あるじ)” の例文
しかし迫害が烈しいだけに、「万事にかない給うおんあるじ」も、その頃は一層この国の宗徒しゅうとに、あらたかな御加護おんかごを加えられたらしい。
おぎん (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
なんのために、生涯、日蔭におくり、自らの魔夢にうなされ、こんな万年床のあるじになって終るのかと——刑部はまたも、ぐちになる。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
綱曳つなひきにて駈着かけつけし紳士はしばらく休息の後内儀に導かれて入来いりきたりつ。そのうしろには、今まで居間に潜みたりしあるじ箕輪亮輔みのわりようすけも附添ひたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「はい、そうしてそのお方様こそこの城のあるじでござりました。そうしてもう一人のお方様は宗介様のおん弟夏彦様でござりました」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
女は夜更けてから梯子をさして、そっと二階のあるじの部屋の戸をたたいたが、やはり入ることが出来ずに、外から悪体をいて帰って来た。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
見てひそかもとの座へ立ち歸り彼は正しく此所のあるじさては娘の父ならん然れば山賊のかくにも非ずと安堵あんどして在る所へ彼娘の勝手よりぜん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
『戀塚とは餘所よそながらゆかしき思ひす、らぬまへの我も戀塚のあるじなかばなりし事あれば』。言ひつゝ瀧口は呵々から/\と打笑へば、老婆は打消うちけ
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
そんなにあなたが、司馬の道場のあるじになりたいのだったら、あらためて、このわたしのところへお婿入りして……ネ、わかったでしょう?
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
時々は馬鹿にした小鳥が白い糞をしかける。いたずらなくもめが糸で頸をしめる。時々は家のあるじが汗臭い帽子を裏返しにかぶせて日に曝らす。
地蔵尊 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
私が今日の目的に就いて水車小屋のあるじに語った後に、杖をて、ゼーロンをき出そうとすると彼は、その杖をむちにする要があるだろう——
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
すでに英国大使館の標識を付けた立派なキャデラックがホテルの前に止まって、運転手の野郎はあるじ待ち顔に大欠伸おおあくびをしていた。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
此の隣なる家のあるじなりしが、一二九過活わたらひのためみやこに七とせまでありて、きその夜帰りまゐりしに、既に荒廃あれすさみて人も住ひ侍らず。
我が郡中ぐんちゆう小千谷をぢやちゞみ商人芳沢屋よしさはや東五郎俳号はいがうを二松といふもの、商ひのため西国にいたりある城下に逗留とうりうの間、旅宿のあるじがはなしに
ラサ府には三軒シナ人の薬店やくてんがあるけれども其宅その店が一番大きいので、そのあるじはまだ三十歳ぐらい、ごく人のよいかたで大層親切にしてくれた。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
そこでは、行動は、すべて未完成で、幼稚で、所在にあるじたることを失い、思考作用の空虚と無為は、果てしないものになる。
南極記 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
しかし、民主とは、民のあるじと書き、そのつまり主義、思想、アメリカ、世界、まあ、だいたいそういったわけのものかと私は解して居ります。
男女同権 (新字新仮名) / 太宰治(著)
おんあるひと二年目にねんめせていまあるじ内儀樣かみさま息子むすこ半次はんじはぬもののみなれど、此處こゝ死場しにばさだめたるなればいやとてさら何方いづかたくべき
わかれ道 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
いきほひじようじて、立處たちどころ一國一城いつこくいちじやうあるじこゝろざしてねらひをつけたのは、あらうことか、用人ようにん團右衞門だんゑもん御新造ごしんぞ、おきみ、とふ、としやうや二十はたち
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
この家のあるじは、よっぽど白い花が好きと見えて、空地と云う空地には、早咲はやざきの除虫菊じょちゅうぎくのようなのが雪のように咲いていた。
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「そうして、お前は好きな女中をやとうて、その部屋のあるじとなってよいのじゃ、人に使われるお前でなくて、人を使う身分と心得てよいのじゃ」
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
夫人は黙々として紙の上に筆を動かし、侍女は静かに墨を磨り、あるじは一人悦に入りながらとき/″\盃のふちをめている。
「あなたは日野城のあるじのお子だ、やがては父君に代わって軍をべ、国を治める大任がある。それを忘れてはいけません」
蒲生鶴千代 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
次のでは話をしている間、今年生まれた子がしっきりなしに泣いたが、しかしあるじはそれをやかましいとも言わなかった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
丈五郎は今では樋口家ひぐちけあるじだけれど、あたりまえの人間を呪うの余り、姓までも樋口をきらい、諸戸で押し通しているのだ。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
あるじ去つて一しほおもひで深い庭となりましたが、いまかうして此處で時間を過してゐても、能なしの僕にも、妻にも、哀傷の歌ひとつ作れません。
行く春の記 (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
駅前にあった古着屋の暖簾のれんをくぐり、交渉したが、古着屋のあるじは私の方を胡散臭うさんくさそうに見て、買うわけにはいかないということを大阪弁で云った。
遁走 (新字新仮名) / 小山清(著)
などという様子に品のよさの見える婦人であったから、源氏はこの山荘の昔のあるじの親王のことなどを話題にして語った。
源氏物語:18 松風 (新字新仮名) / 紫式部(著)
私は前にたびたびそこに泊ったことがあるので、その夜も小屋に泊るつもりだったが、なにしろあるじがこんな機嫌なので、帰ったほうがいいと思った。
黄金虫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
と、むしゃぶりつこうとすると、相手の乳母、これも気がうわ擦ってしまって、あるじか他人か、見境もなくしたと見えて、あべこべに噛みつくように
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
バラさん、寿江子にそう云うと、私はもう否応なくあるじで、病院にいた間とはすっかりちがい、ひとまかせにしていられない生活の顔がもう其処に在る。
寒の梅 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
その中でもはつきりと判るのは、美しい立派なお客をその家に迎へて挨拶してゐるソーンフィールド莊のあるじの、大きくはないがよくとほる聲であつた。
「この島のあるじミンチよ。太陽は海の中へすっかりおちてしまった。いよいよやくそくの時刻になったではないか。さあ、早くその尊いものを出してくれ」
太平洋魔城 (新字新仮名) / 海野十三(著)
親譲りの背広を着た男は、丸い眼をえて、へやの中にそびえる、うるしのような髪のあるじを見守った。次に丸い眼を据えて、壁の上にある故人の肖像を見守った。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
部屋のまんなかに突っ立ってけげんそうに二人を見ているあるじに会釈した後、手を差し伸べて握手したが、その間も絶えず自分の浮き浮きした気分を抑えて
此の身さえ儘ならぬ無人島のあるじ、思えば我が身ほど不運な者はない、いや/\愚痴をこぼすところでない、海上にて難風なんぷうに出会い、さいわいに船はくつがえりもせず
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「まア宜い、其處まで行屆けば、お前も一本立の御用聞だ、——十手一梃のあるじさ、——ところで菊屋傳右衞門は商賣柄うんと諸方のうらみは買つてゐるだらうな」
下宿屋生活ぐらしより一躍して仮にも一家のあるじとなればおのずから心くつろぎて何事も愉快ならざるはなし、勝手を働くは小山が世話せし雇婆やといばあさん、これとて当座の間に合せ
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
その実吉新のあるじの新造というのは、そんなわるでもなければ善人でもない平凡な商人で、わずかの間にそうして店をし出したのも、単に資本もとでが充分なという点と
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
茫然ぼうぜん自失している彼等の前に、疾風迅雷じんらいのように乗り込んで来たのは皮肉にも南部の藩士である。没収を宣言された彼らの土地や家屋にはあるじは無い筈であった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
家のあるじは此山もみじの蔭に椅子テーブルを置いて、時々読んだり書いたり、而して地蔵様を眺めたりする。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
あるじが蝋燭を持って彼の後から階段のところまで送って出て、彼が階段を降りるのを照してやった時、夜明よあけの光はもうそこのよごれた窓から寒そうに覗き込んでいた。
壁の落ちかかった奥の間へ導かれた伝七は、この家のあるじを見ると心の中で思わず「あッ」と叫んだ。
七十ばかりなあるじおきなは若き男女のために、自分がこの地を銃猟禁制地に許可を得し事柄や、池の歴史、さては鴨猟の事など話し聞かせた。その中には面白き話もあった。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
少佐から馬に乗って出勤が出来るんですから、一国一城のあるじになったような心持で大威張りだったそうでございます。ところが、お上から戴く飼葉料かいばりょうが少いんですって。
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
昼間からずっと、一番可愛がってくれるあるじを見なかったので、よっぽどうれしかったらしい。煙草葉を入れた笊を落しそうになるほど、騒々しく飛びかかって、じゃれる。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
あるじとなつて、此処に来れとわしを招くやうに、嘲笑ふ日の光に輝きながら、此方へ近づくかと思はれた宮殿を、望見してゐたと云ふ事を。疑も無く彼女はそれを知つてゐた。
クラリモンド (新字旧仮名) / テオフィル・ゴーチェ(著)
それでも勘次かんじおそろしい卯平うへいひとかまどであるよりもかへつ本意ほんいであつた。おふくろんでからいた卯平うへい勘次かんじひとつにらなければならなかつた。そのときはもう勘次かんじあるじであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
かつては大正末期の新劇大女優さ——当時三歳にすぎなかったその人をあるじとしているうちに、大正四年になると、思いがけなかった男の子が、算哲の愛妾岩間富枝にみごもったのだ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
小屋にはあるじ夫婦の外に一人の男が火を囲んで話をしていたが、用談が済むと帰って行った。少し許りの水は忽ち飲み尽して仕舞ったので、主は二斗樽を背負って汲みに出懸けた。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
すこしものらないところもありますが、いへあるじちそうな氣持きもちをよくいつてゐます。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)