甲斐がい)” の例文
僕は僕の病気のことを世間が知っていることもよく知っている。しかしそういう世間と闘うことを唯一の生き甲斐がいにして生きて来た。
文壇昔ばなし (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
和地家へ嫁してきて、生れてはじめて農事に手をつけたとき、だから伊緒はかえって生き甲斐がいをさえ感じた、——すべてはこれからだ。
日本婦道記:春三たび (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「ねえ、何かあったんでしょう。あなたの目、孤独の目よ。生き甲斐がいがないって目よ。ねえ、どうかしたの? 失職したんじゃない?」
女妖:01 前篇 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そういたしましたら、私も生き甲斐がいがあるのでございますが、三年前に死にましてからは、ほんとに、世を味気あじきなく暮して参りました。
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
そんな者と話の合いようが無かろうじゃないか。ああ、年甲斐がいもない、さいというものは幾人いくたりでも取替えられる位の了見でいたのが大間違。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
自分より詩的な兄はかつてき通る秋の空を眺めてああ生き甲斐がいのある天だと云ってうれしそうに真蒼まっさおな頭の上を眺めた事があった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夫れを誉めもせずに呼出しに来るとは友達甲斐がいがないじゃないかとおおいに論じて、親友の間であるから遠慮会釈もなく刎付はねつけたことがある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
論説や書物を世に発表するには、あまりに多くの奮発が必要だった。それほど努力甲斐がいのあることでもなかった。無益な虚栄心にすぎない。
生き甲斐がいを、身にしみて感じることが無くなった。強いて言えば、おれは、めしを食うとき以外は、生きていないのである。
兄たち (新字新仮名) / 太宰治(著)
お菊が背を見せたとなれば、匕首あいくちぐらいは振り廻すはずですが、相手が大名と聞くと、威張り甲斐がいも暴れ甲斐もありません。
さるに妾不幸にして、いひ甲斐がいなくも病に打ちし、すでに絶えなん玉の緒を、からつなぎて漸くに、今この児は産み落せしか。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
留守であったからいたし方もないと、別に不足もいわずにすましはしても、何となく頼み甲斐がいのないような気持ちがします。
女中訓 (新字新仮名) / 羽仁もと子(著)
それらにくらべると、「生き甲斐がい」というようなことに着眼した句は多少「生きて」という字を活用したとも申されます。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
「なるほど、あいつが深い執心しゅうしんだけあって、お千絵様はまるで初心うぶだ。これじゃ、にのせても一向だま甲斐がいがねえな」
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これほど働き甲斐がいのあることはあるまい。こんな時代に際して少しのことに悲観して、直ぐにも目的を捨てようとするのは太平の逸民たる所為しょいである。
青年の天下 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
「さあ、その昔馴染みと云うやつがね、お蓮さんのように好縹緻ハオピイチエだと、思い出し甲斐がいもあると云うものだが、——」
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
たのみ甲斐がいもない、うまく扱って帰してしまってくれるとばっかり思っていたのに、その頼みきった婆やが、こちらの一応の内意も聞くことをせずに
かすべしとの頼みありき頼まれ甲斐がいのあるべくもあらねど一言二言の忠告など思いつくままに申し述べてかくて後大人の縦横なる筆力もて全く綴られしを
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
最も鏖殺おうさつ甲斐がいのあるものでございますが、いままでなんともないところをみると、或いは遂になんでもないかもしれないのでありまするが、或いは又
国際殺人団の崩壊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかも悩まされながらその情欲が、また何ともいおうようなく生き甲斐がいというか、充実した人生というようなものを、私の胸一杯に感じさせていたのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
五目寿司には少しカスカスした高野豆腐でないと使い甲斐がいがないから、割合に固めのものを用いるように。
高野豆腐 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
けれどもその心配はたゞ普通の親が其子の上をうれうるのとはちがって居たのです、それで父が『折角男に生れたのなら男らしくなれ、女のような男は育て甲斐がいがない』
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
単純な何の取柄とりえもない薫より、世の中をずっと苦労して来た貝原にむしろ性格のたの甲斐がいを感じるのに、肉体ばかりはかえって強く離反りはんして行こうとするのが
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
名誉や位置などは、なくなっても、お前さえあれば、まだ生き甲斐がいがあると云うことが、分ったのだ。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
思想が一種に固定してしまったら世界は化石状態となって、人類は自我発展の余地がなくなり、何の生き甲斐がいもない退屈な中に退化し自滅し去らねばならないでしょう。
激動の中を行く (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
結婚して七、八年にもなり良人がいるが、喫茶店などで大学生を探して浮気をしている女で、千人の男を知りたいと言っており、肉慾の快楽だけを甲斐がいにしていた。
いずこへ (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
「怒ってやしないけど、連れに行くまで置いてくれてもいいじゃないの……姉妹甲斐がいもないねえ」
泣虫小僧 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
君んとこは非常に居心地がよくて働き甲斐がいがあるってね。そう言うんだ。ウンウン。妻も聞いて喜んでいるんだ。何しろ娘みたいに可愛がっていたんだからね。ウンウン。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
また、何か無性むしょうに腹の立つ時でも、あの子があらわれれば、やんわりと心が静まってしまうのじゃ。……なよたけのかぐやはこの儂のたったひとつの甲斐がいじゃった。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
この母が年甲斐がいもなく親だてらにいらぬお世話を焼いて、取返しのつかぬことをしてしまった。
野菊の墓 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
それゆえ、志賀の辛崎が、大宮人の船を幾ら待っていても待ち甲斐がいが無い、というのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
自分たちは小ブルジョア階級のあげる悲鳴なんかに対して、断然感傷的になってはいられない。だけど、あなたにはお友だち甲斐がいによいことを教えてあげるわ。——恋をしなさい。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
おれは、あいつやあいつの学問が自慢で、それがおれの生き甲斐がいでもあれば励みでもあったのだ! あいつの言うこと書くこと、みんなおれにはすばらしい天才的なものに思えた。
「血がね、なるほど、なくなりましたかね。で、なんですかい、ネロちゃんが、居縮いすくんでしまったとおっしゃるので。ネロもよくねえ、たのみ甲斐がいがないや。ヤイ、ネロめエーッ」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ひどいのになると、頼み甲斐がいある先生のみを撰んで一つの絵を持ち廻っている人たちさえあるものである。そして、ことごとくの内意を得て置くと名誉にありつきやすいという考案である。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
太子伝がどういうものであるか、批評は人々にゆだねよう。ただこれを書いていた日の生き甲斐がいに対して、僕は感謝したくなる。太子の御精神が、空襲に堪えさして下さったのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
それでも、自ら責めているふうをまだ誇張して見せ、かすれたしゃくり泣きを喉から押し戻し、ひっぱたき甲斐がいのある、その醜い顔の、ぬかみたいな斑点しみを、大水おおみずで洗い落としている。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
高ければ高いほど金の甲斐がいがあるという連中ばかり来るところなんだから、その法外さが随一なのは無理もないとして、近い例が、倫敦ロンドンで一ダース入り一箱十ペンス半のXマス爆烈菓子が
踊る地平線:11 白い謝肉祭 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
そこへ、お前がひょっこり生れ出たことによって、運命的な感情に支配しはいされていたお父さんの生活は急に甲斐がいのあるものに変ってきた。お父さんがお前のために生きるのではない。
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
生き甲斐がいを感ずるすべてであり、そうして、不本意ながら食物のために必要な零細な印度銀ルピイを得る唯一の道だったので、博士としては、じつに愉快な、満足以上に満足な仕事だったろう。
ヤトラカン・サミ博士の椅子 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
夫婦も世話甲斐がいありとて悦びしが不思議な事には大原がその後一向顔を見せず。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
筒井は貞時と話しているときに何かはたらき甲斐がいのあるものを感じ、できるだけ毎日をたのしく美しくききよめたいと、仕えの女の遊ばぬように心をくだいて、それぞれ整えるものを整え
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
するたびにバイキンはたくさん飛んでいるし。——平気なんだったら衛生の観念が乏しいんだし、友達甲斐がいにこらえているんだったら子供みたいな感傷主義に過ぎないと思うな——僕はそう思う
冬の日 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
そら引窓があいた! なんて、年甲斐がいもなく妙な声を出すのもある。
「友達甲斐がいのない人ね。そんなら為方しかたがないから一人で行くわ。」
心中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
あまり女の心のいい甲斐がいなさと頼りなさとが焦躁もどかしかった。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
「どうも絵かきにも似合わぬ堅苦しいのが、そこ許のきずじゃよ。そこ許のいわゆる毒たるものこそ、此の世のよろこびの別名なのじゃ。毒の味は甘い歓びの毒におぼれて溺れ死ぬのが、一ばん生き甲斐がいのある生き方と申してよろしい——」
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
しかし兄さんのいわゆる生き甲斐がいのある秋にもなったものだから、そんなつまらない事より、まず第一に遠足でもしようじゃありませんか
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
友があれば生き甲斐がいが出てくる。友のために生きるようになり、時の磨滅まめつ力にたいして自分の保全をつとめるようになる。
「もう一方のほおを殴ってやろうか。あなたの頬は、ひどく油切っているから、殴り甲斐がいがあります。僕は、あなたと、これ以上話をしたくない。」
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)