網代あじろ)” の例文
網代あじろの漁をする場所に近い川のそばで、静かな山里の住居すまいをお求めになることには適せぬところもあるがしかたのない御事であった。
源氏物語:47 橋姫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ひるになれど老人未だ帰らず、我は人を待つ身のつらさを好まねば、少娘と其が兄なる少年とを携へて、網代あじろと呼べる仙境に蹈入れり。
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
脱いで高紐にかけ——と言ったような、実用とダテの事情に制せられたのかも知れないが、今日の弁信は網代あじろの笠をかぶっている。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「その中に、緋縅ひをどしよろひ着たる武者三人、網代あじろに流れて浮きぬ沈みぬゆられけるを——何とかのかみ見給ひて、かくぞ詠じ給ひける。」
武者窓日記 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
ねおきて見ると、いつのにそこへきたか、網代あじろかさ眉深まぶかにかぶったひとりの旅僧たびそう、ひだりに鉄鉢てっぱちをもち、みぎにこぶしをふりあげて
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飴色あめいろ網代あじろの乗物へ乗った訳は?、とか、紫地むらさきじ花葵はなあおい定紋幕じょうもんまくを打った訳は?、とか——それほどのことを、わざわざ聞くような越前ではない。
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
朝食の食卓で偶然箱根行の話が持上がって、大急ぎで支度をして東京駅にかけつけ、九時五十五分の網代あじろ行に間に合った。
箱根熱海バス紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
新芽の緑を反射しているとう網代あじろのひいやりとしたのを足袋たびの底に蹈みながら、家じゅうにきしめてあるらしいほのかな草実そうじつの匂いをいだ。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
見ると、猪熊いのくまの小路のあたり、とある網代あじろへいの下に腐爛ふらんした子供の死骸しがいが二つ、裸のまま、積み重ねて捨ててある。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
天床は網代あじろというのだろう、壁は砂ずりだし、なにかの消息の残欠で裾張りがしてあるが、これも彼の眼には、書き損じの反故ほごにしか見えなかった。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
けれども、次第しだい畜生ちくしやう横領わうりやうふるつて、よひうちからちよろりとさらふ、すなどあとからめてく……る/\手網であみ網代あじろうへで、こし周囲まはりから引奪ひつたくる。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
半分というと妙に聞えるが、昼中ひるなかは自分の家の田畑や網代あじろで働き、休息の時間のみを嫁の家に送るのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
高く釣りたる棚の上には植木鉢を置きたるに、なお表側の見付みつきを見れば入口のひさし、戸袋、板目なぞも狭きところを皆それぞれに意匠いしょうして網代あじろ、船板、洒竹などを用ゐ云々
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
世々じゅ四位下侍従じじゅうにも進み、網代あじろ輿こし爪折つまおり傘を許され、由緒ゆいしょの深いりっぱなお身分、そのお方のご家老として、世にときめいた吉田玄蕃げんば様の一族の長者として
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
昭和十六年から十九年迄四年続けて四月五日に伊豆の網代あじろへ海釣に行つた。この海釣は私の記念日ではなく、佐々木くにさんと益田甫さんの鯛供養の記念日なのである。
釣十二ヶ月 (新字旧仮名) / 正木不如丘(著)
その髪は網代あじろに編まれて、頭のまわりにくるりと巻きつけられ、丸い首筋とつやのいい白い額とを現わしていた。——クラナハの絵にあるようなかわいらしい顔だった。
高く釣りたる棚の上には植木鉢を置きたるに、なほ表側の見付みつきを見れば入口のひさし戸袋とぶくろ板目はめなぞも狭き処を皆それぞれに意匠して網代あじろ船板ふないた洒竹さらしだけなどを用ゐたれば
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
初瀬はせの観音の流行仏であつたことも、またそこに参籠するものの多かつたことも、女が壺装束をして網代あじろ車に乗つて出かけて行つたことも、この初瀬への道程が三日路で
早春 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
網代あじろの笠に夕日ゆふひうて立ち去る瀧口入道が後姿うしろすがた頭陀づだの袋に麻衣あさごろも、鐵鉢をたなごゝろさゝげて、八つ目のわらんづ踏みにじる、形は枯木こぼくの如くなれども、いきある間は血もあり涙もあり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
宇佐美で身動きできなくなったが、網代あじろでドッと押しこみ突きこみ、阿鼻叫喚、十分ちかくも停車して、ムリムタイにみんな乗りこんでしまったのは、網代の漁師のアンチャン連だ。
安吾巷談:07 熱海復興 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
切付しふくろ打物うちもの栗色くりいろ網代あじろの輿物には陸尺十二人近習の侍ひ左右に五人づつ跡箱あとばこ二ツ是も同く黒ぬり金紋付むらさきの化粧紐けしやうひもを掛たりつゞいて簑箱みのばこ一ツ朱の爪折傘つまをりがさ天鵞絨びろうどの袋に入紫の化粧紐を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
まだ年は三十四五にて色白にして大柄で、眉毛のふっさりと濃い、鼻筋の通りました品のい、鼠無地に麻の衣を着、鼠の頭陀ずだを掛け、白の甲掛脚半こうがけきゃはん網代あじろの深い三度笠を手に提げ
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
網代あじろに皺のはいった因業な顔も、憎体なものの言いかたも、ひどく日本人離れがしているので、『クリスマス・カロル』にでてくる、憎まれもののおやじを思いだして笑いたくなった。
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
網代あじろ沖に出漁していた漁夫は、地震の直前に電光の如き光を認めたと言い、また熱海の沖の初島付近で漁をしていた漁夫は、始め箱根の方から光り出し、天城山の方へ光って行ったのを見て
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
落葉らくようを一パイに沈めた泉水に近く、樫と赤松に囲まれた離れ座敷は、広島風の能古萱葺のこかやぶき網代あじろの杉天井、真竹まだけ瓦の四方縁、茶室好みの水口を揃えて、青銅の釣燈籠、高取焼大手水鉢の配りなぞ
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
前には刀禰とねの大河が溶漾ようようと流れていた。上つ瀬には桜皮かにわの舟に小檝おがいを操り、藻臥もふじ束鮒つかふなを漁ろうと、狭手さで網さしわたしている。下つ瀬には網代あじろ人が州の小屋にこもって網代にすずきのかかるのを待っている。
富士 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
網代あじろをすぎ、伊東にいたるを心待つ
伊豆の伊東へ (新字新仮名) / 今野大力(著)
網代あじろの網はくぐるとも
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
伸びた黒髪に、網代あじろの笠をかぶって、親鸞はよく町へ出て行く。着のみ着のままの法衣ごろも——見るからに配所の人らしくいぶせかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
網代あじろ氷魚ひおの漁もことに多くて、きれいないろいろの紅葉にそれを混ぜて幾つとなくかごにしつらえるのに侍などは興じていた。
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
と同時に悪魔もまた宗徒の精進しょうじんさまたげるため、あるいは見慣れぬ黒人こくじんとなり、あるいは舶来はくらい草花くさばなとなり、あるいは網代あじろの乗物となり、しばしば同じ村々に出没した。
おぎん (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いつも松露の香がたつようで、実際、初茸はつたけ、しめじ茸は、この落葉に生えるのである。入口に萩の枝折戸しおりど、屋根なしに網代あじろがついている。また松の樹をいつ株、株。
古狢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
初めはいかめしい築地ついじの邸がつゞいていたのが、だん/\みすぼらしい網代あじろへいや、屋根に石ころを置いたびしい低い板葺いたぶきの家などになったが、それも次第にまばらに
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その与次郎が、弁信と茂太郎に相談をかけられて、暫く眼をつぶって首をひねっていたが、やがて、ずかずかと立って戸棚の中から引出して来たのが、竹の網代あじろおいであります。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
例えば不均等に二分して、大なる部分を棹縁さおぶち天井となし、小なる部分を網代あじろ天井とする。或いは更に二元性を強調して、一部分にはひら天井を用い、他の部分には懸込かけこみ天井を用いる。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
露路ふうの、敷石みちが、植込のあいだをゆるやかに曲って、数寄屋すきや造りの家の前へと、続いている。その家の玄関の左手に、網代あじろの袖垣があり、そこに一人の若者が、柴折戸しおりどをあけて待っていた。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
わし伊豆いず網代あじろへ行ったことがある、其処に売られて来た芸妓げいしゃは、矢張叔父さんにだまされて娼妓じょろうにされまして来たと云うので、涙を落しての話で有ったが、それはお気の毒な事だねえ、左様でげすか
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
召捕とはるゝやと云せもあへず越前守大音に飴色あめいろ網代あじろ蹴出けだし黒棒くろぼうは勿體なくも日本ひろしと雖も東叡山御門主に限るなり然程に官位の相違する天一坊が宮樣みやさまひとしき乘物に乘しは不屆なれば召捕といひしなり此の時山内から/\と打笑ひ越前守殿左樣にしらるゝなら尋ぬるには
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
たけ網代あじろにあんだ駕籠かごである。山をとばすにはかるくってくっきょうな品物。それへ、さいぜん、忍剣にんけん鉄杖てつじょう腰骨こしぼねをドンとやられた、蚕婆かいこばばあっていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
網代あじろに人がたくさん寄っているようだが、しかも氷魚ひおは寄らないようじゃないか、だれの顔も寂しそうだ」
源氏物語:47 橋姫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
わたしは路ばたの天水桶てんすいおけうしろに、網代あじろの笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
まだある、秋の末で、その夜は網代あじろごうの旧大荘屋の内へ療治を頼まれた。
遺稿:02 遺稿 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
掛し長持ながもち二棹露拂つゆばらひ二人宰領二人づつなり引續ひきつゞきて徒士かち二人長棒の乘物にて駕籠脇かごわき四人やり挾箱はさみばこ草履取ざうりとり長柄ながえ合羽籠かつぱかご兩掛りやうがけ都合十五人の一列は赤川大膳にて是は先供さきとも御長持あづかりの役なり次に天一坊の行列は先徒士九人網代あじろの乘物駕籠脇のさむらひは南部權兵衞本多源右衞門遠藤森右衞門諏訪すは右門遠藤彌次六藤代要人かなめ等なり先箱二ツは
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
網代あじろ笠の裏を覗き、笠の緒の付根つけねをパリッとむしり取った。その下に貼り込めて来た一通の書状が彼の膝へ落ちた。新六は、畳み目を伸ばして主人の手へ渡した。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時節はかわに近い山荘では網代あじろに当たる波の音も騒がしくやかましいからとお言いになって、阿闍梨あじゃりの寺へおいでになり、念仏のため御堂みどうに七日間おこもりになることになった。
源氏物語:47 橋姫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
その甚内は今わたしの前に、網代あじろの笠を傾けながら、薄明るい雪路を歩いている。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
唐焼からやき陶物床几すえものしょうぎに、ここの御隠家ごいんけ様なる千蛾せんが老人はゆたりと腰を休めて、網代あじろ竹の卓のうえに片肱かたひじ
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし甚内は見返りもせず、さっさと雪路ゆきみちを急いで行きます。いつかさし始めた月の光に網代あじろかさほのめかせながら、……それぎりわたしは二年のあいだ、ずっと甚内を見ずにいるのです。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
十月の一日ごろは網代あじろの漁も始まっていて、宇治へ遊ぶのに最も興味の多い時であることを申して中納言が宮をお誘いしたために、兵部卿の宮は紅葉見もみじみの宇治行きをお思い立ちになった。
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
一方、早打ちをうけて、伊東入道祐親も、手勢をくり出して、網代あじろをこえ、熱海口をふさいだ。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)