蚊遣かやり)” の例文
「お父さんな、まだ帰らんのか。」と浅七は外から這入はいって来た。家の中は暗かった。囲炉裏いろりの中には蚊遣かやりの青葉松がいぶって居た。
恭三の父 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
伸子は、父の足許で、低い足台フットストールに腰かけ、団扇で蚊遣かやりの煙を、あっちに煽いだりこっちへ靡かせたりしながら、ぼんやり答えた。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
しかも梅の影がさして、窓がぽつとあかるくなる時、えん蚊遣かやりなびく時、折に触れた今までに、つい其夜そのよの如くの高かつた事はないのである。
処方秘箋 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
机の下へ蚊遣かやり線香を入れてやってから、八畳の間の縁側に出て夫たちが帰って来るであろう往来の方を眺めている時であった。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「番士。……蚊遣かやりが絶えた。またかや木屑きくずでもいてくれんか。生きているとは厄介なもの。この蚊攻めにもホトホトまいる」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どの家からも、蚊遣かやりの煙がもうもうと流れ出している。次郎は、それが自分の汗ばんだ顔にこびりつくようで息苦しかった。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
間もなく女中が蚊遣かやりと茶を持って来て、注文を聞いた。末造は連れが来てからにしようと云って、女中を立たせて、ひとり烟草たばこんでいた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
今日きょうしも盆の十三日なれば、精霊棚しょうりょうだな支度したくなどを致して仕舞ひ、縁側えんがわ一寸ちょっと敷物を敷き、蚊遣かやりくゆらして新三郎は
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
薮蚊やぶかの群がわびしい音をさせて襲って来る頃で、縁側には蚊遣かやりいぶらせた。かわずの鳴く声も聞えた。家内は、遊び疲れた子供の為に、蚊帳を釣ろうとしていたが
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
夕景に蚊遣かやりを焚いて居る様子、庭の方を見ると、下らぬ花壇が出来て居りまして、其処に芥子けし紫陽花あじさいなどが植えて有って、隣家となりも遠い所のさびしい住居すまいでございます。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
夕方ゆふかたになると竹垣たけがきに朝顔のからんだ勝手口で行水ぎやうずゐをつかつたのちのまゝ真裸体まつぱだか晩酌ばんしやくを傾けやつとの事ぜんを離れると、夏の黄昏たそがれ家々いへ/\蚊遣かやりけむりと共にいつか夜となり
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
行水ぎようずゐ蚊遣かやりの火をたいてゐるのが見えたり、牛の啼声なきごゑが不意に垣根のなかに起つたりした。
或売笑婦の話 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
何も格別案じてくれるには及ばぬ故小僧も十分にやつて呉れとて、ころりと横になつて胸のあたりをはた/\と打あふぐ、蚊遣かやりの烟にむせばぬまでも思ひにもえて身の熱げなり。
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
門口を通る人が家の中をのぞいて通る。それは知った人で、家の中を覗いては行ったが、別に立寄もせずに通ってしまった。夏の晩で家の中には蚊遣かやりが焚いてある、という趣である。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
廊下に足音をさせて、矢崎忠三郎と松原十内の二人が、燭台しょくだい蚊遣かやりをはこんで来た。
けむくとものちは寐易き蚊遣かやりかな 不角ふかく
俳句の初歩 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
む人の蚊遣かやり見てゐる蚊帳かやの中
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
すまし窺ふに聲は聞えねども足摺あしずりして苦しむ樣子の一しほ始めに彌増いやましければ何共合點がてん行ず心成ずもそつと立上り襖の透間より差覗さしのぞくに納戸の中には灯りもなく小さき火鉢に蚊遣かやり仕掛しかけ有しが燃落もえおちて薄暗き側に聢とは見えねども細引にて縛られたる一人の女居たり友次郎ははつと思ひ能々見るに此は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
何も、燈心の灯影は、夜と限ったわけではありません、しょぼしょぼ雨の柳の路地の窓際でもよし、夕顔のまばら垣に、蚊遣かやりが添っても構いはしない。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
新三郎は精霊棚しょうりょうだな準備したくができたので、縁側へ敷物を敷き、そして、蚊遣かやりいて、深草形の団扇うちわで蚊を追いながら月を見ていた。それは盆の十三日のことであった。
円朝の牡丹灯籠 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
夕方になると竹垣に朝顔のからんだ勝手口で行水ぎょうずいをつかったのちそのまま真裸体まっぱだかで晩酌を傾けやっとの事ぜんを離れると、夏の黄昏たそがれも家々で蚊遣かやりけむりと共にいつか夜となり
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
今日しも盆の十三日なれば精霊棚しょうりょうだな支度したくなどを致してしまい、縁側へちょっと敷物を敷き、蚊遣かやりくゆらして、新三郎は白地の浴衣ゆかたを着、深草形ふかくさがた団扇うちわを片手に蚊を払いながら
座布団のかたわら蚊遣かやりの土器が置いてあって、青いけむりが器に穿うがってある穴から、絶えず立ち昇って、風のない縁側で渦巻いて、身のまわりをめぐっているのに、蚊がうるさく顔へ来る。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
何も格別案じてくれるには及ばぬ故小僧も十分にやつてくれとて、ころりと横になつて胸のあたりをはたはたと打あふぐ、蚊遣かやりけむりにむせばぬまでも思ひにもえて身の暑げなり。
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
蚊遣かやりの煙がながれている。台所のほうでは瀬戸物の音が聞える。まだ夕餉ゆうげも前らしい。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、暗い次の間の方で、何か光ったものが横に流れたけはいがしたので、首をもたげて見ると、何処からか迷い込んだ蛍が一匹、蚊遣かやり線香の煙に追われて逃げ場を求めているのであった。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ほろりとも降らで月澄む蚊遣かやりかな 焦桐
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
帰り来る夫のむせぶ蚊遣かやりかな 同
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
庭石に蚊遣かやり置かしめ端居はしいかな
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
蚊遣かやりに薄き母の影
藤村詩抄:島崎藤村自選 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
歌人うたびと住居すまいも早や黄昏たそがれるので、そろそろ蚊遣かやり逐出おいだしを懸けたまえば、図々しいような、世馴れないような、世事に疎いような、また馬鹿律義でもあるような
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
蚊遣かやりけむりになおさら薄暗く思われる有明ありあけ灯影ほかげに、打水うちみずの乾かぬ小庭を眺め、隣の二階の三味線を簾越すだれごしに聴く心持……東京という町の生活を最も美しくさせるものは夏であろう。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
なに格別かくべつあんじてくれるにはおよばぬゆゑ小僧こぞうも十ぶんにやつてれとて、ころりとよこになつてむねのあたりをはた/\とうちあふぐ、蚊遣かやりけむりにむせばぬまでもおもひにもえてあつげなり。
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
子供に行水を遣わせて、自分も使う。蚊遣かやりをしながら夕食を食べる。食後に遊びに出た子供が遊び草臥くたびれて帰る。女中が勝手から出て来て、極まった所に床を取ったり、蚊帳かやったりする。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
其の夜の丑刻こゝのつ頃庭口のへい飛上とびあがり、内庭の様子をうかゞいますると、夏の夜とてまだ寝もやらず、庭の縁台には村とばゞの両人、縁側には舎弟の蟠作と安兵衞の両人、蚊遣かやりもとに碁を打って居りました
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
うしろへ手をついて、日本左衛門は、すすけた天井や怪奇な欄間彫らんまぼりを見廻していました。法達はそのに、寺の裏山にいくらもあるかやの折れた枝をピシピシと折って、そばの蚊遣かやりへくべながら
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
腹あしき隣同志の蚊遣かやりかな 蕪村
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
蚊遣かやり線香あれへんのんか。」
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
蚊遣かやりしてまゐらす僧の座右かな
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
で、立騰たちのぼり、あふみだれる蚊遣かやりいきほひを、もののかずともしない工合ぐあひは、自若じじやくとして火山くわざん燒石やけいしひと歩行あるく、あしあかありのやう、と譬喩たとへおもふも、あゝ、蒸熱むしあつくてられぬ。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
八の内にもあるやうな脚炉あんくわから引き出した、四角な黒い火入ひいれから蚊遣かやりけむりが盛んに立つてゐる。小男の客は、をりをりその側にあるブリキのくわんから散蓮華ちりれんげ蚤取粉のみとりこすくひ出して、蚊遣の補充をする。
金貨 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一刀斎は、その息を聞いて、ふと、蚊遣かやりの煙から此方こなたを振向いた。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蚊遣かやり線香あれへんのんか。」
猫と庄造と二人のおんな (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
蚊遣かやりしてまゐらす僧の坐右かな
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
あのじじいのそのそぎつけて参りましてね、蚊遣かやりの煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
蚊遣かやりをもっとけ」
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蚊遣かやりけむり古井戸ふるゐどのあたりをむる、ともいへ縁端えんばた罷來まかりきて、地切ぢぎり強煙草つよたばこかす植木屋うゑきやは、としひさしくもりめりとて、初冬はつふゆにもなれば、汽車きしやおととゞろ絶間たえまこがらしきやむトタン
森の紫陽花 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
学円 道理こそあかりが消えて、ああ、蚊遣かやりの煙で、よくは見えぬが、……納戸に月がすらしい。——お待ちなさい。今、言いかけた越前の話というのは、縁の下で牡丹餅ぼたもちが化けたのです。
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
刎釣瓶はねつるべの竹も動かず、蚊遣かやりの煙のなびくもなき、夏のさかりの午後四時ごろ。
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ぢゞ茶屋ぢややは、おきなひとりて、燒酎せうちうあぶら蚊遣かやりるゐひさぐ、ゆゑふ。
逗子だより (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)