さる)” の例文
四人は、折々その言葉を口ずさみながら、巳の刻からさるの刻まで考えぬいた。四人は目を見合せたまま、一語も交えずに考えぬいた。
蘭学事始 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
将軍家がこういう手続きをする前に、熊本花畑のやかたでは忠利の病がすみやかになって、とうとう三月十七日さるの刻に五十六歳でくなった。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
十二支というのは、子、うしとら、卯、たつうまひつじさるとりいぬの十二で、午の年とか酉の年とかいうあの呼び方なのです。
大金塊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
基康 わしの前で内輪うちわの争いは、見るにえぬわい。さるこくまでに考えを決められい。猶予ゆうよはなりませぬぞ。(退場。家来つづく)
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
さるこくからとり下刻げこくまで、わずかまだ一刻半(三時間)のあいだでしかない。野に満ちていた味方の旗幟きしは、いずれへついえ去ったのか。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何もさるの歳だからとて、視ざる聴かざる言はざるをたつとぶわけでは無いが、なうくゝればとが無しといふのはいにしへからの通り文句である。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
ユウツケ鳥は三説あり、『松屋まつのや筆記』七に鶏はさるの時(午後四時)に夕を告げてねぐらこもるが故に、夕告鳥というにや云々。
明治五年さる四月学校出版の表によるに、中小学校の生徒一万五千八百九十二人、男女の割合およそ十と八とに等し。年皆七、八歳より十三、四歳。
京都学校の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
さるの刻になっても一向に衰えを見せぬ雪は、まんべんなく緩やかな渦を描いてあとからあとから舞い下りるが、中ぞらには西風が吹いているらしい。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
搖上ゆりあ搖下ゆりおろ此方こなたたゞよひ彼方へゆすれ正月四日のあさこくより翌五日のさるこくまで風は少しもやま吹通ふきとほしければ二十一人の者共は食事しよくじもせす二日ふつか二夜ふたよ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
京都内外の古い大きな神社でも、さるの日とりの日またはの日等を以て、毎年の例祭を執り行うものが、稀ではない。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
日の影九六さるにかたぶくころ、快庵禅師寺に入りて九七しやくならし給ひ、遍参へんざんの僧九八今夜こよひばかりの宿をかし給へと、あまたたびべども九九さらにこたへなし。
祖母は震災の前年に七十六歳で歿しましたが、嘉永かえい元年さる歳の生れで、それが十八の時のことだと申しますから、たぶん慶応初年のことでございましょう。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
奥州へくだつたんです——其の内、年号は明和めいわと成る……元年さるの七月八日、材木を積済つみすまして、立火たつび小泊こどまりから帆をひらいて、順風に沖へ走り出した時、一にん
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
一、此度さる御年貢差詰り、代々持来り候牛馬引捨の場所比木村勿論朝比奈村上十五日、此両場所金子十五両二分永代売渡申候。此場所に付場役等無御座候。
牛捨場馬捨場 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
その上、今日の空模樣そらもやうも少からずこの平安朝へいあんてうの下人の Sentimentalisme に影響えいきやうした。さるの刻下りからふり出した雨は、未にあがるけしきがない。
羅生門 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
紇はその言葉に従い、酒を置き、犬を繋いで巌の陰に隠れて待っていると、さるの刻になって白練団びゃくれんだんのような者がどこからともなく飛んできて、洞門の中へ入った。
美女を盗む鬼神 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「○月○日○刻と書いた三つの丸にさるの字をハメ込んで見ろ、申の月、申の日、申の刻じゃないか」
或時明日のさるの刻に往生するからといっていたが、間違いなくその時刻に端座合掌し高声念仏して往生をとげた。様々の奇瑞があって人の耳目を驚かしたそうである。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
さるの年に人間が生れたから伸で六番目だから六に候。この間のあしたは取消故併せて御吹聴に及候。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
一年ひとゝせ二月のはじめ主人あるじは朝より用ある所へ出行いでゆきしが、其日もすでさるの頃なれどかへりきたらず。
客人たちの座に着いたのがさるの刻を少し過ぎた時分で、宴が開かれると間もなく日が暮れたが、その晩は特に酒杯の進行が激しく、主客共に酔いのまわり方が速かであったのは
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
あの方の入らしったのはさるの刻頃だったのに、もう火ともし頃になってしまっていた。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
の男、毎日ひつじの刻よりさるの刻に到る間の日盛りは香煙を吸ふと称して何処へか姿を消しつ。そのほかは常に未明より起き出で、田畠を作り、風呂を湧かし、炊爨すいさんの事を欠かさず。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
御祖母おばあさんは去る大名の御屋敷に奉公していた。さるの年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿にちなんだものを時々下さった。その中に崋山かざんいた手長猿てながざるふくがある。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
おそらく、碁のあいてでも待っていたのかもしれませんが、ちょうどそれは暑い暑い真夏の七つ時、さるの刻ごろのことであったといわれていますから、いまの午後の四時ごろだったでしょう。
亡霊怪猫屋敷 (新字新仮名) / 橘外男(著)
真正ほんとうに悧巧ね。浩ちゃんはなんの年? おさる?」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
時刻はもうとうにさるをすぎている。
顎十郎捕物帳:05 ねずみ (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
『少し揉んでべえが!』とおさる
赤痢 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
「あたしさるの歳だから」
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
と、即座にきめて、白山林の南をとおり、まだ陽もたかいさるの刻(午後四時)ごろ、小牧山のつなぎじろ——小幡城おばたじょうのうちへ入った。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中山の神は同国の一の神といえり、さて山神が猿なるより『好色十二男』に「かのえさるのごとき女房を持ち合す不仕合せ」
山本の内では九郎右衛門が指図をして、荷物は残らず出させたが、さるの下刻には中邸一面が火になって、山本も焼けた。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
さるの刻になつても一向に衰へを見せぬ雪は、まんべんなく緩やかな渦を描いてあとからあとから舞ひ下りるが、中ぞらには西風が吹いてゐるらしい。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
奧州あうしうくだつたんです——うち年號ねんがう明和めいわる……元年ぐわんねんさるの七ぐわつ八日やうか材木ざいもく積濟つみすまして、立火たつび小泊こどまりからひらいて、順風じゆんぷうおきはししたとき、一にん
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
九助は次第に心地元に復し、始めて幻夢のめたる如く、首を挙げて四辺を見廻みめぐらすに、時は既にさるの下りとおぼしく、太陽巒際らんさいに臨み返照へんしょう長く横たはれり。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
されどそこもとには、天草にて危急の場合を助けられ候恩義有之これあり、容易にやいばを下し難く候については、此状披見次第さるこくまでに早急に国遠こくおんなさるべく候。以上
恩を返す話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
さるの刻じゃと聞いている」と、翁は言った。「諸人が退散するまでにはまだ一刻余りもあろうよ」
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。さるこくさがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。
羅生門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
福原右馬助、池田伊豫守を大将としてその勢五千餘騎、文禄四年七月十三日のさるの刻に伏見を立ち、十四日の暮方くれがたに高野山へ着いて、上人を始め一山の老僧共の命乞いに耳を貸さず
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
明治五年さる五月朔日ついたち、社友早矢仕はやし氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれをうにいとまあらず、博覧会の見物ももと余輩よはい上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて
京都学校の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
○かくてなかたひら村(九軒)天酒あまさけ村(二軒)大赤沢おほあかさは村(九軒)をたる道みなけはし山行やまぶみして此日さる下刻さがりやう/\小赤沢にいたりぬ。こゝには人家廿八軒ありて、秋山の中二ヶ所の大村也。
干支えとや年廻りなら、とりとかさるとか、たつた一年で濟むことぢやありませんか。火早いのが四年續いて、毎晩三ヶ所五ヶ所から、素性の知れない火をふくのは、人間の惡戯いたづらでなくて何んでせう」
風にもまれて暮したりやうやく五日のさる下刻げこくに及び少し風もしづまり浪もやゝおだやかに成ければわづかに蘇生そせいの心地してよろこびしが間もなく其夜の初更しよかうに再び震動しんどう雷電らいでん颶風ぐふうしきりに吹起ふきおこり以前にばいしてつよければふね
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
『少し揉んで遣べえが』とおさる
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
山崎へ着いたのはさるこく(午後四時)、先鋒三部隊の八千五百に、予備軍一万を加え、山も河も町も、兵馬の影のないところはなくなった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
未の歳も傾いてさるの年が迫るにつき、さるの話を書けと博文館からも読者からも勧めらるるまま今度は怠業の起らぬよう手短く読切よみきりとして差し上ぐる。
この月始めのうしの日またはさるの日に、やや早めに稲を家に入れる式をすませているようだが、それから東へ進むと一般に、この二十三日を重視した痕跡が認められる。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
宣和の末に、呉本ごほんという監官があった。彼は武人の勇気にまかせて、何事をもおそはばからず、夏の日に宮前の廊下に涼んでいて、さるの刻(午後三時—五時)を過ぐるに至った。
「干支や年廻りなら、とりとかさるとか、たった一年で済むことじゃありませんか。火早いのが四年続いて、毎晩三ヶ所五ヶ所から、素性の知れない火をふくのは、人間の悪戯いたずらでなくて何でしょう」