かお)” の例文
わたしは、ちゃわんのなかをのぞくと、しろいらんのはながぱっとひらいて、わすれがたいかおりがしたのです。これをた、わたしむねはとどろきました。
らんの花 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しばらくして復一が意識を恢復かいふくして来ると、天地は薔薇色に明け放たれていて、谷窪の万象は生々の気を盆地一ぱいにかおらしている。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
椿つばきの花のような、どっしりと重い、そして露けく軟かい無数の花びらが降って来るような快さを感じさせ、その花びらのかおりの中に
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
夫人の温いかおるような呼吸が、信一郎のほてった頬を、柔かにでるごとに、信一郎は身体中からだじゅうが、とろけてしまいそうな魅力を感じた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
春に誇るものはことごとくほろぶ。の女は虚栄の毒を仰いでたおれた。花に相手を失った風は、いたずらにき人の部屋にかおめる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
四月のはじめに出る青い蕗のあまり太くない、土から摘立てのを歯にあてると、いいようのないさわやかなかおりと、ほろ苦い味を与える。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
わけもなく懐かしい植物性の香気の立ちかおっているような夜気の流通を呼吸しながら、女の約束していった二時間のちのたよりを
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
温かい、濡れた、かおりの高い花弁かべんが、グングンおしつけて来て、息もできなかった。からだじゅうがしびれて、気が遠くなりそうだった。
女妖:01 前篇 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その中でも源侍従と言われた最も若かった公子は参議中将になっていて、今では「においの人」「かおる人」と世間で騒ぐ一人になっていた。
源氏物語:46 竹河 (新字新仮名) / 紫式部(著)
マリユスの美しい髪は艶々つやつやとしてかおっていた。その濃い巻き毛の下には所々に、防寨ぼうさいでの創痕きずあとである青白い筋が少し見えていた。
すると、私のいた左側から留木とめきかおりがぷうんと漂ってまいります。あなたは確かに玉日たまひ様に心をられていたに違いありません
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夜に入ってはただ月白く風さわやかに、若葉青葉のかおりが夜気にらぐをおぼゆるのみである。会は実におもしろかりし楽しかりし。
左千夫先生への追憶 (新字新仮名) / 石原純(著)
菊の花のややうつろいがたになった小枝を、必ず餅の重箱の中に入れて贈り来り、ふたを開くと高くかおったのが、今でも忘れ難い鼻の記憶である。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
沙漠の旅は夜においてすものなれば、あるいは明月煌々こうこうたるの夕、あるいは星斗闌干せいとらんかんたるの夜、一隊の隊旅キャラバン香物こうものかおりを風にただよわせながら
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
空気は土の匂いと花のかおりとで、かすかにあまく、重たく湿っており、それがときをきって強く匂うように感じられた。
衣摺きぬずれが、さらりとした時、湯どのできいた人膚ひとはだまがうとめきがかおって、少し斜めに居返いがえると、煙草たばこを含んだ。吸い口が白く、艶々つやつや煙管きせるが黒い。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
…………今日は誰も来ないと思ったら、イヤ素的すてきな奴が来た。蘭麝らんじゃかおりただならぬという代物しろもの、オヤ小つまか。小つまが来ようとは思わなかった。
(新字新仮名) / 正岡子規(著)
続いてしらん、ぎしぎし、たちあおい、かわほね、のいばら、つきみそう、てっせん、かなめ、せきちくなどが咲き、裏の畑の桐の花は高くかおった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
そうしたすがすがしい眺めとかおりとをこの子はどんなにむさぼり吸ったことか。父とまた初めて旅するこの子の瞳はどんなに黒く生々いきいきと燃えていたことか。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
うららかに花かおり鳥歌い蝶舞う春の牧場を眺め、色もなく音もなき自然科学的な夜の見方に反して、ありの儘が真である昼の見方にふけったと自らいっている。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
明るい色の髪の毛から、鬱陶うっとうしいようなかおりが立つ。男はこのしなやかな、好いにおいのする人を、限りなく愛する情の、胸にき上がって来るのを覚えた。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
鳥うたいくさかおる春や夏が、田園に何の趣きを添えようか。曇った秋の小径こみちの夕暮に、踏みしく落葉の音をきいて、はじめて遠く、都市を離れた心になる……
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、ゆめの中からでもかおりだしたというように咲き、鳥が一ぴき、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
その又お茶の美味おいしかった事……舌から食道へと煮え伝わって行くかんばしいかおりを、クリ返しクリ返し味わって行くうちに、全身の関節がフンワリとゆるんで
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
東作は煙草盆を引寄せて一服吸付け、長閑のどかな煙を長々と吐きました。プーンと高貴な、国府こくぶかおり——。
ことに窓の上におかれた水のはいった鉢の中で、あざやかな緑色をしたみずみずしく長い茎の先に頭をかしげている、かおりの高い白水仙の花束が、彼の目をひいた。
これが秋の旅であるならば、夕風に散る木葉の雨の中を、菅笠で辿って行く寂しい味を占め得るのであるが、今は青葉が重り合って、谿々峰々ことごとく青葉の吐息にかおっている。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
それだのに、この室では、まるで早苗の情熱から逸散してでも行くかのように、涼しげな、清々すがすがしい花粉の香りがする。ああそれが、昨夜ゆうべはなぜ、かおらなかったのであろうか。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
テカテカする梯子段はしごだんを登り、長いお廊下を通って、ようやく奥様のお寝間ねま行着ゆきつきましたが、どこからともなく、ホンノリと来るこうかおゆかしく、わざと細めてある行燈あんどう火影ほかげかすかに
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
郷土的かおり、地方的彩り、このことこそは工藝に幾多の種を加え、味わいを添える、天然に従順なるものは、天然の愛をける。この必然性を欠く時、器に力は失せ美はせる。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
紅蓮白蓮ぐれんびゃくれんにおいゆかしく衣袂たもとすそかおり来て、浮葉に露の玉ゆらぎ立葉に風のそよ吹ける面白の夏の眺望ながめは、赤蜻蛉あかとんぼ菱藻ひしもなぶり初霜向うが岡の樹梢こずえを染めてより全然さらりとなくなったれど
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
この珍貴うず感覚さとりを授け給う、限り知られぬめぐみに充ちたよき人が、此世界の外に、居られたのである。郎女いらつめは、塗香ずこうをとり寄せて、まず髪に塗り、手に塗り、衣をかおるばかりに匂わした。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
秋子のかおるような呼吸が感ぜられ、坂本はなやましいほど幸福な気がした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
出帆に遅れまいとする船員が三人、買物の包みを抱えて為吉の前を急足いそぎあしに通った。濃い咽管パイプ煙草のかおりが彼の嗅覚を突いた。と、遠い外国の港街が幻のように為吉の眼に浮んで消えた。彼は決心した。
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
わたしのまわりには強いかおりが紫のもやとなってただよっていた。
「三たび茶をいただく菊のかおりかな」
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
まして此の少年は、幼時から両親の側を離れて武骨な侍の間に育ち、蘭麝らんじゃかおりなまめかしい奥御殿の生活と云うものを殆ど知らない。
かえってみて、何か、かおのようなにおわしさが、その老梅のものではなく、自分のうしろに立っている巫女みこ直美なおみであることを知った。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
老婦はお宮の絹手巾きぬハンケチで包んだ林檎りんごを包みのまま差し出した。手に取り上げて見るとお宮と一緒にいるようなかおりの高い香水のにおいが立ち迷うている。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
におう兵部卿、かおる中将とやかましく言って、すぐれた娘を持つ貴族たちはこの貴公子たちを婿に擬して、好奇心の起こるようにしむける者もあるのを
源氏物語:44 匂宮 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ほのかにかおる香水の間から三日月のように笑い和めた眼が、世にも冷厳な、そうして刺すような鋭さでわたくしの表情を観察しているではございませんか。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
やがて朱塗の団扇うちわにて、乱れかかるほおの黒髪をうるさしとばかり払えば、の先につけたる紫のふさが波を打って、緑り濃き香油のかおりの中におどり入る。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
たった一ついたばらのはなが、うすやみそこからかおって、いい香気こうきをあたりにただよわせていました。
花と少女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
巴里は再度兵乱にったが依然としてつつがなく存在している。春ともなればリラの花もかおるであろう。しかしわが東京、わが生れた孤島の都市は全く滅びて灰となった。
草紅葉 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
男はなかなかの煙草好きとみえて、かおりのよい煙を感じると、もう我慢できないといった調子で、自分も一本の金口を取って、火をつけ、いきなりスパスパとやり出した。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「ああ。」と云うと、ひしと謙造の胸につけた、遠慮えんりょの眉はあわいをおいたが、前髪は衣紋えもんについて、えりの雪がほんのりかおると、袖に縋った手にばかり、言い知らず力がこもった。
縁結び (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それは、雪深い国では、何処どこにもちょっと見当らない、かおりの高い一輪の名花だった。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
自然と焔硝えんしょうの煙になれては白粉おしろいかおり思いいださず喇叭らっぱの響に夢を破れば吾妹子わぎもこが寝くたれ髪の婀娜あだめくも眼前めさきにちらつくいとまなく、恋も命も共に忘れて敗軍の無念にははげみ、凱歌かちどきの鋭気には乗じ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「良いかおりだろう、線香の匂いにも似ているが、馬糞まぐそ線香じゃない」
芳醇ほうじゅんかおりは昼の無念を掻き消し、五臓にみてゆく快感は、再び彼を晴々とさせた。新九郎は怖々こわごわながら、盃の数を重ねて
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)