便たよ)” の例文
それに、性質が、今の家内のやうにかん気では無かつたが、そのかはり昔風に亭主に便たよるといふ風で、何処迄どこまでも我輩を信じて居た。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
来て一週間すると子供が死んだと云う便たよりがあった。相生さんは内地を去る時、すでにこの悲報を手にする覚悟をしていたのだそうだ。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ここで出来る「本高熊ほんたかくま」と呼ぶ紙も上等であります。見ただけでも便たよりになる手堅い性質の持主であります。高熊は村の名であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
爪のない猫! こんな、便たよりない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆ちほうに陥った天才にも似ている!
愛撫 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
あざらしは、毎日まいにちかぜ便たよりをっていました。しかし、一約束やくそくをしていったかぜは、いくらってももどってはこなかったのでした。
月とあざらし (新字新仮名) / 小川未明(著)
よしや鎌倉にある良人の兄君からは、まだ一片の便たよりにも「弟の妻」とゆるされたためしはなくても、彼女の心には、何の不足でもなかった。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それかと云つて便たよつて行く所は御座りませず、私は朝早うから晩の遅うまで機屋の管巻きを致しまして今日の細い烟を立てゝ居りますが
あやしや三らう便たよりふつときこえずりぬつには一日ひとひわびしきを不審いぶかしかりし返事へんじのち今日けふ來給きたま明日あすこそはとそらだのめなる
五月雨 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
新「なんでそんな、お前の伯父さんを便たよって厄介になろうと云うのだから、決して見捨てる気遣きづかいはないわね、見捨てれば此方こっちが困るからね」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
かくやもめとなりしを便たよりよしとや、ことばたくみていざなへども、一〇四玉とくだけてもかはらまたきにはならはじものをと、幾たびか辛苦からきめを忍びぬる。
……姉さんが宮中を去ってからというものは、ほかに身寄り便たよりのない妾の淋しさ心細さが、日に増しつのって行くばかりでした。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
駅前の俥は便たよらないで、洋傘かさで寂しくしのいで、鴨居かもいの暗いのきづたいに、石ころみち辿たどりながら、度胸はえたぞ。——持って来い、蕎麦二ぜん
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
在所の者は誰も相手にせぬし、便たよかたも無いので、少しでも口をす為にあますヽめに従つて、長男と二男を大原おほはら真言寺しんごんでら小僧こぞうつた。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
とゞまりしと雖も小夜衣の事を思ひきりしに非ず只々たゞ/\便たよりをせざるのみにて我此家の相續をなさば是非ともかれ早々さう/\身請みうけなし手活ていけの花とながめんものを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
およその下図は廻って来ましたが、今度は鏡縁欄間のような平彫りとは違って狆の丸彫りというのですから、下図に便たよっているわけに行かない。
おっかあも、それだけの便たよりで満足まんぞくしていた。ご亭主ていしゅがたっしゃでいる、仕事もある、お金がもうかる——と、それだけ聞いて、満足まんぞくしていた。
それを忠実に勤めて来た母親の、家職のためにあの無性格にまで晒されてしまった便たよりない様子、能の小面こおもてのように白さと鼠色の陰影だけの顔。
家霊 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
交通が専ら陸路にのみ便たよるというわけのあろうはずがない、海に風浪の難があるというかも知れぬけれど、陸上にも天然の困難がないでもない。
昨霄ゆうべ飯田町を飛出して、二里ばかりの道を夢中に、青山の知己しるべまで便たよつて行けば、彼奴きやつめたいがい知れとる事に、泊まつて行けともいはないんだ。
誰が罪 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
便たよりねえ身の上はうらばかしでねえ、一人法師ひとりぼつちが二人寄りや、もう一人法師でねえちふもんだ、といふやうな気にもなる。
椋のミハイロ (新字旧仮名) / ボレスワフ・プルス(著)
それからお前が全く眼を退けて、私だけに注意するというのは、便たよりなくも心細くも思われることに違いない。然し私はお前に云う。躊躇ちゅうちょするな。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
省作の便たよりを見、まれにも省作に逢うこともあれば、悲しいもつらいも、心の底から消え去るのだから、よそ目に見るほど泣いてばかりはいない。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
岩手県の方にいる友からはこの頃、便たよりがなかった。釜石かまいしが艦砲射撃にい、あの辺ももう安全ではなさそうであった。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
奉行からはその後なんの便たよりもなかった。そしてその聖像ピエタは四日たっても帰っては来なかった。裕佐はいらだって来た。
どうしたのかなあ、ぼくには一昨日おとといたいへん元気な便たよりがあったんだが。今日きょうあたりもうくころなんだが。ふねおくれたんだな。ジョバンニさん。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
西洋文学から得た輸入思想を便たよりにして、例えば銀座のかどのライオンを以て直ちに巴里パリーのカッフェーにし帝国劇場を以てオペラになぞらえるなぞ
其許に便たより行きつゝ訳は少しも明さずに一泊を乞いたるが夜明けてちも此辺りへは人殺しのうわさも達せず妾は唯金起が殺されたるや如何にと其身の上を
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
仁太や正は海軍に配置はいちされていた。平時へいじならば微笑びしょうでしか思いだせない仁太の水兵も、いったまま便たよりがなかった。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
ただ一つ分っていた事は、支配人の記憶に残っているその男の容貌風采ふうさいであるが、それがはなは便たよりないのである。
二銭銅貨 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この方言を便たよってここにアズサの実物が明かにせられたが、それは故白井光太郎博士の功績に帰せねばなるまい。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
彼も妻も低い下駄、草鞋わらじ、ある時は高足駄たかあしだをはいて三里の路を往復した。しば/\暁かけて握飯食い/\出かけ、ブラ提灯を便たよりによるおそく帰ったりした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
封を切ってみると、驚いたことには、四年前、突然アメリカへ行ったという噂を友人仲間にのこしたきりで行方不明になった浅田雪子からの便たよりであった。
秘密 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
耳をふさいでしまう。彼の赤ちゃけた頭がひっこむ。近所の人たちは踏段の下へ列をつくり、便たよりを待っている。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
Yは、現在日本でのソシアリストの首領とされてゐるT氏とK氏を便たよつて最近に地方から出て来た青年だつた。そしてT氏の経営してゐるB社で働いてゐた。
監獄挿話 面会人控所 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
月明りが便たよりですが、六枚は今ったもののようにピタリと合って、真ん中のが一枚だけ欠けて居るのです。
大江戸黄金狂 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
しかし、だれも来なかった。だれからも一言の便たよりもなかった。なんらの同情のしるしも見られなかった。
さてその軍艦と申しても至極しごく小さなもので、蒸気は百馬力、ヒユルプマシーネと申して、港の出入でいりに蒸気をくばかり、航海中はただ風を便たよりに運転せねばならぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
多くはこれを便たよつて来て、三助から段々湯屋の主人に立身しようとして居る人間も随分あるといふ事だ。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
「この島で死なせようつもりなら、穀種などたまわるはずはない。つまりは、この籾をいて収穫とりいれをし、それをちから便たよぶねを待てというこの御顕示ごけんじがわからぬのか」
藤九郎の島 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「故郷よりのふみなりや。悪しき便たよりにてはよも」彼は例の新聞社の報酬に関する書状と思いしならん。
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
東京へ着いたのは其日の午後の三時頃だったが、便たよって行くのは例の金時計をぶらげていたという、私のうちとは遠縁の、変な苗字だが、小狐おぎつね三平という人のうちだ。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
広津ひろつ編輯主任へんしうしゆにんでありました、乙羽庵おとはあんは始め二橋散史にけうさんしなのつて石橋いしばし便たよつて来たのです、その時は累卵之東洋的るいらんのとうやうてき悲憤文字ひふんもんじを書いてたのを、石橋いしばしから硯友社けんいうしや紹介せうかいして
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
午後二時というに上野をでて高崎におもむく汽車に便たよりて熊谷まで行かんとするなれば、夏の日の真盛りの頃を歩むこととて、市中まちなかの塵埃のにおい、うまくるまの騒ぎあえるなど
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
私ひとりを便たよりにでもしているように、私がものを書いている窓に来て一言二言ずついった。
おやじは何処どこかへ行ったまんま、二十年も便たよりがない。どこかでどうにか成ったんだろう。
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
右近うこんまでもそれきり便たよりをして来ないことを不思議に思いながら絶えず心配をしていた。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
あたりは真っ暗であったけれども、板の合わせ目や節穴からして来る月の光を便たよりにして行くと、廊下の突あたりに、戸の隙間すきまからぼんやり灯影の洩れている一と間があった。
しかし、ロチスター氏の便たよりはなかつた。十日つたが、まだ彼は歸つて來なかつた。
俗語の精神は茲に存するのだと信じたので、これだけは多少便たよりにしたが、外には何にもない。尤も西洋の文法を取りこまうといふ気はあつたのだが、それは言葉の使ひざまとは違ふ。
言文一致 (新字旧仮名) / 水野葉舟(著)
そういう風にその可哀相な人はわたしに便たよるのだから、わたしはまたその人のたすけになるのを自分の為事にしているのです。それが今お前に言われて見れば、わたしのおっ母さんなのね。