嵯峨さが)” の例文
はるばる嵯峨さがへまで訪問に出かけるのをこのごろの仕事にしているという噂が源氏の耳にはいると、もっともなことであると思った。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
嵯峨さが御室おむろ」で馴染なじみの「わたしゃ都の島原できさらぎという傾城けいせいでござんすわいな」の名文句から思い出の優婉ゆうえんな想像が全く破れる。
時雄は京都嵯峨さがの事情、その以後の経過を話し、二人の間には神聖の霊の恋のみ成立っていて、きたない関係は無いであろうと言った。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
それはもう秋風の立ち始めました頃、長尾ながお律師様りっしさま嵯峨さが阿弥陀堂あみだどうを御建てになって、その供養くようをなすった時の事でございます。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
俳優はみんな十五、六の子供で、嵯峨さが御室おむろの花盛り……の光国と瀧夜叉たきやしゃと御注進の三人が引抜いてどんつくの踊りになるのであった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
鹿じかなく山里やまざとえいじけむ嵯峨さがのあたりのあきころ——みねあらし松風まつかぜか、たづぬるひとことか、覺束おぼつかなくおもひ、こまはやめてくほどに——
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
鷹野たかのに行くよりも身軽だった。保津川を渡り、丹波口から水尾みずのおへ上ってゆく。道は嵯峨さが村の本道から登るよりもはるかにけわしい。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわ嵯峨さがのお釈迦しゃか様が両国の回向院えこういんでお開帳だとか、信濃しなのの善光寺様の出開帳だとか——そのうちでも日蓮宗ははなやかだった。
公卿たちの宿泊所も急のこととてないので、八幡、賀茂、嵯峨さが太秦うずまさ、西山、東山などにゆき、御堂の廻廊や神社の拝殿などに泊っていた。
嵯峨さがから山を抜けて高雄たかおへ歩く途中で、御米は着物のすそくって、長襦袢ながじゅばんだけを足袋たびの上までいて、細いかさつえにした。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ただ今嵯峨さがにおらるる間宮英宗まみやえいそう師は禅僧中まれに見る能弁の人であるが、その講話集の中には次のごとき話が載せてある。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
明後八日の午後三時頃に嵯峨さがまでお越しを願いたいのである、此方は子爵と、当日までにけ着けることになっている御牧氏と、社長と、私と
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
嵯峨さが釈迦しゃか堂付近、知恩院古門前、南禅寺あたりの豆腐も有名だが、いずれも要は良水と豆に恵まれたせいだろう。
美味い豆腐の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
四郎左衛門は市中を一走りにけ抜けて、田圃道たんぼみちに出ると、刀の血を道傍みちばたの小河で洗つてさやに納め、それから道を転じて嵯峨さがの三宅左近の家をさして行つた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
弦を離れしの如く嵯峨さがの奥へと走りつき、ありしに代へて心安き一鉢三衣いつぱつさんえの身となりし以来このかた、花を採り水をむすむでは聊か大恩教主の御前に一念の至誠をくう
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
その一尺位の木であってしかも嵯峨さがたる老木の趣を備えたところが即ち盆栽家の苦心の存するところで、その一尺の老木は梅の花が咲いておるというのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
隣の座敷では二人の小娘が声をそろえて、嵯峨さがやおむろの花ざかり。長吉は首ばかり頷付うなずかせてもじもじしている。お糸が手紙を寄越よこしたのはいちとりまえ時分じぶんであった。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
桂離宮の玄関前とか、大徳寺だいとくじ真珠庵の方丈の庭とかは、その代表的なものと言ってよい。嵯峨さが臨川寺りんせんじの本堂前も、二十七、八年前からそういう苔庭になっている。
京の四季 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
二葉亭と嵯峨さがとは春廼舎傘下の寒山拾得であったが、その運動は離れ離れであった。美妙は硯友社の一人であったが、抜駈ぬけがけの功名にはやって終に孤立してしまった。
大蕪菜おおかぶな大鮒おおふな、大山芋などを並べ「遠国を見ねば合点のゆかぬ物ぞかし」と駄目をおし、「むかし嵯峨さがのさくげん和尚の入唐にっとうあそばして後、信長公の御前ごぜんにての物語に、 ...
西鶴と科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
嵯峨さが二位卿の息女であり、一方は門閥もなく、七両の下廻りから叩き上げた千両役者なのであるが、ついにその二人は、島の外にある小島に隔てられて、しぼんだ花の香りを
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
これ等の火山山脈——蝦夷から日本の南部に至る迄の山脈は、すべて火山性らしい——の、奔放且つ嵯峨さがたる輪郭の外形を、一つ一つ浮き上らせる雲の効果は素晴しかった。
しかれども春雨はるさめかさ、暮春に女、卯花うのはなに尼、五月雨さみだれに馬、紅葉もみじに滝、暮秋に牛、雪に燈火ともしびこがらしからす、名所には京、嵯峨さが御室おむろ、大原、比叡ひえい三井寺みいでら、瀬田、須磨、奈良、宇津
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
そのうちに、花が咲いたと云う消息が、都の人々の心を騒がし始めた。祇園ぎおん清水きよみず東山ひがしやま一帯の花がず開く、嵯峨さが北山きたやまの花がこれに続く。こうして都の春は、愈々いよいよ爛熟らんじゅくの色をすのであった。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
伏見に部屋を見つけるまで、隠岐の別宅に三週間ぐらい泊っていたが、隠岐の別宅は嵯峨さがにあって、京都の空は晴れていても、愛宕山あたごやまが雪をよび、このあたりでは毎日雪がちらつくのだった。
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
その『弘仁式』は、嵯峨さが天皇の弘仁年間に出来たもので、今は亡びてしまいましたけれども、幸にその目録だけがのこっております。それを見ますと、その中に祝詞があったことがわかります。
古代国語の音韻に就いて (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
八月になりますとようやく藤ノ森や深草ふかくさのあたりにいくさの気配が熟してまいり、さてこそ愈々いよいよ東山にも嵯峨さがにも火のかかる時がめぐって来たと、わたくしどももひそかに心の用意を致しておりますうち
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
平和にまどろんでいる東山、鷹揚おうように流れているかもの川、びた由縁ゆかりのあるたくさんの寺々、秋に美しい嵯峨さがの草の野、春に美しい白河のさと、人の心も落ちついていて、けわしい所などどこにもない。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この推定が当れりとするならば、京丸などはこの山村の中で最も気の利いた世間師せけんしの住んでいた部落である。冬の囲炉裏いろりの側の話のごときも、祇園ぎおん六波羅ろくはら嵯峨さが・北野で持ち切ったかも知れぬ。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
嵯峨さが田舎いなかに、雅因がいんを訪ねた時の句である。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
嵯峨さが帝のお伝えで女五にょごみやが名人でおありになったそうですが、その芸の系統は取り立てて続いていると思われる人が見受けられない。
源氏物語:13 明石 (新字新仮名) / 紫式部(著)
立てきった障子しょうじにはうららかな日の光がさして、嵯峨さがたる老木の梅の影が、何間なんげんかのあかるみを、右の端から左の端まで画の如くあざやかに領している。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「そんな滅多なことが、俄にあってよいものかいの。もし、戦が起ったら、嵯峨さがの奥へでも、母子おやこして隠れようぞえ。取り越し苦労はせぬがよい」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嵯峨さがからやまけて高雄たかをある途中とちゆうで、御米およね着物きものすそくつて、長襦袢ながじゆばんだけ足袋たびうへまでいて、ほそかさつゑにした。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
瓢亭ひょうていなどは抜きにして平安神宮から嵯峨さが方面を申訳に一巡したが、今年もまた妙子がいず、四人が大沢の池のほとりの花の下でつつましやかに弁当を開き
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
あっさりと、この世の未練を捨てると、十九歳という若さで、もとどりを切って、嵯峨さがの往生院に入った。
洛外らくがい嵯峨さがの大沢の池の月——水銹みさびにくもる月影は青かったが、もっと暗かった。嵐山の温泉に行った夜の、保津川ほづがわの舟に見たのは、青かったが、もっと白かった。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
今回の事件とはほかでも無い。芳子は恋人を得た。そして上京の途次、恋人と相携えて京都嵯峨さがに遊んだ。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
となり座敷ざしきでは二人の小娘こむすめが声をそろへて、嵯峨さがやおむろの花ざかり。長吉ちやうきちは首ばかり頷付うなづかせてもぢ/\してゐる。おいとが手紙を寄越よこしたのはいちとり前時分まへじぶんであつた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
矢崎は明治十九年の十月には処女作『守銭奴しゅせんどはら』を公けにし、続いて同じ年の暮れに『ひとよぎり』を出版し、二葉亭に先んじて逸早いちはや嵯峨さがむろの文名を成した。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
保元元年、法然二十四の年、叡空上人に暇を乞うて嵯峨さが清涼寺せいりょうじに七日参籠のことがあった。法を求むるの一事を祈る為であった。この寺の本尊、釈迦善逝しゃかぜんせいは三国伝来の霊像である。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
宇治は、嵯峨さがは。——いや、いや、南禅寺から将軍塚を山づたいに、ちごふちを抜けて、音羽山清水きよみずへ、お参りをしたばかりだ、というと、まるで、御詠歌はんどすな、ほ、ほ、ほ、と笑う。
白花の朝顔 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
東石田は筑波つくばの西に当るところで、国香もこれに居たのである。護は世系が明らかでないが、其の子のたすく、隆、繁と共に皆一字名であるところを見ると、嵯峨さが源氏でゞもあるらしく思はれる。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
御先考様の記事中、酒屋云々うんぬん、徳利云々は、勘考するに、其頃矢張連島人にて、嵯峨さが御所の御家来に、三宅左近と申す老人有之、此人は無妻無子の壮士風の老人にて、京都在の嵯峨に住せり。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
八月になりますとようやく藤ノ森や深草ふかくさのあたりにいくさの気配が熟してまゐり、さてこそ愈〻いよいよ東山にも嵯峨さがにも火のかかる時がめぐつて来たと、わたくしどももひそかに心の用意を致してをりますうち
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
嵯峨さがの祭の人出見に行かん
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
夜桃林を出でゝ暁嵯峨さがの桜人
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
弘仁こうにんのむかし、それは仏教にまだ、さんらんたる生命のあった世のころではあったが、嵯峨さが天皇の皇后、たちばな嘉智子かちこ
滝を落として、奥には秋の草野が続けられてある。ちょうどその季節であったから、嵯峨さがの大井の野の美観がこのために軽蔑けいべつされてしまいそうである。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)
白楽天の長慶集ちやうけいしふは「嵯峨さが日記」にも掲げられた芭蕉の愛読書の一つである。かう云ふ詩集などの表現法を換骨奪胎くわんこつだつたいすることは必しも稀ではなかつたらしい。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)