なび)” の例文
高い旗竿から八方に張り渡した縄にはいろいろの旗が並んで風になびいている。その中に日の丸の旗のあるのが妙に目に立って見えた。
異郷 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
さうするともうもうと火焔のなびいて居る光景を夢に視たりした。私は或時には、東京の家族も友人も皆駄目だと観念したこともある。
日本大地震 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
カバ、カバ、カバと蹄の音が、あたりの木立ちへ反響し、空を仰げば三筋の煙りが、浅間山からなびいていた。と、突然武士がいった。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
良公からお前のことを聞いた時、女なんて到る処で招かずともなびいてくるものと、永い間己惚うぬぼれていた夢が一ぺんにさめてしまった。
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
春風はおもむろに空を吹き、また柳を吹く。柳の枝のなびくにつれて、そこに掛けた笠も揺れるのである。笠を掛けていこう者は旅人であろう。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
海を圧する歓呼と万歳声裡に船橋塔フォアキャッスル彼方かなたマストに高く英国旗ユニオンジャックなびかせたイキトス号はいよいよ巨体を揺すぶって埠頭を離れ始めたが
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
うごめかす鼻の先に、得意の見栄みえをぴくつかせていたものを、——あれは、ほんの表向で、内実の昨夕ゆうべを見たら、招くすすきむこうなびく。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
庭の桔梗ききょうの紫うごき、雁来紅けいとうの葉の紅そよぎ、撫子なでしこの淡紅なびき、向日葵ひまわりの黄うなずき、夏萩の臙脂えんじ乱れ、蝉の声、虫のも風につれてふるえた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
火入ひいれにべた、一せんがおさだまりの、あの、萌黄色もえぎいろ蚊遣香かやりかうほそけむりは、脈々みやく/\として、そして、そらくもとは反對はんたいはうなびく。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
越後の上杉景勝も、慇懃いんぎん、賀使を送って、盟約をみ、四道の風はことごとく、秀吉になびき、秀吉のたもとに吹くを、歓ぶかのような状況である。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
路は暫し松林しようりんの間を穿うがちて、茅屋ばうおく村舍の上になびける細き烟のさながらの如くなるを微見ほのみつゝ、次第に翠嵐すゐらん深き處へとのぼり行きしが
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
もし日本の凡てが新しい都風みやこふうなものになびいたとするなら、日本はついに日本的な着実な品物を持たなくなるに至るでありましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
平次の袖の下を掻いくゞつて飛込む八五郎、その鼻の先へ白刄がス——ツとなびくと、上りがまちの破れ障子はピシリと閉ぢられました。
ぢゃによって、おゆるしなされ、はやなびいたをば浮氣うはきゆゑとおもうてくださるな、よるやみ油斷ゆだんして、つい下心したごゝろられたゝめぢゃ。
“魁花春”という名題なだいに“開化”を利かせたのを見ても、いわゆる文明開化の風が世間を吹きなびかせていたことが思いやられる。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
今に彼女は必ず私になびくよ。白い雲の上で私を呼んでいる彼女の優しい上品な声が聞こえるような気がする。考えてもみたまえ。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
これは南画なんぐわだ。蕭々せうせうなびいた竹の上に、消えさうなお前があがつてゐる。黒ずんだいんの字を読んだら、大明方外之人たいみんはうぐわいのひととしてあつた。
動物園 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
あひだかれなんにも不足ふそくおもつてはなかつた。それを勘次かんじかへつてると性來しやうらいきでない勘次かんじたちまちに二人ふたりなびいてしまつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
帽子をかぶっている広巳は、その風のために時どき帽子を持って往かれそうになった。羽織のそでなびき、袴のすそはまくれあがった。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
屋根がトタンだから、風が吹いて雨がなびくとバラバラ、小豆を撒くような音がした。さもなければザッ、ザッ、気味悪くひどい雨音がする。
一太と母 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
みのるは默つて後を振返つたが、人のゐない室にははすに見渡したみのるの眼に食卓の白いきれがなびいて見えたばかりであつた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
同時、ドサドサッと畳をる音。白い線が二、三度上下になびいて、バサッ! ガアッ!——ときしんだのは、骨を断ったひびきか。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ただ釈迦仏の三十二相(仏本行集経ぶつほんぎょうじゅうきょう、相師占看品)のみは最も具体的な描写であるが、しかし「皮膚、一孔に一毛めぐり生ず、身毛、上になびく」
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
苦力クリーたちは寝静まった街の鋪道で眠っていた。かたまった彼らの肩の隙間では、襤褸ぼろだけが風になびいた植物のように動いていた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
幸ひに西も東も午後一時何分とか時間にたがひ少なきゆゑ共に停車塲ステーシヨンに入り道人は西我は東煙は同じ空になびけど滊車は走る道を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
明食時君渓辺に出よ、白帯したのは我黄帯は敵だといって去った、明日出て見ると果して岸の北に声あり草木風雨になびくがごとく南も同様だ
町には古い火の見やぐらが立っていた。櫓のさきには鉄葉ブリキ製の旗があった。その旗は常に東南の方向になびいていた。北西の風が絶えず吹くからである。
不思議な鳥 (新字新仮名) / 小川未明(著)
故にいやしくも粋を立抜かんとせば、文里がなびかぬ者を遂に靡かす迄に心をひそかに用ひて、而して靡きたる後に身を引くを以て最好の粋想とすべし。
御陣屋の後立うしろだて、丹後守様のお眼の光るところには、この界隈かいわいで草木もなびく、あんな馬鹿息子の指さしもなることではない
雲がきれ、光りのしずまった山の端は細く金の外輪をなびかして居た。其時、男岳・女岳の峰の間に、ありありと浮き出た 髪 頭 肩 胸——。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
どの街も屋根と云ふ屋根から黄色の長い旗がお祭の為になびいて居る。黄色ばかりでなく黄色に赤や黒や緑を配した旗である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
またほかげにきろきろと光る蜘蛛くもの巣をよけて右に左に身をなびかせつつひと足ぬきに植込みのなかへはいってゆくのを
小品四つ (新字新仮名) / 中勘助(著)
十五匁程の鉛錘おもり進退しんたいかんによりて、菅絲すがいとに懸る。綸は太さ三匁其の黒き事漆の如く、手さわりは好くして柔かなるは、春風になびく青柳の糸の如し。
大利根の大物釣 (新字新仮名) / 石井研堂(著)
海の水平線は画幀がとうの上部を狭くかぎって、青灰色の天空が風に流れている。そこには島山しまやまの噴煙がなびき、雲がっている。
その竹の末を押しなびかせるように、八絃の琴を調べたように、天下をお治めなされたイザホワケの天皇の皇子のイチノベノオシハの王の御子みこです。
色好みの喜平次は思わずも引きつけられて、厚顔あつかましくも女に言い寄ると、案外容易になびいて、二人は怪しい夢を結ぶ。
暴風雨の夜 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
あの悄々しょうしょうと鳴りなびいていた、人っ子一人いない海岸の雑草も、今日はあたりの空気に酔うてか、たのしげにふるえている。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
一つ時はほんに日本全国上下を挙げてなびいた位えらい勢ひぢやつたもんぢや。信長が本能寺で討たれた頃にや三十万からの生粋きつすゐの信者がをつた相な。
是を以て君のたまふときは臣承はり、上行ふときは下なびく。故に詔を承はりては必ず慎め、謹まずんばおのづからに敗れなむ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
日は蒼茫と暮れて、烟のなびく南の方の少し開けた間から、夕栄えした樺色の雲が高く望まれた。明日は上天気だ。用もないから早く寝ることにする。
釜沢行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
翌朝、あらしはけろりと去っていた。その颱風の去った方向に稲の穂はことごとなびき、山の端には赤く濁った雲がただよっていた。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
「一方になびきそろひて花すゝき、風吹く時そ乱れざりける」で、事ある時などに国民の足並の綺麗に揃うのは、まことに余所目よそめ立派なものであろう。
謀叛論(草稿) (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
大路の柳月のかげになびいて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。
十三夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
しかし意地の悪いことにかけては一と通りでない侍従の君が、今となっては尚更おいそれと平中になびく筈はなかった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
白いタオルが手元でひらひらなびき、跛足がせわしげに上下しながら、だだっ広い構内を駆けて行く。まるで必死になって走る横這いの蟹のように。——
親方コブセ (新字新仮名) / 金史良(著)
母が履脱くつぬぎへ降りて格子戸の掛金かきがねを外し、ガラリと雨戸を繰ると、さっと夜風が吹込んで、雪洞ぼんぼりの火がチラチラとなびく。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
少女ノ風コレヲなびカス。(雨前ノ風ヲ少男トイヒ雨後ノ風ヲ少女トイフ)動揺シテ安ラカナラズ。余喜色眉尖びせんニ動ク。側ニ侍スル者怪ンデコレヲ問フ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
はてはなびき流れて、そことしもなく漂ふうちに、あたりの大気は薫化せられ、土は浄化せられようといふものだ。
木犀の香 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
ボーイ達にとっては、直ぐなびくのも面白くないが、余り愚図々々しているのは興がさめるらしゅうございました。
耳香水 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
さてそんならそのおくりものばかりで、人の自由になるかと云うと、そうではない。好きな人にでなくてはなびかない。