けわ)” の例文
旧字:
これにはんしてきたからのかぜは、荒々あらあらしいうみなみうえを、たかけわしいやまのいただきを、たにもったゆきおもてれてくるからでありました。
大きなかしの木 (新字新仮名) / 小川未明(著)
たもとを振り切って行こうとする時に、金蔵のかおすごいほどけわしくなっていたのに、お豊はぞっとして声を立てようとしたくらいでしたが
茂った林がついこの頃りたおされた個所においてさえ、けわしい丘の脇腹に狭い棚のような路が水ぎわに近づいたり遠ざかったりして
「なに臨終だァ? 莫迦ばかをいいなさい生きているものをつかまえて、臨終とは何ごとかッ」大竹女史は、男のようなけわしい顔付をして叫んだ。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
このけわしい時勢の中に、絵をかいたり、茶をたてたり、こういう人もいるものかなあ。……おれには縁のない世界の人間だ、親代々の財産を
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのうち日本も亜米利加アメリカとの間がけわしくなって、もういくらヤキモキしても欧州へは、行くことも帰ることもできなくなってしまって……。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
してけわしい道をのぼって来たようだが、その道は、これからの踏み出しよう一つで、君をもつと高いところに導いてくれる道にもなるし、君を
次郎物語:03 第三部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
近藤は大きな鼻眼鏡のうしろから、けわしい視線を大井へ飛ばせたが、大井は一向いっこう平気な顔で、鉈豆なたまめ煙管きせるをすぱすぱやりながら
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
芳子が出て行った後、時雄は急にけわしい難かしい顔に成った。「自分に……自分に、この恋の世話が出来るだろうか」とひとりで胸に反問した。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「……!」ずっと立ったままの美佐子が、私をけわしく見据えた。私は眼をらせ、「子」の字をパクリと口の中へ入れた。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
矢部は彼が部屋にはいって来るのを見ると、よけい顔色をけわしくした。そしてとうとうたまりかねたようにその眇眼すがめで父をにらむようにしながら
親子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その光で見ると、白麻のきぬ黒絽くろろ腰法衣こしごろも。年の頃四十一二の比丘尼びくに一人。肉ゆたかに艶々つやつやしい顔の色。それが眼の光をけわしくしているのであった。
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
岩屋いわやからすこまいりますと、モーそこはすぐ爪先上つまさきあがりになって、みぎひだりも、すぎまつや、その常盤木ときわぎのしんしんとしげった、相当そうとうけわしいやまでございます。
「うん、その十六世紀前紀本インキュナプラなんだがねえ。実は、それに似た空論が一つあるのだよ」と検事は沈痛な態度を失わず、なじるようなけわしさで法水を見て
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
はね上がった眉に切れ長の眼に、高くて細い長い鼻に、残忍らしい薄手の口などずいぶんとけわしい人相であった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
あの老人が山へはいると仙人のように身軽になって、岩の上なんぞはピョンピョンと飛んでしまい、けわしい個所ではスーッと消てしまったように見えなくなる。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
六五 早池峯はやちね御影石みかげいしの山なり。この山の小国にきたるかわ安倍ヶ城あべがじょうという岩あり。けわしきがけの中ほどにありて、人などはとても行きうべきところにあらず。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
命は、そこから、いよいよけわしい深い山をみ分けて、大和やまと宇陀うだというところへおでましになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
に写る床柱とこばしらにもたれたるなおの、この時少しく前にかがんで、両手にいだ膝頭ひざがしらけわしき山が出来る。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私は単に腹痛をえるためにけわしい表情をしていたのに過ぎないのだが、それが彼女にそうした不安を抱かせたのであろう。つらい商売と云わなければなるまい。
朴歯の下駄 (新字新仮名) / 小山清(著)
しばらく経った。彼は頭を強く振るとのろのろと歩き出した。顔色は依然として悪かったが唇を堅く結び眼付がけわしくなったのが、かえって生気せいきが出たように見えた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
空蝉は薄命な自分はこの良人おっとにまで死別して、またもけわしい世の中に漂泊さすらえるのであろうかとなげいている様子を、常陸介は病床に見ると死ぬことが苦しく思われた。
源氏物語:16 関屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
口を明いて獅子を見ているような奴は、いちがいに馬鹿だとののしられる世の中となった。眉がけわしく、眼が鋭い今の元園町人は、獅子舞を見るべく余りに怜悧りこうになった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いまから考へると多分の嫉妬しっともあつたやうに思ふ。さういふけわしい石火いしびり合つて、そこの裂目さけめからまれる案外甘い情感の滴り——その嗜慾しよくに雪子は魅惑を感じた。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
一つの選択が許される場合、一つのみちが永遠の泥濘でいねいであり、他の途がけわしくはあってもあるいは救われるかもしれぬのだとすれば、誰しもあとの途を選ぶにきまっている。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
けわしく高き石級をのぼり来て、ほおにさしたるくれないの色まだせぬに、まばゆきほどなるゆふ日の光に照されて、苦しき胸をしずめむためにや、この顛の真中なる切石に腰うち掛け
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
親爺のののしり声も耳に入らぬ体で、熱心に、石膏像の芯の布みたいなものを検べていたが、やがて、こちらを向いて立上った時には、彼はハッする程けわしい表情になっていた。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
わたしはかれのやさしい悲しそうな目のうちに、けわしい目つきの表れたのを見ておどろいた。
山賊は承知承知と女を軽々と背負って歩きましたが、けわしい登り坂へきて、ここは危いから降りて歩いて貰おうと言っても、女はしがみついて厭々、厭ヨ、と言って降りません。
桜の森の満開の下 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
定明の眼は皮肉なけわしい一瞥いちべつのかがやきを見せ、言葉はほとばしるようにいて出た。
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
彼女は眉をひそめながら「私はきっとけわしい顔つきでもしているのだろう」と考えた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
あたりの山々の、いかにも大和の山らしく朗らかで優しい姿に比べると、この黒く茂ったけわしい山ばかりは、何かしら特別の生気を帯びて、なにか秘密を蔵しているように見えた。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
闇太郎は、雪之丞をけわしすぎる眼で、にらむようにしたが、これもがらりと気を代えて
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
あの、黒い山がむくむくかさなり、そのむこうにはさだめない雲がけ、たにの水は風よりかる幾本いくほんの木はけわしいがけからからだをげて空にむかう、あの景色が石の滑らかなめんに描いてあるのか。
チュウリップの幻術 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
その廻り路にも非常なけわしい坂があってある時にはほとんど山の頂上まで登らなくちゃあならん場合もあるです。けれども山の間にそういう具合にぐるっと一廻り出来る道が付いて居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
喉笛にはまだ匕首を突立てたまま、顔のけわしさに似ず、血はあまり出ておりませんが、たぶん一と突きで死んだためでしょう。平次はそっと布をかけて、ひとわたり部屋の中を見廻しました。
すこしすその見えた八つが岳が次第にけわしい山骨をあらわして来て、しまいに紅色の光を帯びたいただきまで見られる頃は、影が山から山へしておりました。甲州にまたがる山脈の色は幾度いくたび変ったか知れません。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
室と室との間にいとけわしき階段あり之を登れば廊下にして廊下の両側につらなれる密室はこと/″\く是れ囚舎ひとやなるべく其戸に一々逞ましき錠を卸せり、廊下の入口に立てる一人、是が世に云う牢番ならんか
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
座敷へあがって、ひざると同時どうじに、春信はるのぶけわしく松江しょうこう見詰みつめた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
就中なかんずく丸く大きく見開かれ、前方をにらんでいるひとみは、兜の眉庇まゆびさしとすれ/\になっているために一層けわしく烱々けい/\と輝やき、鼻の上方、両眼の迫る間に、もう一つ小さな鼻があるかのように肉が隆起して
藤波は、おいおい不安をまぜたけわしい顔つきになって
顎十郎捕物帳:06 三人目 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
なよたけ (けわしい顔)こがねまる!
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
線のけわしい、鋭角的な顔だ。
口笛を吹く武士 (新字新仮名) / 林不忘(著)
監督の顔色がけわしくなり
明日はメーデー (新字新仮名) / 槙村浩(著)
けれど、まだ二、三意地悪いじわるいからすがのこっていて、どこへもらずに、とう屋根やねまって、けわしいをねらっていました。
僕はこれからだ (新字新仮名) / 小川未明(著)
御主君道三様と、義龍様との御不和、近頃、わけてもおけわしい事情にあるゆえ、いつ何時、いかなる事変が起ろうも測り難い。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けわしい見方をするようになったのは、たしかに黒幕があるのだ、と駒井の殿様も言った、それをお嬢さんが、またよく註釈して言って聞かせた
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
牧野はけわしい眼をしながら、やけに葉巻をすぱすぱやった。お蓮は寂しい顔をしたなり、しばらくは何とも答えなかった。
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
青谷技師は調室の真中に引きだされ、署長以下のけわしい視線と罵言ばげんとに責められていた。彼は極力犯行を否定した。
人間灰 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼は、先生の眼から、これまでかつて見たことのない、けわしい、つめたい光がほとばしっているのを見たのである。
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)