きよみずの観音様や、大和やまと長谷はせの観音様など、なかまの名高い仏様にも会ってこられたそうだし、そのほか、あちこち、まわってこられたそうだ。
長彦と丸彦 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
摂津せっつ大阪おおさかにある四天王寺してんのうじ大和やまと奈良ならちか法隆寺ほうりゅうじなどは、みな太子たいしのおてになったふるふるいおてらでございます。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
大和やまとの国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉いずみの国、河内かわちの国を始めとして、事によると播磨はりまの国、山城やましろの国、近江おうみの国、丹波たんばの国のあたりまでも
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「江戸ッ子」というのは、つまりえ抜きの東京人で、吾が大和やまと民族の性格のすいを代表していると云われている。
『そうのみともかぎりませぬ。たまにはちちのおともをして大和やまとにのぼり、みかどのお目通めどおりをいたしたこともございます……。』
私が大和やまとの吉野のおくに遊んだのは、すでに二十年ほどまえ、明治の末か大正の初めころのことであるが、今とはちがって交通の不便なあの時代に、あんな山奥
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
大和やまとには宇野七郎親治うののしちろうちかはるの子の太郎有治たろうありはる、次郎清治きよはる、三郎成治なりはる、四郎義治よしはる。またさらに近江には山本、柏木、錦織にしごり
それをすすめた人間は大和やまと塗師ぬしやをしている男でその縄をどうして手に入れたかという話を吉田にして聞かせた。
のんきな患者 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
京島原の月、大和やまと三輪初瀬の月、紀伊路の夜に悩んだこともあれば、甲斐の葡萄ぶどうをしぼる露に泣いたこともある。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
老中がたは酒井(雅楽うた)侯、稲葉(美濃みの)侯、阿部(豊後ぶんご)侯。またお側衆そばしゅう久世くぜ大和やまと)侯であった。
ここで近畿きんき地方というのは便宜上、京都や大阪を中心に山城やましろ大和やまと河内かわち摂津せっつ和泉いずみ淡路あわじ紀伊きい伊賀いが伊勢いせ志摩しま近江おうみの諸国を包むことと致しましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
海軍は吹上浜ふきあげはまに上陸を予想し、陸軍は宮崎海岸の防備に主力を尽しているという噂がまことしやかに語られた。沖縄は既に玉砕したし、大和やまとの出撃も失敗に終った。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
種吉は若い頃お辰の国元の大和やまとから車一台分の西瓜を買って、上塩町の夜店で切売りしたことがある。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
次は女の子で大和やまとの方へ嫁入し、三番目は又男の子で、それは豊雄とよおと云って物優しい生れであった。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
彼のまことの母の春日野かすがのは、弟が引き取られると同時に行方が分らず、津の国で見た者がいるともいい、大和やまと宮司ぐうじの家で見た者もいるといい、まちまちな噂であった。
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
卑しき桂の遊女の風情によそいて、たいらの三郎御供申し、大和やまと奥郡おくごおりへ落し申したる心外さ、口惜くちおしさ。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
大和やまと春日かすが神社に奉仕していた大和猿楽師さるがくしの中、観世座かんぜざ観阿弥かんなみ世阿弥ぜあみ父子が義満のちょうによって、京都に進出し、田楽でんがくの座の能や、諸国の猿楽の座の芸を追い抜いて
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
かくて志士しし仁人じんじんに謀りて学資の輔助ほじょを乞い、しかる上にて遊学ののぼらばやと思い定め、当時自由党中慈善の聞え高かりし大和やまとの豪農土倉庄三郎どくらしょうざぶろう氏に懇願せんとて
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
天業てんげふ恢弘くわいこう黎明しののめ、鎭みに鎭む底つ岩根いはねの上に宮柱みやばしらふとしき立てた橿原かしはら高御座たかみくらを、人皇第一代神倭磐余彦かむやまといはれひこ天皇すめらみことを、ああ、大和やまとは國のまほろば、とりよろふ青垣あをがきとびは舞ひ
新頌 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
神武天皇じんむてんのうが、大和やまとくにのたかさじといふところで、のち皇后樣こう/″\さまになられた、いすけよりひめといふおかたに、はじめておひなされたとき、おとものおほくめのみことが、天皇樣てんのうさま代理だいり
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
また、大和やまとの吉野の桜木明神社に、林中の樹木の幹枝ともに、疱瘡ほうそうを発せしがごとき小瘤しょうりゅうが見えている。ゆえに、古来、この木に信願すれば、疱瘡を免るるといい伝えている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
八重山島や与那国島にある大和やまと墓や八島やしま墓は、七百年前の平家の落武者の墓であるということになっているが、幣原〔坦〕博士の『南島沿革史論』にも同様のことが見えている。
土塊石片録 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
「こんど、大阪へ演奏にいったら、私がプランをたてて、大和やまとめぐりに行きましょう。」
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
八月から四年四月までのあいだに大和やまと生野いくの筑波つくばの挙兵、六月の長兵大挙上洛と蛤門はまぐりもんの敗戦、ただちに征長詔勅、そして征長軍が進発しないうち四国連合艦隊に攻められて大敗
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
私はこの頃大和やまと高取たかとり素十すじゅう君の仮住居をたずねた。その時の句にこういう句があった。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
黙々もくもく先生は歴史の進行とともに地理を展開させた、神武じんむ以来大和やまと発祥はっしょうの地になっている、そこで先生は大和の地理を教える、同時に大和に活躍した人物の伝記や逸話等を教える。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
それから、よろいですが、これはばくとしてほとんど拠所よりどころがありません。大和やまと河内地方へ行けば、何処どこにも楠公の遺物と称するものはいくらもあるけれども、一つも確証のあるものはない。
われわれに開闢かいびゃく以来大和やまと民族が発音した事のない、T、V、D、F、なぞから成る怪異な言語をい、もしこれを口にし得ずんば明治の社会に生存の資格なきまでに至らしめたのは
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
先年俗にいふ大和やまとめぐりしたるをり、半月あまり京にあそび、旧友きういうの画家春琴子しゆんきんしつい諸名家しよめいかをたづねし時、鴻儒かうじゆきこえ高きらい先生(名襄、字子成、山陽と号、通称頼徳太郎)へもとむら
第一期第二期を通じて変遷の跡をたどり得べきものは大和やまとあるいは京都の言語を中心とした中央語であって、その後身たる現代の言語は、東京語ではなく京都語ないし近畿の方言であるから
国語音韻の変遷 (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
物の味と連想も、先程申上げた通り、私の興味を大きく支配して、キャラメルをしゃぶると、日本アルプスの遭難を思い出し、塩味のうどんかけを食べると、大和やまとめぐりの貧乏旅行を思い出します