いや)” の例文
「口をおあきつてばさ!」彼女は男がさし出した手の平をぴしやりとつて云つた。男はいやしく笑ひ乍らあんぐりと黒い口を開いた。
おっしゃった事がほんとうなら飛立とびたつ程嬉しいが、只今も申す通り、わしは今じゃア零落おちぶれて裏家住うらやずまいして、人力をいやしい身の上
愛を要するがゆえに自尊をも要する青春の頃において、服装のいやしいゆえにあざけられ、貧しいゆえに冷笑されるのを、彼は感じた。
「訊くな。訊くな。訊かぬ方がいゝ。聞くとかえって気を悪くするから。あんないやしい人間の云うことは、一切耳に入れぬことじゃ。」
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
武士たるもの二〇みだりにあつかふべからず。かならずたくはをさむべきなり。なんぢいやしき身の分限ぶげんに過ぎたるたからを得たるは二一嗚呼をこわざなり。
そんないやしい素性の者なら、たとえ英吉がその為に、こがじにをしようとも、己たち両親が承知をせん。家名に係わる、と云ったろう。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
まつたくそれはいやしいものではあつた——しかし同時にそれは庇護ひごされたものだつた。そして私は安全な隱れ場所を欲してゐたのだ。
私は阿父様おとうさまを養ふ為に、いやしい商売を致して居ります。しかし私の商売は、私一人を汚す外には、誰にも迷惑はかけて居りません。
南京の基督 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
私の時より気まぐれを起すは人のするのでは無くて皆心がらの浅ましい訳がござんす、私はこんないやしい身の上、貴君は立派なお方様
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
そのいやしい女一人のために、あれほどの地位を棒に振って、半生涯をうずめてしまうような羽目はめに陥っておしまいになったのが情けない。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
女4 それに、今度の御相手は、なんでも、竹籠たけかご作りのお爺さんとかの娘で、それもまだ十七、八のとんだいやしい田舎娘いなかむすめなんですって!
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
ゆえに酒色云々の談をなして、あるいはこれを論破し、あるいはこれを是非するの間は、到底諸論のいやしきものと言わざるを得ず。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
クリストフのくつの大きいこと、服の醜いこと、ほこりをよく払ってない帽子、田舎訛いなかなまりの発音、可笑おかしなお辞儀の仕方、高声のいやしさ
そしてもし濃紅姫がお目見得に出ないために、他のいやしい女がお妃になるような事になると、かえって王様に対して恐れ多い事になる。
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
何探偵?——もってのほかの事である。およそ世の中に何がいやしい家業かぎょうだと云って探偵と高利貸ほど下等な職はないと思っている。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
さらば疾翔大力は、いかなればとて、われわれ同様いやしい鳥の身分より、その様なる結構のお身となられたか。結構のことぢゃ。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
ふだん自分のぜにでお酒を呑めない実相を露悪しているようで、いやしくないか、よせよせという内心の声も聞えて、私は途方に暮れていた。
善蔵を思う (新字新仮名) / 太宰治(著)
形態的にははちの子やまた蚕ともそれほどひどくちがって特別に先験的に憎むべくいやしむべき素質を具備しているわけではないのである。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
くゞりしとか申程にいやしく見えしよしすれば貴公樣あなたさまなどは御なりは見惡ふいらせられても泥中でいちう蓮華はちすとやらで御人品は自然おのづからかはらと玉程に違ふを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
町の女のようにいやしくなくて、そういう生活にある者といえば、さしずめ、このふたりは、御所のうちに仕えている女官にちがいあるまい。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが十秒もたたないうちに阿Qも満足して勝ちほこって立去る。阿Qは悟った。乃公はみずから軽んじ自らいやしむことの出来る第一の人間だ。
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
少なくとも今一つの人にいやしまるる職分のごときは、是に比べるとずっと小さな偶然だったと、認め得る時が来ようかと思う。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
つい十年ほど前の、旧幕時代には、芝居者は河原乞食といやしめられ、編笠あみがさをかぶらなければ、市中を歩かせなかったという。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
少女は今までの衣裳を解き捨てて、いやしい奴僕ぬぼくの服を着け、犬の導くままに山を登り、谷に下って石室いしむろのなかにとどまった。
是においてかエサウはヤコブとたねを異にし、またクイリーノは人がこれをマルテに歸するにいたれるほど父のいやしき者なりき 一三〇—一三二
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
もとよりいやしき身にて候得者さふらへばたとひ御手討に被成なされ候とも何かは苦しかるべきに、一命をお助け被下くだされし上は、かばかりの傷は物の数にても候はず
それもね、最初お代先生の両親が不同意で、貴夫人には貴夫人の学問がるというが今の貴顕紳士きけんしんしの貴夫人には素姓すじょういやしい醜業婦しゅうぎょうふが沢山いる。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
庭作りとして、高貴の家へ出入していたお島の父親は、彼が一生のきずとしてお島たちの母親である彼が二度目の妻を、いやしいところから迎えた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その当時の余にはいやしむべき一種の客気があって専門学校などは眼中にないのだというような見識をその答案の端にぶらさげたかったのである。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ロミオ このいやしいたふと御堂みだうけがしたをつみとあらば、かほあかうした二人ふたり巡禮じゅんれいこのくちびるめの接觸キッスもって、あらよごしたあとなめらかにきよめませう。
わが日頃ひごろちかひそむくものなればおほせなれども御免下ごめんくだされたし、このみてするものはなきいやしきわざの、わが身も共々とも/″\牛馬ぎうばせらるゝをはぢともせず
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
脱走してからの生活は、いやしく、汚れた、みじめなものだったらしい。だが、その汚濁や卑賤の中から、彼は自分にふさわしい生きかたを選んだ。
これに対して日本の音曲おんぎょくや演劇やは、どこか本質上に於ていやしく、平民的にくだけており、卑俗で親しみやすい感がする。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
きみつて呉起ごきして(一〇二)ともかへり、すなは(一〇三)公主こうしゆをしていかつてきみかろんぜしめよ。呉起ごき公主こうしゆの・きみいやしむをば、すなはかならせん
「お父さんの考えていらっしゃるほど、文学というものはいやしいものではありません。どうぞ心配しないで下さい!」
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
役者の仕着しきせを着たいやしい顔の男が、渋紙しぶかみを張った小笊こざるをもって、次の幕の料金を集めに来たので、長吉は時間を心配しながらもそのまま居残った。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
近江の國のいやしい老婆が參つて申しますには、「王子の御骨を埋めました所は、わたくしがよく知つております。またそのお齒でも知られましよう」
いやしい階級の人でさえも源氏の再び得た輝かしい地位を喜んでいる時にも、ただよそのこととして聞いていねばならぬ自分でなければならなかったか
源氏物語:15 蓬生 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ひつかゝりのひとつは、現に彼の眼前めのまへに裸体になつてモデル臺に立つているお房だ。お房は、幾らかの賃銭ちんせんで肉體のすべてをせてゐるやうないやしいをんなだ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
いやしい身分の者を、御面倒を見ていただきました、お母様は私がお見送りいたしましたが、思うことの万分の一もできないで、申しわけがありません
愛卿伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その空想をいやしめ実学を務め、あくまで経験的の智識を重んずる、ことごとく挙げて『省諐録』にありとせざるべからず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
元来サモア人は極くいやしい者でも汚物を運ぶことを嫌うのに、小酋長たるヘンリが毎晩敢然と汚物のバケツを提げては蚊帳かやをくぐって捨てに行っていた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ほんとに/\親甲斐もないいやしい身分出のあたしから、おまえさんのようにあゝした大家のれっきとした嫁御寮を
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
否運ひうんひて志を屈せずしてこそ人たる甲斐はあれ。汝の氣力あり技倆あるを、傲慢なる羅馬の貴人あてびとに見せよ、世間に見せよ。詩人はいやしきわざにあらず。
まずいやしからずとうとからずらす家の夏の夕暮れの状態としては、生き生きとして活気のある、よい家庭である。
太郎坊 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
尊大でない程度に四角張つて、いとも古風な挨拶をするのは、五十二三の浪人者で、人品もいやしからず、貧乏臭いのさへ我慢すれば、隨分立派な人柄です。
虚文虚礼便佞べんねい諂諛てんゆいやしとして仕官するを欲しなかった二葉亭もこの意外なる自由の空気に満足して、局長閣下と盛んに人生問題を論じて大得意であった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
「犬」というのは、ユダヤ人が異邦人をいやしめて呼んだ語です。路傍の犬のごとく汚れている、というのです。
まずしきといやしきとは人のにくむところなりとあらば、いよいよ貧乏がきらいならば、自ら金持ちにならばと求むべし、今わが論ずるところすなわちその法なり
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
されば彼等の仲間にて、いやしき限りなる業にちぬはまれなりとぞいふなる。エリスがこれをのがれしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とに依りてなり。
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)