くら)” の例文
汗はしんしんと工人達の背にまろび、百合はあかく咲き極まって酷暑の午後の太陽の光のなかにくらむばかりの強い刺戟を眼に与える。
真夏の幻覚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
平常ふだんから心掛の良い、少し氣の弱いお吉が、どんなに嫉妬しつとに眼がくらんだにしても、そんな大それた事を仕出かさうとは思はれません。
孝也は苦痛のあまり息が詰り、眼がくらんだ。馬蹄の音と、大勢の喚く声が聞え、誰かが脇へ来て、ひきつった調子で孝也の名を呼んだ。
月の松山 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこへて、くらまぬで、わしするあるかほとローザラインのとをお見比みくらべあったら、白鳥はくてうおもうてござったのがからすのやうにもえうぞ。
宋江は絶体絶命、眼もくらむばかりだったが、彼の声を耳にするやいな、われも覚えず脱兎のように逃げて行った。あとも見ずに姿を消す。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぼくはぼんやりとし、何故か急に目のまえがくらくなった。そのぼくに、やはり満面にごく母性的な笑みをたたえながら、彼女が声をかけた。
はやい秋 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
彼女はそのうちに目がくらんできた。そして意識が判然としなくなってきた。何か深い深いところへ落ちていくような気がした。
或る嬰児殺しの動機 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
空は愈々いよいよ青澄み、くらくなる頃には、あいの様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、茜色あかねいろに輝いて居る。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
誰も通らない星あかりのくらい通りを、墓地の方へ歩いてみる。おそろしい事物には、わざと突きすすんでふれてみたいような荒びた気持ちだ。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
その寝るには表の往来を枕にして、二つ並べてべたとこ枕辺まくらもとの方にはランプを置いて、愈々いよいよ睡る時はそのランプの火を吹き消してくらくする。
白い光と上野の鐘 (新字新仮名) / 沼田一雅(著)
いや、支那人自身にしても、心さえくらんでいないとすれば、我々一介の旅客よりも、もっと嫌悪に堪えない筈である。……
長江游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「二毛暁に落ちて頭をくしけづることものうし、両眼春くらくして薬を点ずることしきりなり」「すべからく酒を傾けてはらわたに入るべし、酔うて倒るゝもまた何ぞ妨げん」
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
日が次第に、この以後くらくなる。唄の声(どこからか聞こえる)ぬしを松戸で、目を柴又しばまたき、小岩したえど、真間ままならぬ。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
しかしながらあわてた卯平うへいかくごと簡單かんたんかつ最良さいりやうである方法はうはふひまがなかつた。またいかつてかれほゝねぶかれいた。かれくらんだ。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
公園は森邃しんすいとして月色ますますくらく、夜はいまや全くその死寂に眠れるとき、谽谺こだまに響き、水に鳴りて、魂消たまぎ一声ひとこえ
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ベンチの明いているのが一つあるので、それに腰を掛けて、ラシイヌをひるがえして見たが、もうだいぶくらくて読めない。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たいような気がしたが、だんだん心がくらくなる。とあなのなかの暗いのも忘れてしまう。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
向て有し故左りの方へ跳起はねおきて枕元に有し短刀を拔きおのれ曲者御參なれと切て掛れど病につかれし上痛手いたでをさへ負たれば忽ちくらみて手元の狂ひしゆゑ吾助が小鬢こびん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
だがそれらは漸次に遠くへ行き、多く饒舌しゃべるようになり、彼女も段々理解できなくなり、ただ耳のあたりが騒がしく、頭がくらむような気がするようになった。
不周山 (新字新仮名) / 魯迅(著)
そして一こくずつにくらくなって行くその平地を見ていると、心に来てなにかものを言うものがあるようだ。
黄昏 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
頭の中で血が渦巻いている。目がくらんで来る。息がせわしくなって来る。それにだれも側にはいない。なぜ己は婆あさんを追い出してしまっただろう。あれだって人間だ。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
くらになつた港の所々に微かな火がとぼしてある。波は砂に打ち寄せてゐる。空には重くろしい雲が一ぱい掛かつてゐる。誰も誰も沈鬱な、圧迫せられるやうな思をしてゐる。
それから一松斎は、満更まんざら、芸道にもくらからぬ言葉で、江戸顔見世かおみせの狂言のことなど、訊ねるのだったが、ふと、やや鋭い、しかし、静かさを失わぬ目つきで、雪之丞を見詰めると
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
克畏こくいしんを読めば、あゝおおいなる上帝、ちゅうを人にくだす、といえるより、其のまさくらきに当ってや、てんとしてよろしくしかるべしとうも、中夜ちゅうや静かに思えばあに吾が天ならんや
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
慶応二年の春とは名だけ、細い雨脚が針と光って今にも白く固まろうとする朝寒、雪意せついしきりに催せば暁天ぎょうてんまさにくらしとでも言いたいたたずまい、正月事納ことおさめの日というから二月の八日であった。
ふと下から人が見て居やしまいかと思って見下した時には自分は幾十尺という空中にら下っている気持がして、もう眼がくらんで何も見定みさだめが付かなかった。今更私は後悔したけれど、仕方がない。
暗い空 (新字新仮名) / 小川未明(著)
手や足にも汗がにじみ出て、下宿の部屋へ入って行った時には、睡眠不足の目がくらむようであった。笹村は着物を脱いで、築山つきやまの側にある井戸の傍へ行くと、冷たい水に手拭を絞って体を拭いた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
鶴巻町の新開町を過れば、夕陽せきようペンキ塗の看板に反映し洋食の臭気芬々ふんぷんたり。神楽坂かぐらざかを下り麹町こうじまちを過ぎ家に帰れば日全くくらし。燈をかかげて食後たわむれにこの記をつくる。時に大正十三年甲子かっし四月二十日也。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
遠つあふみ浜名のみうみ冬ちかし真鴨まがもかけれり北のくらきに
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
と空のくらみ行く時、軒打つ雨はやうやく密なり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
そして、思わず眼がくらむのを覚えた。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
明るい盤が周囲まわりからくらくなって来る。
平常ふだんから心掛けの良い、少し気の弱いお吉が、どんなに嫉妬に眼がくらんだにしても、そんな大それた事を仕出かそうとは思われません。
家中ぜんたいの是非正邪がくらまされてしまう、この点についても、真偽が明らかにされるよう、書状をもって国目付へ訴え出るつもりです
階下はくら冷々ひえびえとしてゐる。富岡は女の降りて来るのを、階段の下で待つてゐた。卓子に椅子の乗せてある店の床に、鼠がちらちらしてゐた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
意識がくらくなって、自分の絶叫が、遠い他人の声のように耳に聞こえました。私に、そして盲目で、聾で唖の時間が、やってきたのでした。……
恐怖の正体 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
雨、いよいよくらく、四条畷しじょうなわてもあきらめるほかなく、途中「桜井ノ駅」の跡をさがす。すでに日もどッぷりで暗い木立と水たまりのほか何ものもない。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大野はくらくなったランプの心をじ上げて、その手紙の封を開いた。行儀のいお家流の細字を見れば、あの角縁つのぶちの目金を掛けたお祖母あさんの顔を見るようである。
独身 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
委敷くはしく物語り重て若黨の忠八と云ふ者をそばちかく招き寄汝は我が方に幼少より勤めたましひをも見拔し故申殘すなり我吾助を一打に爲んと思ひしにくらみたればわづか小鬢こびん少しを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
横川よかわの僧都は、今あめした法誉無上ほうよむじょう大和尚だいおしょうと承わったが、この法師の眼から見れば、天上皇帝の照覧をくらまし奉って、みだりに鬼神を使役する、云おうようない火宅僧かたくそうじゃ。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「わしもれ……」とかれかすかにいつたのみで沈默ちんもくつゞけた。かれ内儀かみさんのまへにどうしてものべなければならないことにそのこゝろ惑亂わくらんした。かれはぽうつとしてくらまうとした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
遠方から歌のような物音が聞える。好い音だ。好い音だ。病人の目はくらんでしまった。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
孝孺の此言に照せば、既に其の卓然として自立し、信ずるところあり安んずるところあり、潜渓先生せんけいせんせいえる所の、ひとり立って千古をにらみ、万象てらしてくらき無しのきょうに入れるをるべし。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
急阪きふはんのいただきくら濛濛もうもうと桜のふぶき吹きとざしたり
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
くらんだ目は、昼遊びにさえ、そのともしびまぶしいので。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あなと、くらめば、しりへより、戞戞戞かつかつかつだくふませ
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ビテ水雲くらシ/手ニ到ル凶函涙痕湿うるおフ/蕙帳夜空シク謦欬ノ如ク/松堂月落チテ温存ヲ失フ/俊才多ク出ヅ高陽里/遺業久シク伝フ通徳門/天際少微今見エズ/誦スルニ招隠ヲもっテ招魂ニ当ツ〕『春濤詩鈔』にこの挽詞ばんし
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
我々の目をくらますつもりか。
勘定奉行大橋近江守おおはしおうみのかみ殿をあざむき、本多伯耆守ほんだほうきのかみ殿にまで御迷惑をかけ、百姓共の強訴ごうそを拒んで、大公儀の御眼をくらます不届千万の処置振り
久馬も世評にくらまされているのだ、と甲斐は思った。家中に自分をねらっている者がある、そういう噂は正月ごろから聞いていた。