あわ)” の例文
また世の笑いぐさだ。かつは野州やしゅう足利ノ庄から志を立ててここまで来ながら、きょうまでの苦心功業もすべて水のあわでしかあるまいが
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うれしかった事も、悲しかった事も、悲しんだ事も、苦しんだ事も、畢竟ひっきょうは水の上に浮いたあわがまたはじけて水に帰るようなものだ。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
憂鬱メランコリックな、利口そうな顔だちで、左手を長椅子の肘に掛け、右手は、あわのように盛りあがった広い裳裾もすそのほうへすんなりと垂らしている。
きつとその辺のすみつこにうち倒れて、口からあわを吹いてゐるのだらう。ひよつとすると、もう死んじまつてゐるかも知れない……。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
まちの人々は、涙ながらに少年たちの追善ついぜんをやっているとき、富士男はサクラ号のふなばたに立って、きっとあわだつ怒濤どとうをみつめていた。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
並んだ、剣橋ケンブリッジクルウのオォルのあわが、スタアト・ダッシュ、力漕りきそう三十本の終らないうちに、段々、小さくなり、はては消えてゆく。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
マリユスは役人のようなその微笑のうちに、一瞬間前まであわを吹いてどなっていたほとんど獣のような口を認めかねるほどだった。
七兵衛は少しばかりあわを食って、再び眼を拭って見たけれど、それっきり人影が庭から姿をかき消すようになってしまったから
古新聞を焚いて茶をわかしていると、暗澹あんたんとした気持ちになってきて、一切合切が、うたかたのあわよりはかなく、めんどくさく思えて来る。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
川をはさんだ山は紅葉と黄葉とにすきまなくおおわれて、その間をほとんど純粋に近い藍色あいいろの水が白いあわいて流れてゆく。
日光小品 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
六平はクウ、クウ、クウと鳴って、白いあわをはいて気絶しました。それからもうひどい熱病になって、二か月の間というもの
とっこべとら子 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
そのあわはすぐきえてしまいます。と、また、あとは死んだも同様の動かない姿がいつまでもそこにながく止っているのでした。
寂しき魚 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
「これは樽麦酒たるビールだね。おい君樽麦酒の祝杯を一つげようじゃないか」と青年は琥珀色こはくいろの底からき上がるあわをぐいと飲む。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
扉の向うは恐ろしく広いホールで、天井一面に五色のあわみたようなものがユラユラと霞んでいるのは、会員の手から逃出した風船玉であった。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
野獣は口からあわを吹いて怒り狂っていた。物凄ものすごうなり声さえも聞こえてきた。彼は餌食えじきをズタズタにしないではおかぬのだ。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
吾等われら幾年月いくねんげつ苦心慘憺くしんさんたんみづあわいや親愛しんあいなる日本帝國につぽんていこくために、計畫けいくわくしたことが、かへつてき利刀りたうあたへることになります。
「そうだ、その船につんでいる貨物が、明日中にこっちへ到着しないと、せっかく二年間を準備に費した大計画が、水のあわになってしまうのだ」
地底戦車の怪人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「お父上のここまで仕上げた御苦労が、このままでは水のあわになってしまうぞ」と十兵衛はひらき直った、「あんなことがそれほど重大なのか」
あだこ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「なぜかと申しますと、わたくしはもう間もなく、あわとなつて消えてしまはなければならない身の上でございますから。」
シャボン玉 (新字旧仮名) / 豊島与志雄(著)
妙にぐしゃぐしゃという音をたてて口の中をあわだらけにして、そうしてあの板塀いたべいや下見などに塗る渋のような臭気を部屋へやじゅうに発散しながら
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
いまはかえって、このような巷間こうかん無名の民衆たちが、正論を吐いている時代である。指導者たちは、ただあわを食って右往左往しているばかりだ。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そこまで運ぶのに全力を尽した彼の計画が一時に水のあわとなってしまった。その電報を受け取った時、彼はフジヤ・ホテルで卒倒してしまった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
どういうわけか、二匹とも、大きなはさみを片方だけもぎとられたあわれな姿で、残った片方の鋏を上に向け、よらばはさむ構えであわをふいている。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
湯水に浸された荒藁あらわらの束で洗われるたびに、馬の背中からにじみ出る汗は半蔵の見ている前で白いあわのように流れ落ちた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この至情しゞやうをあざけるひとは、百萬年まんねんも千萬年まんねんきるがい、御氣おきどくながら地球ちきうかはたちま諸君しよくんむべくつてる、あわのかたまり先生せんせい諸君しよくん
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
すると宿主やどぬし珊瑚虫さんごちゅうはブツブツ言いながら身をちぢめますが、蟹は大悦おおよろこびで外へ出ます。青い青い広い海は、ところどころ白いあわを立てております。
椰子蟹 (新字新仮名) / 宮原晃一郎(著)
遠方から見ると小さなあわかれの口から出ているにすぎないようなときでも、実は彼がかすかな声でつぶやいているのである。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
あいつは名もない馬の骨だ、ゼロだ! シャボンのあわだ! おれはまんまとだまされたんだ……今こそわかった——きれいさっぱり騙されたんだ。……
かれ、水底に沈み居たまふ時の名をそこドク御魂みたまといひつ。その海水のツブ立つ時の名をツブ立つ御魂といひつ、そのあわさく時の名を泡サク御魂といひき
水のあわと成ましたと語るに一座の者共夫はどう詮議せんぎ爲樣しやうは無事哉と云ば九助はイヱ夫に就て御話が御座ります天道てんだうと云者はあらそはれぬもので正直しやうぢきかうべ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
暑い日がやや沈みかけて、涼風立つ頃、今まで只一色大海の様に白いあわをたぎらせて居た空はにわかに一変する。
農村 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
浪打際なみうちぎは綿わたをばつかねたやうなしろなみ波頭なみがしらあわてて、どうとせては、ざつと、おうやうに、重々おも/\しう、ひるがへると、ひた/\と押寄おしよせるがごとくにる。
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「やっぱりがまんしてつづけよう。ここでげだしては、いままでの苦心くしんも水のあわだ。それにしても、こんど、あいつに会ったら、ただではすまさんぞ」
何と思ったか庄造は、いきなり勝手口へ行って、流し元にしゃがんでいる母親の、シャボンのあわだらけな手頸てくびを掴むと、無理に奥の間へ引き立てて来た。
猫と庄造と二人のおんな (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「さうだがね、此處ここまではなしがついてるんだから此方こつちでそれだけのことはれなくつちやれまでのことがみづあわなんだからね」と道理だうりかせても
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「なんて、意気地がない。男ざかりが、あわアふっくらって可笑おかしくなるよ。おや、なんてえすべっこい肌だろう」
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
あわのように生じてはすぐ消えて行くこのはかない人間というもののいかにもつけそうな明りではありませんか。人間はほんとうにかわいそうなものですね。
恋しい紫の女王にょおうがいるはずでいてその人の影すらもない。ただ目の前にあるのは淡路あわじの島であった。「あわとはるかに見し月の」などと源氏は口ずさんでいた。
源氏物語:13 明石 (新字新仮名) / 紫式部(著)
大工だいくおどろいて、まわすとたん、みずの上にぶく、ぶく、ぶくと大きなあわったとおもうと、おそろしく大きな、おにのようなかおがそこにぽっかりあらわれました。
鬼六 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ざわざわ鳴り続け出した蘆洲の、ところどころ幾筋も風筋に当る部分は吹きたおれてあわをたくさんかした上げ潮がぎあとの蘆洲の根方にだぶつくのがのぞける。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
牛乳の代わりにいでくれる、あわだった白葡萄酒アスチを飲みながら、彼は酔って頭がふらふらするのだった。
前回参看※文三は既にお勢にたしなめられて、憤然として部屋へ駈戻かけもどッた。さてそれからは独り演劇しばいあわかんだり、こぶしを握ッたり。どう考えて見ても心外でたまらぬ。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
越後の蓮華寺れんげじ村のおばが井という古井戸などもその一つで、そこでも人が井戸のそばに近よって、大きな声でおばと呼ぶと、たちまち井戸の底からしきりにあわが浮んで来て
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのため御者はめちゃめちゃに馬にむちをあてたり、手綱たづなをぐっと引きしぼったりしました。それで、馬はふうふうあわをふきだしていました。馬は若くて元気でした。
おどろきと喜悦よろこび、つぎにこわい表情が文次の顔にどもえを巻いた。手早く金を袂へ返して、何思ったか走り出そうとしたが、よっぽどあわを食っていたものと見える。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
しばらくぶくぶくあわが立っているのを彦太郎はじっと見つめながら、卯平がなかなか上って来ないので少し不安になりはじめたが、すると、今まで騒いでいた水面が
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
いわんや、その筆算の加減乗除も少しく怪しき者においてをや。学校の勉強はまったく水のあわなり。
小学教育の事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
他のものはどうでもいいのだが、照彦様にゆかれてしまっては、せっかくの苦心が水のあわになる。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
単に溺死できしした場合にあるようなあわは出ていなかった。細胞組織の変色はなかった。咽喉のどのあたりには傷痕きずあとと指の痕とがあった。両腕は胸の上に曲げられ、硬くなっていた。
よしんば仮りにこれが事実であったとしても上野介はこれと鰹節とをくらべてみて、よろしい浅野の青二才にひとあわ吹かせてやろうと思い立つほど思慮の浅い男ではない。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)