さかずき)” の例文
もう明日あすの朝の準備したくをしてしまって、ぜんさきの二合をめるようにして飲んでいた主翁ていしゅは、さかずきを持ったなりに土間の方へ目をやった。
黄灯 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「ああ、いい事があらあ」釈迦しゃかの十蔵と云うだ二十二三の男が叫んだ。彼は忠次のさかずきを貰ってから未だ二年にもなっていなかった。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そこへは病気のまだ好くならぬ未亡人の外、りよを始、親戚一同が集まって来て、先ず墓参をして、それから離別のさかずきかわした。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ターネフは、安楽椅子あんらくいすに、どっかと身をなげかけた。その前に小さいテーブルがあって、酒のびんさかずきとソーダ水の筒とがのっている。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「先生も、もうそろそろおででしょう。構いませんから先へやりましょう。」と駒田はさかずきを年上の記者にさして吸物椀すいものわんふたをとる。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二十日の後、いっぱいに水をたたえたさかずきを右ひじの上にせて剛弓ごうきゅうを引くに、ねらいにくるいの無いのはもとより、杯中の水も微動だにしない。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
土佐守はもうさかずきを持っております。お菊は着換えをするひまもなく、ほんの心持化粧崩れを直して、土佐守の前へ押出されたのです。
空いたさかずきに丹尾は酒を注ぎ入れた。五郎は一口含んだ。特別のにおいと味が口の中に広がった。ごくんと飲み下して五郎は言った。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
「ええ、——」おしのは頷いて、それからぱっと明るく微笑した、「でもそのお話はあとでしますわ、さ、どうぞさかずきをお持ちになって」
雪と泥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
勢いあまってしゃべってしまったものの、鷲尾はとっつきないような気持でさかずきをとりあげたが、酒はすっかり冷えていてニガかった。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
それでみん御免蒙ごめんこうむって岡田より先へ食事を済ました。岡田はそれがこっちも勝手だといった風に、ひとぜんを控えてさかずきめ続けた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
初めてのお客に向って「アンタが何ナ……わたしさかずき指すなんて生意気バイ」と啖呵たんかを切りますと、イキナリその盃を相手にタタキ付けて
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「いや。野村はどんなつもりでいるかしらないけど、私が帰れば子供たちは喜んでくれるわ。結婚式の日、母子のさかずきも交したんだもの。」
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
献盃けんぱいでもするみたいに、さかずきを遠くに離して、右手で酒をつぐと、ゆっくり銚子をおき、盃を口と両方から接近させる形で、ちゅうと飲む。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
なみなみとついである方へとがらした口唇くちびるを持って行くさかずきの持ち方からしてどうもただではないので、この人は話せると思った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
にわいたえんばな——金魚鉢きんぎょばちから六しゃくほどのへだたりがあつたが、そのえんばなにウィスキイのかくびんと、九たにらしいさかずきが二つおいてあつた。
金魚は死んでいた (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
ばかなやつら! その水でさかずきをそそぎ、その流れで手拭てぬぐいをしぼって頭や胸を拭く、三尺へだたればきよしなんて、いい気なものだ。
旧聞日本橋:17 牢屋の原 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それもいいさ。久しぶりで——あんまり久しぶりでもなかッた、一昨日おとといの今夜だッけね。それでもまア久しぶりのつもりで、おい平田、さかずき
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
俊亮は、さかずきをあげながら、三人の子を一通り見較べた。どう見ても次郎の顔の造作が一番下等である。眼付や口元が、どこか猿に似ている。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
まず前にも例示した『灰汁桶あくおけ』の巻を開いて見る。芭蕉の「あぶらかすりて」の次の次に去来の「ならべてうれし十のさかずき」が来るのである。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
いつもそう浮き立ってばかりいる男ではないが、今日は特に一杯さかずきをふくむごとに、一杯ずつ滅入めいって行くような気色けしきがいぶかしいのです。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
律が仏蘭西留学中のつうを振り廻して出した一九一〇年産のブルゴーニアを注いださかずきを手にして、その音楽に冷笑を送っていた。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
博士もおさかずきの巡り来るが如く来るものとすれば俗世間にて自分より頭の上にある先輩の数を数へて順番の来るを待つべきなり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
道阿弥の首を賞翫しょうがんしながら、若夫婦が蚊帳かやの中の寝床でさかずきの遣り取りをするのも、草双紙の趣向にもありそうなことである。
武州公秘話:02 跋 (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
銀子はしかし栗栖を避けるわけに行かず、お座附がすんで、酒がまわり席が乱れるころになって、栗栖が呼ぶのでそばへ行くと、彼はさかずきを干し
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
道阿弥の首を賞翫しょうがんしながら、若夫婦が蚊帳かやの中の寝床でさかずきの遣り取りをするのも、草双紙の趣向にもありそうなことである。
煙草はまるでやらず、酒は若い頃には無茶に飲んだこともあったようだが、五十を過ぎてからはほとんさかずきを手にしなかった。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
一双いっそう屏風びょうぶの絵は、むら消えの雪の小松に丹頂たんちょうの鶴、雛鶴ひなづる。一つは曲水きょくすい群青ぐんじょうに桃のさかずき絵雪洞えぼんぼり、桃のようなともす。……ちょっと風情ふぜい舞扇まいおおぎ
雛がたり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして、子供こどもが、どんなかなしいおもいにふけっているかということもらずに、徳利とくりると、さっそくそのさけさかずきいでみはじめました。
幸福のはさみ (新字新仮名) / 小川未明(著)
二人は互いにさかずきを取り交わしながら、いろいろの憶い出を語ったり、親類の人たちの噂話うわさばなしに花を咲かせたり、とかくの非難攻撃を浴びせかけたり
石見守はさかずきかさねて見てもいなかったが、バッと音がしたので庭先にわさきへおもてを向けてみると、もう百姓とむすめ死骸しがいがふたところにつッしていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕たちはもうこれが永遠のわかれになるかも知れないそのおわかれのさかずきをくみかわし、突然そこに菊屋の話が飛び出たので、僕はぎょっとしたのだ。
未帰還の友に (新字新仮名) / 太宰治(著)
そこでさかずきかわして、つて、今日までもしずまつておいでになります。これらの歌は神語かむがたりと申す歌曲かきよくです。
あまりよく働くので奉行が感心して、食事の時にさかずきを一つやりました。喜んで酒を飲んで、その盃を頭の上にかぶり、後にどこへか帰って行きました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
実際僕は久しぶりに、旅愁りょしゅうも何も忘れながら、陶然とうぜんさかずきを口にしていた。その内にふと気がつくと、たれか一人幕の陰から、時々こちらをのぞくものがある。
奇遇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
わしの首は、皮をぎ肉をいで髑髏どくろとし、うるしを塗ってさかずきとし、宝蔵の奥に隠してある。木曽家の奥の宝蔵にな。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おてもやん、おてもやん、あんた嫁入よめいりしたではないかいな。嫁入りしたことしたばってん、ごんじゃあどんのぐじゃっぺだるけん、あださかずきゃせんだった。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
卑弥呼はさかずきをとりあげた王に、柄杓ひしゃくをもって酒を注ごうとすると、そこへ荒々しく馳けて来たのは反絵であった。彼は王の盃を奪いとると卑弥呼にいった。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
りんどうの花はツァリンとからだをげて、その天河石アマゾンストンの花のさかずきを下の方にけましたので、トパァスはツァラツァランとこぼれて下のすずらんの
元旦の朝のかれいには、筒井は主人といっしょの座にあてがわれ、ひじき、くろ豆、塩したたい雑煮ぞうに、しかも、廻って来た屠蘇とその上のさかずきは最後に筒井のぜんに来て
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
それらがすべて馬鹿馬鹿しく見えてならなかった。自分のぜんの中にはいつもさかずきが二ツ三ツあった。お酌してくれる者があるままに自分はぐいぐいあおっていた。
六月 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
まねけば小春もよしお夏もよし秋子も同じくよしあしの何はともあれおちかづきと気取って見せたさかずきが毒の器たんとはいけぬ俊雄なればよいお色やと言わるるを
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
三月の雛祭りに漆塗うるしぬりのさかずきで飲まされる白酒のにおいと麦こがし菓子のにおいと混ぜたような、子供をもうと/\させる香気が天地に充ち満ちている、その上
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
正勝はしだいに酔いが回ってきて、爺のほうへぐっとさかずきを突きつけながら叫ぶような高声で言うのだった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
彼等は不平を申出る力を持たない。封建世界の親分子分のさかずきのなかには盲従だけが仕込まれ、彼等はそれに慣らされて居た。親分のやり方、民主主義じゃねえぜ。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
服装が変り、顔の白粉は消えたけれども、テーブルにひじを突いてさかずきめているのは、確かに怪賊だ。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
今の耳にもかわらずして、すぐ其傍そのそばなる荒屋あばらやすまいぬるが、さても下駄げたと人の気風は一度ゆがみて一代なおらぬもの、何一トつ満足なる者なき中にもさかずきのみ欠かけず
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
と勝手を存じていますから、たしなみの物を並べて膳立ぜんだてをいたし、大藏の前へ盃盤はいばんが出ました。お菊は側へまいりまして酌をいたす。大藏はさかずきって飲んでお菊に差す。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一家を挙げて秋の三月みつきを九州から南満洲、朝鮮、山陰、京畿けいきとぶらついた旅行は、近づく運命をかわそうとてののたうち廻りでした。然しさかずき否応いやおうなしに飲まされます。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
秋の入のしずやかなくれないが、ほのかに空明をひたして、眺めかたけきとあるくれのこと、庭にのぞんだ奥座敷に、片里は一人の客を相手に、小さなさかずきをふくんでいました。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)