“がい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ガイ
語句割合
甲斐33.2%
15.7%
11.2%
5.6%
4.9%
我意3.8%
3.8%
3.5%
3.1%
2.4%
2.1%
1.7%
1.7%
1.0%
0.7%
0.7%
0.7%
0.7%
0.3%
0.3%
0.3%
0.3%
0.3%
0.3%
0.3%
0.3%
0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そういたしましたら、私も生き甲斐があるのでございますが、三年前に死にましてからは、ほんとに、世を味気なく暮して参りました。
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
内外火山巡見した場合記事げていたが、諸君兩方比較せられたならば、國内火山作用してかであつて
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
で、感情してるなと、此方ではつてる前方が、所謂帳場なるもの……「貴女、これはつてかれますか。」とつた。
廓そだち (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
人は一年後に濠洲の真珠業が廃滅するに際し日本へ帰る地の人夫一万人を地で喰ひ止める事が出来ると云つて楽観して居る。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
松本は一咳しつ「我が鍛工組合の評議員篠田長二君の身上にて、一個の動議を提出するんですから、先づ同君にて暫時退席を要求致します」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
答らるゝに伊豆守殿點頭れ成程當節は越前を名奉行と人々を致すやに聞及べりは越前はひなり兎角に我意振舞多く人を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
旅空かけて衣服をどうするだ、と頼まれもなかったけえ、気の毒さもあり、急がずば何とかで濡れめえものを夕立だ、と我鳴った時よ。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
『このは僕等がアカシヤと呼ぶのだ。彼處に大きい煉瓦造りが見える。あれは五番館といふのだ。………奈何だ、氣に入らないかね?』
札幌 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
地蔵様の近くに、若い三本松と相対して、株立ちの若い山もみじがある。春夏は緑、秋は黄と紅のをさしす。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
なんの因果で、こんな隻眼隻腕の痩せ浪人に……と、はたの眼にはうつるだろうが、お藤の身にとっては、三一の殿御です。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
もしまたうつせが、大いなる水の心を語り得るなら、渚に敷いた、いささの花吹雪は、いつも私語を絶えせぬだろうに。
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あのさな建築技師が三も四もあるてゝ、一澤山部屋るのですから、そこには餘程せたといふものがつてるのでせう。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
そして、会計部の事務室へ入ると、とうと帽子をかたえの壁にかけながら、如何にも落ちつかぬ様子で、キョロキョロとの中を見まわすのでした。
算盤が恋を語る話 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そこは放しよ。外にがないんですもの、もとの巣へ戻ると思うから平気なもの。それとも直ぐ帰れなんのって、つれに来れば、ちょっと、隠形の術を使うわ。——一座の花形ですもの。
上ること廿四丁、蟠廻屈曲して山腹岩角を行く。石塊𡵧𡵧大さ牛のごとくなるもの幾百となく路に横りつ。時卯後、残月光曜し山気冷然としてれり。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
当時、増上寺の地続きに金地院という寺があったが、この寺の住職は駿州大納言派で自分の敗北をし、江戸城紅葉山で割腹自殺した事件なども起こった。
増上寺物語 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
「粟津原。戦場陳迹望湖山。荒冢碑存田稲間。十里松原途曲直。柳箱布幞旅人還。」松原と云ひ、柳箱と云ふ、用ゐ来つて必ずしも眼をせず。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
大草原沙塵捲きつつ響きし百の戦車の燃えにけり
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
二月に至り、燕王入覲す。皇道を行きて入り、陛に登りて拝せざる等、不敬の事ありしかば、監察御史曾鳳韶これをせしが、帝曰く、至親問うれと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
北平の按察使僉事湯宗按察使陳瑛が燕のを受けて燕の為に謀ることをするあり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
清川安策は豊後国岡の城主中川氏の医官清川玄道の次男であつた。玄道は蘭門の一人で、其長男が、次男が孫である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
蘭門の清川は家世より言へば孫の祖父、実は孫の父であつた。是は既に云つた如く孫が所謂順養子となつたからである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
仏典にはこれを一女の故を以て十八(今のえ方で百八十億)の大衆を殺した喧嘩ばかり書いた詰まらぬ物とし、『六度集経』にも羅摩を釈尊、私陀をその妻瞿夷
羅摩泥(ラーヴァナ)私陀(シタ)をち去り羅摩(ラーマ)還って将ち来るに一女の故に十八(今いう百八十億)の多数を殺し、また喧嘩の事ばかり述べあるは至極詰まらぬとあるより
べて四十里歩障れば、へて五十里る。武帝へて、まけるなとて、珊瑚樹二尺なるをふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
河陽金谷別莊むや、花果草樹異類禽獸としてあらざるものなし。武帝王鎧へるものあり。驕奢石崇相競ふ。れば、とす。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
河西野は市河寛斎で、其長子が米庵、次子が雲潭祥胤である。出でて鏑木梅渓の養子となつた。梅渓、名は世胤、字は君冑である。長崎の人で江戸に居つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
園ノ西南ツテコレヲ径ス。眺観豁如タリ。筑波二荒ノ諸峰コレヲ襟帯ルベシ。厓下ニ池アリ。ニ雲天ヲシ、芰荷菰葦叢然トシテコレニ植ス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その議論は往々快刀乱麻を断つがある。
魔睡 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「考へて見りや、わしはしやばでわるいことばかりしましただ。お経一節ろくによめないやうなわしと、一生仏様につかへて来なさつた和尚さんと、同じところへ行けないのはあたりまへかも知れません。」
百姓の足、坊さんの足 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
流れには、押太鼓
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)