ろう)” の例文
薩軍の池辺いけべきちろうは、試みに、勧降状かんこうじょうを矢にむすんで、諸所の防寨ぼうさいに射込ませてみたが、ひとりの城兵も、降伏して出て来なかった。
日本名婦伝:谷干城夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八のふかくしながら、せたまつろう眼先めさきを、ちらとかすめたのは、うぐいすふんをいれて使つかうという、近頃ちかごろはやりの紅色べにいろ糠袋ぬかぶくろだった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
伊賀の暴れん坊こと、柳生源やぎゅうげんろうは、江戸から百十三里、剣術大名柳生対馬守やぎゅうつしまのかみの弟で、こいつがたいへんにうでのたつおっかない若侍。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
先達せんだっわたくしは或るお方のお供をいたして、堀越ほりこしだんろうと二人で草津へ参って、の温泉に居りましたが、彼処あすこは山へあがるので車が利きません。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
いちろうは、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
わしにしてからが大勢はいけない。大名行列という奴は、山師の看板と同じだからなあ。ろうさんと紅丸べにまるさん、眼を病んでいる白烏しろがらすさん、三人のお供で充分だ。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この十一は同族間の長幼の順序が、十一番目ということであります。かくのごとく通例数字ばかりで呼ぶけれども、また時としてはろうの字を付けることもありました。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
れがうつ横町よこちやうの三五ろう口上こうじようはせよう、美登利みどりさんれにしないかとへば、あゝれは面白おもしろからう、三ちやんの口上こうじようならばれもわらはずにはられまい
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
サンフラスシスコの郊外こうがいにささやかな道場を開いて、アメリカ人に日本の柔道じゅうどうを教えていたのは、富田常次郎とみたつねじろうだんであった。講道館長こうどうかんちょう嘉納かのうろう先生の最初の弟子でしだ。
柔道と拳闘の転がり試合 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
もたらした陳歩楽ちんほらくだけは(彼は吉報の使者としてよみせられろうとなってそのまま都にとどまっていた)
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ところが講談では大高源吾が神崎かんざきろう国蔵くにぞう馬食うまくらいのうしろう、場所も遠州浜松となっています
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
其の談話はなしは、福地源ふくちげんろう君が口訳こうやくして同氏に授けたる仏国有名の小説を、同氏が例の高尚なる意匠を以て吾国の近事に翻案し、例の卓絶なる弁舌を以て一場の談話として演述したるものにて
松の操美人の生埋:01 序 (新字新仮名) / 宇田川文海(著)
だんだん近くになりますと、お父さんにあたるがんろうがえるが
蛙のゴム靴 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
信長は、茶磨山ちゃうすやまの小高い所に立ちながら、戦況を見まもっていたが、やがてうしろの旗本衆を顧みて、蒲生がもうちゅうろう氏郷うじさとを呼びたてた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だれにいうともない独言ひとりごとながら、吉原よしわらへのともまで見事みごとにはねられた、版下彫はんしたぼりまつろうは、止度とめどなくはらそこえくりかえっているのであろう。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
霊岸島川口町れいがんじまかわぐちちょう橋本はしもとこうろうと申して、おやしきへお出入を致して、昔からお大名の旗下はたもとの御用をしたもので、只今でも御用を達す処もござりますが
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
造酒は、かたわらの愛刀、阪東ばんどうろう幸村ゆきむらって野分のわけの称ある逸剣を取って、ニヤニヤ笑いながら、「金打きんちょうしよう」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「山下君、これは、長船おさふねろうくんといって、○○高等学校の先生です」
嫁取婿取 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
やせまつろうふたた春重はるしげかおもどったとき春重はるしげはおもむろに、ふところから何物なにものかを取出とりだしてまつろうはなさきにひけらかした。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
身長なみ、痩せ形、髪くろく色白、右の眉尻に黒子ほくろ、他に特徴なし、年二十四、当時無宿、江戸浅草孔雀長屋人別えどあさくさくじゃくながやにんべつ紋日もんびとらろう娘、女賊見返りお綱。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
駒井甚こまいじんろう喜田川頼母きたがわたのも寺門一馬てらかどかずま大垣おおがき郎右衛門ろうえもんなど、側近の面々、おくれじとつづきながら、これはえらいことになった、この小藩に日光お出費ものいりとは
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
向う葛西領の敵手むこう北條氏綱ほうじょううじつな氏康うじやす父子が陣を取り、此方こっち里見安房守義弘さとみあわのかみよしひろ太田新おおたしんろう康資やすもと同苗おなじく美濃守資正入道みのゝかみすけまさにゅうどうらくさいなどすこぶる処のものが籠城をして
「よいか、人目につかぬ夜のうちがよかろうぞ。郎党には米田よねだきんろう何児小左衛門かにこざえもん岩成兵助いわなりひょうすけの三名を付人つけびととしてつかわすほどにな。……山の尼院にいんへ」
主君から一伍一什いちぶしじゅうを聞いた高大之進こうだいのしん大垣おおがき郎右衛門ろうえもん寺門一馬てらかどかずま駒井甚こまいじんろう喜田川頼母きたがわたのも面々めんめん、口々に
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
清「イヤ笛なら駄目だ、村のもんに幾らも上手が有るよ、かみまたろうなどが、鎌倉から小点しょうてんから段々と大間おおまへぶッ込んでくとこなぞは実に魂消たもんだぜ」
「浅井の臣、前波まえなみしんろうッ。織田殿にこそ、この槍を見参にと参ったるに、邪魔だてする小面憎こづらにくわっぱめ。何奴なにやつだ」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鈴川源すずかわげんろう方では、あるじ源十郎と丹下左膳の仲が表面もとに戻って、源十郎はまたおさよ婆さんを実母のように奉り、相も変わらず常連をあつめて、毎晩のように
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
千葉之介常胤ちばのすけつねたね舎弟國府こくふろう胤道たねみちの城跡であると申すを、此の国府の台を訛伝なまりつたえて鴻の台と申すのだろうが、たしか永禄の七年甲子きのえねの正月七日八日の戦いは激しかったという
昨日も昨日とて、御当家浪人の井関紋左衛門いぜきもんざえもん様や徳兵衛とくべえ様、又、岡野治太夫おかのじだゆう様も大岡おおおかせいろう様もお訪ねなされましての、種々いろいろと、お話しでございましたわい
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
立退たちのく道は宇都宮の明神様の後山うしろやまを越え、慈光寺じこうじの門前から付いて曲り、八幡山わたやまを抜けてなだれに下りると日光街道、それより鹿沼道かぬまみちへ一里半けば、十ろうみねという所
佐々さっさげんろう、前山彦七、海塚主馬うみづかしゅめ西御門にしごもん八郎右衛門、間瀬徹堂ませてつどう、等、等、等。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
部将は権藤ごんどうろうという物頭だった。武器庫の牢を番している内外の者はみなこの男の配下にあった。職責上、一婦人の行動といえど、彼は当然重大視した。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此の大屋の勢いは大したもので、伊香保には結構なのが沢山ございますが、中にも名高いのは木暮金太夫こぐれきんだゆう、木暮武太夫ぶだゆう永井ながいろう、木暮八ろうと云うのが一等宜いと彼地あちらで申します。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
男は浪人者の居合抜き唐箕嘉とうみのかろう額部ひたいへ受けた十手の傷から血が滴って、これが久兵衛に突き合わされた時、さすがの因業親爺、顫え上って元七に化けた男に相違ござりませぬと証言した。
明けて文治ぶんじ二年の一月末には、静も母も、鎌倉幕府の罪人として、安達あだちしんろう清経きよつねやしきに預けられていた。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本になおして、地名も人名も、日本の事に致しましただけで、ぜん以てお断りを申さんでは解りませんから、申し上げまするが、アレキサンドルを石井山いしいさんろうという侠客おとこだてにして、此の石井山三郎は
遊佐剛ゆさごうろう春藤幾久馬しゅんどうきくま鏡丹波かがみたんば、三人の浪人である。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
云いながら、隣りの対局へ、横から顔をつき出したのは、横鬂よこびんに黒い刀傷かたなきずのある村安むらやすでんろうである。
魚紋 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おろかよのう。まだ年ばえも二十歳を越えず、世に隠れない舞の手も持ちながら、何で、九ろう冠者かじゃのような、らちもない男を恋い慕うぞ。……はははは、酔狂すいきょうな女子よ」
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越中ざかいの勝山城かつやまじょうには、丹羽権兵衛を入れて、七尾城に対抗せしめ、阿尾城あおじょうには、菊地右衛門入道きくちうえもんにゅうどうとその子、伊豆守いずのかみを。——森山城もりやまじょうには、神保氏張じんぼうじはる同苗どうみょうせいろうを。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明日あしたの空模様も、まず、晴と見ながら、表方へ来ると、ちょうど、徒士目付かちめつけ神崎かんざきろうも、供廻りの用意を終って、御用部屋の大きな火鉢のそばで一ぷくっていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この山伏は、光秀の発した密使ではないが、さきの偽盲にせめくらは、いうまでもなく明智の士雑賀さいがろうであった。光秀から毛利輝元へあてた一書を受け、二日の早朝、京都から立って来た者だ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
部隊部隊の旗じるし馬簾ばれんなどを見ても、また勝頼の前後をかためてゆく旗本たちの分厚ぶあつな鉄騎隊を見ても、甲軍衰えたりとは、どこからも見えなかった。殊に、大将伊那いなろう勝頼かつよりの面上には
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
井伊兵部いいひょうぶ榊原康政さかきばらやすまさ、大久保忠助ただすけ、同じく忠隣ただちか本多ほんだろう、同平八郎忠勝ただかつなどの多感多血の若手を初め——鳥居忠政とりいただまさ戸田十郎右衛門とだじゅうろうえもん、内藤新五郎、松平康次まつだいらやすつぐ、同与一郎広家よいちろうひろいえ、同孫六郎康長まごろくろうやすなが
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お物見の渡辺半蔵どのや柘植つげまたろうどのが立ち帰られました」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新宮しんぐうのろう行家ゆきいえどのを、討てとの、仰せつけのことであるか」
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御目付役の詰めているたまりの間にいた多門おかどでんろう
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)