かえで)” の例文
同じかえででも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉苗のいただきに投げかぶせてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
セイゲン、ヤシオなど云う血紅色けっこうしょく紅褐色こうかっしょくの春モミジはもとより、もみじかえでならけやき、ソロなどの新芽しんめは、とり/″\に花より美しい。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
垣根のかえでが芽をく頃だ。彼方あちらの往来で——杉林の下の薄暗い中で子供が隠れ事をしている。きゃっきゃっという声が重い頭に響く。
黄色い晩 (新字新仮名) / 小川未明(著)
大きなかえでの樹蔭にあぐらをかき、釣糸を垂れながら禰宜様宮田はさっきから、これ等の美しい景色に我を忘れて見とれていたのである。
禰宜様宮田 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
右岸に見られるのは、かえでうるしかばならたぐい。甲州街道はその蔭にあるのです。忍耐力に富んだ越後えちご商人は昔からここを通行しました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
とりこにしてある沢山の植木——ほうかえでが、林のように茂っている庭の向うが、往来みちになっていて、そこで、数人の者が斬合っていた。
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
雑木林の紅葉はかえで一色のよりも美しい。紅、茶、褐、淡黄、金色と木によって色が違うので、この自然の配合が又となく見ごとだ。
山の秋 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
もと老職の隠居が住んでいたそうで、部屋数は少ないが千坪ばかりの庭があり、松や杉やかえでや桜などが、家をかこむように繁っている。
柘榴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
青年は橋の一にたたずみて流れのすそを見ろしぬ。くれないに染めでしかえでの葉末にる露は朝日を受けねど空の光を映して玉のごとし。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
直ぐその家に眼をったのであるが、花崗岩みかげいしらしい大きな石門から、かえで並樹なみきの間を、爪先つまさき上りになっている玄関への道の奥深く
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
庭には椿も大半錆色さびいろに腐って、初夏らしい日影が、かえでなどの若葉にそそいでいた。どこからか緩いよその時計の音が聞えて来た。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
目安箱の上書がこうそうして、かえでの密議となり、元京都所司代であった松平輝高てるたかは、召されて将軍家から内々に秘命をうけた。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鼻のさきの例のかえでの小枝の先端も一つ一つふくらみを帯びて来て、それがちょうどガーネットのような光沢をして輝き始めた。
簔虫と蜘蛛 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
庭は思いの外ひっそりとしていたが、その一方の隅のかえでの木の下に、後ろ手にゆわかれているのは建具屋の平吉という人らしい。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
賀茂かもくらべ馬で勝負の木、またはしるしの木といったかえでの木も公けの文書には標と書いてある。『延喜式』巻四十八、五月六日競馬の条に
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
椿つばき、どうだん、躑躅つつじなどの丈の低い木はそれほどにも思いませんが、白梅の古木やかえでなどは、根が痛まず、さわりのないようにと祈られます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
上のお小夜さよかえでのやうなさびしさのなかに、どこかなまめかしさを秘めてゐた。妹のお里はどこまでも派手であでやかであつた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
戸外おもてには風の音、さらさらと、我家わがいえなるかのかえでの葉をならして、町のはずれに吹き通る、四角よつかどあたり夕戸出ゆうとでの油売る声はるかなり。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
例を植物に取ると致しましょう。柔かいきりや杉を始めとし、松や桜や、さては堅いけやき、栗、なら。黄色い桑や黒い黒柿、のあるかえで柾目まさめひのき
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そこいらにはその春別荘の売れたとき爺やがちょっとしたかえでだとか、そのほか小さな植木だけをこちらに移し植えておいた
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
折しも秋の末なれば、屋根にひたる芽生めばえかえで、時を得顔えがおに色付きたる、そのひまより、鬼瓦おにがわらの傾きて見ゆるなんぞ、戸隠とがくやま故事ふることも思はれ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
川添いのその天理教の本部は、いかにも涼しそうに庭に水が打ってあって、かえでの青葉が、爽かにへいの外にふきこぼれていた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「駿河の国にいたりぬ、宇津の山にいたれば、つたかえではえ茂りて道いと細う暗きに、修行者に逢いたり。かかる道をば——」
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
夏の青葉の清潔にして涼しき、ことに晩秋より初冬にかけて葉が黄ばんで来た時の風致はかえではぜなどの紅葉とも違ふて得も言はれぬ趣であらう。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
そして四辺あたりの杉木立や、ならくぬぎかえで、栗等の雑木のもりが、静かな池の面にその姿を落として、池一杯に緑を溶かしている。
首を失った蜻蛉 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
庭の土塀のくつがえったわきに、大きなかえでの幹が中途からポックリ折られて、こずえ手洗鉢てあらいばちの上に投出している。ふと、Kは防空壕ぼうくうごうのところへかが
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
絶壁の上のかえでの老樹も手に届くばかりに参差しんしと枝を分ち、葉を交えて、鮮明に澄んでのどかな、ちらちらとした光線である。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
堂の広さはわずかに二坪ぐらいで、修善寺の方を見おろして立っている。あたりには杉やかえでなど枝をかわして生い茂って、どこかでからすが啼いている。
秋の修善寺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
中はそんなに暗いのだけれど、無双窓の櫺子れんじの外はまだうす明るく、かえでの青葉が日中よりはかえってえて織り物のようなあざやかな色をのぞかせている。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
もう一時間あまりも「歎異抄たんにしょう」の一句一句を念入りに味わっていたが、そとをのぞいて、いつもと同じかえで小枝こえだの、それも二寸とはちがわない位置に
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
滝は、大太鼓おおだいこをたくさん一どきにならすように、どうどうとひびきをあげて落ちている。春木は帽子ぼうしをぬいで、汗をぬぐった。紅葉もみじかえでがうつくしい。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
庭前にわさきっていた尻尾の切れていた蛇は、かえでの木へ登りかけた。平吉を呼びに往っていた定七は縁側えんがわへ引返して来て、広栄とともに蛇に注意していた。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
かえでだのうるしだのが美しく紅葉している、その葉の色の美しさを示して、自然界の美に驚嘆するように児童の情操を涵養せよというような意味の説明がある。
簪を挿した蛇 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
金魚鉢きんぎょばち位置いちから、にわかえでがくれではあるが、島本医院しまもといいん白壁しらかべえていて、もしそのかべあながあると、こつちをおろすこともできるはずである。
金魚は死んでいた (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
箱のふたかえでつた紅葉もみじを敷いてみやびやかに菓子の盛られてある下の紙に、書いてある字が明るい月光で目についたのを、よく読もうと顔を寄せているのが
源氏物語:52 東屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
芭蕉ばしょう芙蓉ふようはぎ野菊のぎく撫子なでしこかえでの枝。雨に打たれる種々いろいろな植物は、それぞれその枝や茎の強弱に従ってあるものは地に伏し或ものはかえって高くり返ります。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二人は庭へおりて、四年前と同じように、あのかえでの老樹の下にあるベンチに腰をかけた。暗い晩だった。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
実子じつこ扶貴子ふきこが、浜子とあまりちがわない年齢で、税所敦子さいしょあつこ——宮中女官かえで内侍ないし——の作詞をい、杵屋正次郎きねやしょうじろう夫妻のふし附け、父団十郎の振附けで踊っている。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
かえで桜松竹などおもしろく植え散らし、ここに石燈籠いしどうろうあれば、かしこに稲荷いなりほこらあり、またその奥に思いがけなき四阿あずまやあるなど、この門内にこの庭はと驚かるるも
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
昼間その温泉にひたりながら「牢門」のそとを眺めていると、明るい日光の下で白く白く高まっている瀬のたぎりが眼の高さに見えた。差し出ているかえでの枝が見えた。
温泉 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
求馬はその頃から人知れず、吉原のくるわに通い出した。相方あいかた和泉屋いずみやかえでと云う、所謂いわゆる散茶女郎さんちゃじょろうの一人であった。が、彼女は勤めを離れて、心から求馬のために尽した。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その町というのは、大きな菩提樹ぼだいじゅかえでの木のしげった下を流れる、緑のつつみの小川の岸にありました。
お城の南、追廻おいまわし門、汐見やぐらを包む大森林と、深い、広い蓮堀を隔てた馬場先、蓮池、六本松、大体山の一帯は青い空の下に向い合ってはぜかえで、紅葉の色を競っていた。
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
斜陽あかあかと目前のかえでの林を照らして、そこには数百の烏が無心に唖々と鳴いて遊んでいる。
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
庭木のうちではまきがいちばん大木であり、たけも高い。朝日が今そのこずえを照し出している。かえではうっとうしいくらい繁って来たが、それでもけさは青葉の色がしたたるように見える。
ゴツゴツした松の木肌の感触を嫌われた先生は、自然の反対現象として、柳、かえで百日紅さるすべりなぞの肌のなめらかな木が好きであった。目黒の遺邸の庭には、空を覆う百日紅がある。
解説 趣味を通じての先生 (新字新仮名) / 額田六福(著)
かえでなどでも成長の速度が恐ろしく違う。そういう相違はあらゆる樹木の種類について数え上げて行くことができるのである。京都の東山などは、少し掘って行けば下は岩石である。
京の四季 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
貞子の部屋から見える広い庭の隅の木犀もくせいの繁みにい上っている自然薯じねんじょの葉が黄色く紅葉し、かえでのもみじと共にときわ木を背景にして美しい友ぜん模様を染め出しているのだった。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
かえでに、けやきに、ひのきに、蘇鉄そてつぐらいなものだが、それを内に入れたり出したりして、楽しみそうに眺めている。花壇にはいろいろ西洋種もまいて、天竺牡丹てんじくぼたん遊蝶草ゆうちょうそうなどが咲いている。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
あの子持山の春のかえでの若葉が、秋になって黄葉もみじするまでも、お前と一しょに寝ようと思うが、お前はどうおもう、というので、誇張するというのは既に親しんでいる証拠でもあり
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)