いや)” の例文
いやしくも間謀を務めている者、しかもシムソンのように一筋縄ひとすじなわで行かない強か者が、盗んだ書類を身の廻りに置いているでしょうか。
計略二重戦:少年密偵 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
元はいやしい黒鍬組くろくわぐみの人足頭にすぎなかったが、娘が将軍家のお手かけ者となってこのかた、俄かに引き立てられて、今では禄も千石
大王にしては少々言葉がいやしいと思ったが何しろその声の底に犬をもしぐべき力がこもっているので吾輩は少なからず恐れをいだいた。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いやしい汚い矮小わいしょうな人種が、己の同胞であるかと思うと、そうして自分もあんな姿をして居るのかと考えると、己は全くなさけなくなる。
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
出あいがしらに、体つきの大きな色の白い——といって美少年では決してないが——いやしくない若侍が眼をみはって立ちどまった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分は、ゆき子の金に手も触れないでおきながら、何から何まで、ゆき子にき出させてゐるいやしさが、富岡には、息苦しかつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
息子の逢いびきの場所をうかがううしろめたさが、瞬時、金五郎の胸をかすめた。人の秘密を盗み見るいやしさが、口中をざらつかせる。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
田島は、キヌ子を憎むあまりに、ほとんど人間ばなれのしたケチないやしい計画を立て、果して、死ぬほどの大難に逢うに到った。
グッド・バイ (新字新仮名) / 太宰治(著)
が、あんなけだもののようないやしい男を、こらすために、お前の一身を犠牲にしては、黄金を土塊つちくれと交換するほど、馬鹿ばか々々しいことじゃないか。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その容貌は余程綺麗きれいです。色が白くてそうして品格もいやしくはない。ヒマラヤ山民中で一番綺麗なのはこの種族であろうと思う。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
だからこの私窩子しくわしのやうな女が会釈ゑしやくをした時、おれは相手をいやしむより先に、こちらも眼で笑ひながら、黙礼を返さずにはゐられなかつた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
『断然元子もとこを追ひ出してしづを奪つて来る。いやしくつても節操みさをがなくつてもしづの方がい』といふ感が猛然と彼の頭にぼつた。
節操 (新字旧仮名) / 国木田独歩(著)
けれどそちいやしくも魚族ぎよぞくわうの、ちゝをさつたらばそのあとぐべき尊嚴たうと身分みぶんじや。けつして輕々かろ/″\しいことをしてはならない。よいか
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
おぬいはそのすえたような匂いをかぐと、軽い嘔気はきけさえ催すのだった。けれども、それだからといって渡瀬さんをいやしむ気にはなれなかった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
吹き針に得意なところから、不断に稽古をするからでもあろう、唇がボッとふくらんでいたが、しかしいやしくは見えなかった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ある時は、自分を凡俗ぼんぞくより高いものに自惚うぬぼれて見たり、ある時は取るに足らぬものといやしめてみたり、その間に起伏きふくする悲喜を生活として来た。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
不幸にも今までの多くの人たちは、実用というと何かいやしい性質のもののように考えました。そのため実用品を「不自由な藝術」と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
世間の人は芸妓げいぎをたいそういやしみ、悪く言いますが、私は芸妓げいぎよりもいやしいものが、今の貴夫人に多くあるかと思います。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
小説はいやしみてこれを見れば遊戯雑技にも似たるもの、天性文才あらば副業となしてもまた文名をなすの期なしとせず。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
口をアングリと開いて、白い歯をギラギラ光らせながら、思い切っていやしい……けだもののような……声の無い笑い顔をした。
ココナットの実 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
私は岡本のいやしさが厭なのだが、谷村は、その岡本をともかく、芸術家の面白さがあるじゃないかという。谷村の考えは、なんだか、危っかしい。
ヘザーレッグ先生の顔を見ると、こうしたいやしむべき不幸の場合にもかかわらず、わたしは冗談を言う余裕が出てきた。
いやしき身分が、御隠居さまにお目にかかり、お情け深いお言葉をうけたまわるさえ冥加みょうがでござりますに、お奥向へなぞなかなか持ちまして——」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
この奇妙な挙動は、人を保護したり、かばったりするようないやしい態度をとりたがる、完全な虚栄心から起るのだ、としか私には考えられなかった。
なんでわたしに言いわけなんぞができましょう? 私はわるいいやしい女ですもの。自分をさげすみこそすれ、言いわけしようなんて考えても見ませんわ。
あたう。男は無言で坐り込み、筒湯呑つつゆのみに湯をついで一杯いっぱい飲む。夜食膳やしょくぜんと云いならわしたいやしいかたの膳が出て来る。
貧乏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
十八人の侍が殉死したときには、弥一右衛門はお側に奉公していたのに殉死しないと言って、家中のものがいやしんだ。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それだのになぜ躊躇ちゅうちょしていたのか。そこでかれははじめて、自分の考え方の中にあったいやしい功利的なものに気づいた。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
売女ばいじょのうちでもいちばんいやしい夜鷹、二十文か三十文の金で、女のいちばん大切なみさおを切売りする女、この女は十両の金が欲しくはないのだろうか
それは決してその結果によって打算ださん的な仕向けをするといういやしい考えからでは無くて、自分の身辺しんぺんくらまして置くという手前勝手を許さない事になり
客に怒鳴られ、平謝りに詫びてゐる幾を見、少しの落度もないやうにと忙しく走り廻つてゐる幾を見すると、軍治は自分がいやしめられてゐると感じた。
鳥羽家の子供 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
若しも彼女がもう一寸開けて置いたなら、私は屹度パンを一片、哀願したことであらう。何故ならそのとき私はもういやしい心持になつてゐたのだから。
とある道の角に、三十ぐらゐいやしい女が、色のめた赤い腰巻をまくつて、男と立つて話をしてた。其処そこに細い巷路かうぢがあつた。洗濯物が一面に干してあつた。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
名づけ親のピエエルじいさんはいう——「こいつはいやしい欠点だ。それに、なんの役にも立たんだろう。だって、どんなこっても、ひとりでに知れるもんだ」
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
捨てられ、いやしめられ、爪弾つまはじきせられ、同じ人間の仲間入すら出来ないやうな、つたない同族の運命を考へれば考へるほど、猶々なほ/\斯の若い生命いのちが惜まるゝ。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
ここに於て強国間に武装が起れば、一段劣等なりといやしめられたるところの民族は、優等なりと傲慢なる態度を持っている者に反抗する、力を以て反抗する。
平和事業の将来 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
なお一般に顔のよそおいに関しては、薄化粧が「いき」の表現と考えられる。江戸時代には京阪の女は濃艶な厚化粧あつげしょうを施したが、江戸ではそれを野暮といやしんだ。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
隣郷りんがう津軽つがる唐糸からいとまへぢずや。女賊ぢよぞくはまだいゝ。鬼神きじんのおまつといふにいたつては、あまりにいやしい。これをおもふと、田沢湖たざはこ街道かいだう姫塚ひめつかの、瀧夜叉姫たきやしやひめうらやましい。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
天皇は、お父上の忍歯王おしはのみこのご遺骨いこつをおさがし申そうとおぼしめして、いろいろ、ご苦心をなさいました。すると、近江おうみから一人のいやしい老婆ろうばがのぼって来て
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
だが、なぜそうならそうと訳を聞かせておいてから、手に懸けようとはしてくださらぬ。身分こそいやしけれ、わたしも浅野家のろくんだものの娘でござんす。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
芭蕉はついに自然の妙を悟りて工夫のいやしきをしりぞけたるなり。彼が無分別といふ者、また自然に外ならず。
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
かくてかの父たり師たりし者は己が戀人及びはやいやしきひもを帶とせし家族やからとともに出立いでたてり 八五—八七
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
ひげするんではない、吾身わがみいやしめるんだ、うすると先方むかうでは惚込ほれこんだと思ふから、お引取ひきとり値段ねだんをとる、其時そのとき買冠かひかぶりをしないやうに、掛物かけものきずけるんだ。
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
吉住樣からは、土佐守樣へは諫言かんげんは申上げ憎い。が、奧方の思召しを無にして、土佐守樣がいやしい女を召出されるのを、其儘にもならず、柴田樣とお二人が、お菊を
すべての罪なき者、すべての道のために殉ぜる者、すべての幼き者、高き者と同じくいやしき者、すべてそれらのために涙を流すというのですか。それは私も同意です。
学校にての出来ぶりといひ身分がらのいやしからぬにつけてる弱虫とは知る者なく、龍華寺の藤本は生煮えの餅のやうにしんがあつて気になる奴と憎がるものもありけらし。
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
一〇ともなひにおくれしよしにて一宿ひとよを求めらるるに、一一士家しかふうありていやしからぬと見しままに、とどめまゐらせしに、其の夜一二邪熱じやねつはなはだしく、起臥おきふしみづからはまかせられぬを
如何いかいやしうても大事だいじない、一思ひとおもひにはふいか?……「追放つゐはう」……「追放つゐはう」でころさるゝのはおれいやぢゃ! おゝ、御坊ごばうよ、追放つゐはうとは墮獄だごくやからもちふることばうなごゑ附物つきもの
「お金のことなんか言うものではありません。それはいやしいことです。言わなくても仲木さんの家は立派な商家ですから無茶なことは決してしません。ただ任しておきなさい」
人品いやしからぬお侍だが、どこの誰とも知らないから皆気やすに言葉をかわしている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)