一先ひとま)” の例文
遭難船なんてめずらしい観物みものだ。これから甲板へ駈け上って、写真にうつして置こうと思う。だから原稿は、一先ひとまずここにて切る。
沈没男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
この幼年時代について思い出すがままに書きちらした帳面を一先ひとまず閉じるために、私がもう十二三になってから、本当に思い設けずに
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
一先ひとまず女をわがに引取り男の方へは親許の勘当ゆりるまで少しの間辛抱して身をつつしむようにといい含めて置いたのである。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「その駕は裏門から中庭へかつぎ込まれ、充分様子は分りませぬが、何しろ泥酔しているので、一先ひとまず一室へ寝かしたらしい気配でござる」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
書きたい事に切りがありませんが、其は他日の機会に譲って、読者諸君の健康を祝しつつここに一先ひとまず此手紙の筆をさしおきます。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
左右に居ります縄取なわとりの同心が右三人へ早縄を打ち、役所まで連れきまして、一先ひとまず縄を取り、手錠をめ、附添つきそい家主やぬし五人組へ引渡しました。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
で、勝敗しようはい紀念きねんとして、一先ひとまづ、今度こんど蜜月みつゞきたび切上きりあげやう。けれども双六盤すごろくばんは、たゞ土地とち伝説でんせつであらうもれぬ。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
『いろ/\くわしいことうけたまはりたいが、最早もはやるゝにもちかく、此邊このへん猛獸まうじう巣窟さうくつともいふところですから、一先ひとま住家すみかへ。』とじうつゝもたげた。
三谷は、一先ひとまず下宿に引上げたし、変事を聞いてかけつけた親戚の者なども、帰ったあとで、邸内には執事の斎藤老人を初め召使ばかりであった。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
三人はなお語った。話は遂に一小段落を告げた。田中は今夜親友に相談して、明日か明後日までに確乎かっこたる返事をもたらそうと言って、一先ひとまず帰った。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
一先ひとまず宿に帰って来た、食堂の広い窓からは今の林の真上に、ブリュームリスアルプが正面をきって並んでおる。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
日本の中央部、全版図の約半分の虎杖方言はこれで一先ひとまず分ったとして、他の半分を占める国の端々が、いかなる異同を示すかをこの次には考えて見る。
西園寺公は一先ひとまず良書であり、能書であるが、スケールは小さい。大胆とか放胆とかいう偉なるものはない。この点、副島種臣そえじまたねおみに如く者は他に一人もない。
人と書相 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
果してそうならば問題がまた重大になって来るので、死体を一先ひとまず室内へき入れて、何ややと評議をしているうちに、短い夏のはそろそろ白んで来た。
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
つまりAはそこで、久美子と子供達の写真を、何枚か撮っただけで、一先ひとまず探険を切上げて来ればよかったのですが、そうしなかったのがAの運の尽きでした。
キチガイ地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
信吾去り、志郎去り、智恵子去り、吉野去つて、夏二月の間に起つた種々いろいろ事件ことがらが、一先ひとま結末をはりを告げた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
一波瀾ひとはらんを生じた刑事事件はこれで一先ひとま落着らくちゃくを告げた。迷亭はそれから相変らず駄弁をろうして日暮れ方、あまり遅くなると伯父におこられると云って帰って行った。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
歸營きえいしてから三日目かめあさだつた。中隊教練ちうたいけうれんんで一先ひとま解散かいさんすると、分隊長ぶんたいちやう高岡軍曹たかをかぐんそう我々われわれ銃器庫裏ぢうきこうらさくら樹蔭こかげれてつて、「やすめつ‥‥」と、命令めいれいした。
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
相当な時間の長ばなしに、陽は登々と天に上り、春先の庭も一先ひとまず定まった光線に引締められ、すこし硬ばった感じのまゝ日中の光景の第一歩に足を踏み入れかけました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そして二人に勧められるまま一先ひとまず山を下ることにしたのです。が、二人ともこの先まで、道がわかるところまで送って行くと、私と連れ立って山道を辿たどり始めました。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
色内町の越中屋に一先ひとまず足を休めたが、井口氏は病気を発したので、到頭小樽に残ることになった、余ら四人は即日小樽を出発して日高丸に乗込んだ、元来利尻に行くのには
利尻山とその植物 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
そして準備が完成した時、一先ひとまず蛹となって昏睡し、再度新しく世に出た時には見ちがうばかりに美しい肉体と旺盛な性慾を持ったところの、水々しい青春の男に化している。
老年と人生 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
おまけに小雨こさめさへしたので、一先ひとまあやしき天幕てんとしたに、それをけてると、うしろはたけにごそめくおとがするので、ると唯一人たゞひとり、十六七の少女せうぢよが、はたなかくさつてる。
「何をするかは、私自身にもまだはっきりわかっていない。行く先は一先ひとまず東京だ。みんなには君からそう言っておいてくれたまえ。送別式の時には言うつもりではいるがね。」
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
磐瀬いわせもりは既にいった如く、竜田町の南方車瀬にある。ならしのおかは諸説あって一定しないが、磐瀬の杜の東南にわたる岡だろうという説があるから、一先ひとまずそれに従って置く。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
それがどうやら今日までで一先ひとまず片付いて妹はともかく国の親類で引取る事になった。
障子の落書 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
かの女の肉体の地図に戦争の持つ赤手袋を穿めて、僕は他日を約して一先ひとまず退却だ。
戦争のファンタジイ (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
軒端の材木から、熱のためにガスが噴き出て、それに一先ひとまず点火されるのであろう。
春の盗賊 (新字新仮名) / 太宰治(著)
前後左右から引きも切らずに来る雑多な車の刹那せつなの隙を狙つて全身の血を注意に緊張させ、悠揚いうやうとしたはや足になかばこえて中間にある電灯の立つた石畳を一先ひとま足溜あしだまりとしてほつと一息つき
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
この時氏家は何か申し立てんとせしも、裁判長は看守押丁らに命じて、氏家を退廷せしめ、裁判長もまたこの事柄につき、相談すべき事ありとて一先ひとまず廷を閉じ、午後に至りて更に開廷せり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
明治の初年に狂気のごとく駈足かけあしで来た日本も、いつの間にか足もとを見て歩くようになり、内観するようになり、回顧もするようになり、内治のきまりも一先ひとまずついて、二度の戦争に領土は広がる
謀叛論(草稿) (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
その方向に一先ひとまず目標を置いて、この野を横切れと命じていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
ついに安永三年八月に至ってその仕事を一先ひとまず完成しました。
杉田玄白 (新字新仮名) / 石原純(著)
一先ひとまず引取り給え」
ガラマサどん (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
やがてこの調査団室の風が一先ひとまず鎮まる時が来た。それはワーナー博士が自席に戻りハンカチーフで額の汗を拭ったことによって知れた。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
いずれ一先ひとまずは江戸表で、軍議その他の余日もあろうに、夜を通してまで先を争い行くのは、功利以外の何ものでもない。
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一先ひとまず帰宅して寝転ぼうと思ったのであるが、久能谷くのやを離れて街道を見ると、人の瀬を造って、停車場ステイション押懸おしかけるおびただしさ。
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一先ひとまず宿に帰ることにして、の岡づたいに村の方へ歩いて行く、どこのホテルも申し合せたように閉って、殆んど人間を見かけない、天気のいいのも
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
というのは病中の山野大五郎氏が、当夜彼女が一度も寝室を出なかったことを明言したのだ。それによって山野夫人に対する嫌疑は一先ひとまず解かれた形であった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と一通りの挨拶をして、大分も更けましたゆえ藤原喜代之助はいとまを告げて、一先ひとまず我家へ帰りました。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
市郎は蝋燭を岩の罅間さけめに立てて、一先ひとまず父の亡骸なきがらを抱きおこしたが、脈はうに切れて、身体は全く冷えていた。しかし一通り見た所では、何処どこにも致命傷らしいきずの痕は無かった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これからあんな深山幽谷しんざんいうこく進入しんにふするのは、かへつ危險きけんまねくやうなものだから、しま探險たんけん一先ひとま中止ちうしして、かくふたゝ海岸かいがんかへらんときびすめぐらす途端とたん日出雄少年ひでをせうねんきふあゆみとゞめて
パンテオンのそばのオテル・スフロウにとまつてから一箇月近く経つた。この宿は最初和田英作えいさく君などの洋画界の先輩が泊つて居た縁故えんこ巴里パリイへ来る日本人は今でも大抵一先ひとま此処ここへ落ち着く。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
一先ひとまづ一どうは、地主ぢぬしの一にんたる秋山廣吉氏あきやまひろきちしたくき、其所そこから徒歩とほで、瓢簟山ひようたんやまつてると、やま周圍しうゐ鐵條網てつでうもうり、警官けいくわん餘名よめい嚴重げんぢゆう警戒けいかいして、徽章きしやうなきもの出入しゆつにふきんじてある。
とてもこの世では添われぬ縁ゆえ一先ひとまずわが親里の知人しりびとをたより其処そこまで落延びてから心安く未来の冥加みょうがを祈り、共々にあの世へ旅立つという事の次第がこまごまと物哀れに書いてあった。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ともかくその手紙を見せて名残は惜しいが一先ひとまず帰京することに決めました。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
しかしてその騒ぎが一先ひとまず落着し、それぞれの処置を終ると間もなく、正木博士は同教室を出たものらしく、午後二時半頃、医員山田学士が「呉一郎は回復の見込あり」という報告をすべく
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
主人がすまして這入はいるくらいのところだから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先ひとま容子ようすを見に行くに越した事はない。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
午後二時頃には一室が一先ひとま整頓せいとんした。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
して見れば時間の点からいって、喜多公は親分の方より嫌疑が薄くなる訳で、一先ひとまず彼も釈放されることになった。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)