あや)” の例文
上の水分みくまり神社の桜も、下の山添い道の山桜も、散りぬいていた。花ビラのあやしい舞が彼の童心を夢幻と昂奮こうふんの渦にひきこむのか。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
女は身をかえすと、掛け香を三十もブラ下げたようなあやしく、艶かしい香気を発散させて、八五郎の膝へ存分に身を投げかけるのでした。
そういう景色の中で、自動車が大きくカーヴして、わずかな切り取りを越えると、急に眼前にピラミッド湖が、そのあやしい姿を現わした。
ネバダ通信 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
彼は、地上の一切の力を集中させた或るあやしい魔法の輪の中にいる自分を見、思いおごった恍惚こうこつのなかで、自分をその輪の中心だと思った。
ガランとして人気ひとけもない中に、雪持寒牡丹の模様の着つけに、紫帽子の女形おやまが、たった一人、坐った姿は、異様でかつあやしかった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
正吉の重みで梯子段はしごだんきしむと、お美津みつ悪戯いたずららしく上眼でにらんだ。——十六の乙女の眸子ひとみは、そのときあやしい光を帯びていた。
お美津簪 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
彼は、眼前の、この世ならぬあやしさに蠱惑こわくされ、自分の幻影を壊すまいとして、そのまましばらくは、じっと姿勢を変えなかったのである。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
豊醇にれきった身体のこなしが、柔軟に、音もなく、舞台のうえをすべって、さす手、引く手に、いいようもないあやしい色気がただよう。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
それが却って得も言われぬ強烈な神秘の影を生み出して男心をあやしくそそるものであることを、本能的に見破るのであった。
あやしげな天変地異の夢は何を意味し何の予感なのか、彼にはぼんやりわかるようにおもえた。だが、彼は押黙ってそのことは妻に語らなかった。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
そういう魔性のあやしさは、同性の敵意をあおり易いのか、何といっても男という男がみんな特別惹きつけられるのだから、嫉妬されるのだろう。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
青ざおとした落し眉に、あやしき色香がこぼれんばかりにあふれ散って、肉はふくらみ、目はとろみ、だが只の女ではない。
釣りあがったあやしげな眼を据えて——それは先程の野狐であったかも知れない——首をねじ向けてこちらを見ながらとっくりと坐っていたのだ。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
映画はスクリーンの上に、羞らいを捨てて、あやしく躍りだした。大勢の会員たちが自然に発する気味のわるい満悦まんえつの声が、ひどく耳ざわりだった。
(新字新仮名) / 海野十三(著)
あやしく光るような、不思議なうす笑いをうかべて、そろりそろりと近づいてくると、お駒ちゃんは、太腿ふともものあたりに何かぴりりと走るものを感じて
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
あやしいまでに生々しい蜘蛛と、可憐かれんな唐子の姿が、その餅肌の白さと一つになってはげしく彼の慾情よくじょうをそそった。藤三は首を振り、深々と溜息ためいきを吐いた。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
そこへ天覧という大きなことがかぶさって来ては! そこへまた予感というあやしいことが湧上わきあがっては! 鳴呼ああ、若崎が苦しむのも無理は無い。と思った。
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
湯気のふきでている裸にざあッと水が降りかかって、ピチピチとはずみきった肢態したいあやしくふるえながら、すくッと立った。官能がうずくのだった。何度も浴びた。
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
そこで毎晩まいばん御所ごしょまも武士ぶしおおぜい、天子てんしさまのおやすみになる御殿ごてん床下ゆかしたずのばんをして、どうかしてこのあやしいごえ正体しょうたい見届みとどけようといたしました。
(新字新仮名) / 楠山正雄(著)
一同言葉を発することも忘れて、あまりにも見事な古代美のあやしいまでの絢爛けんらんさ優美さにただ夢に夢見る心地して、白日の中に恍惚うっとり見惚みとれ切っていたのであった。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
窓外のかういふ風景を背景にして、室内の食卓の世話をしてゐる女主人の姿はあやしく美しかつた。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
店の光、ひさご通りの鈴蘭すずらん型の電球も一緒に映しているその池の面は、底に何か歓楽境めいたものを秘めていて、その明りがれ出ているようなあやしい美しさであった。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
新古今集しんこきんしゅうの和歌は、ほろび行く公卿くげ階級の悲哀と、その虚無的厭世感えんせいかんの底で歔欷きょきしているところの、えんあやしくなまめかしいエロチシズムとを、暮春の空ににおかすみのように
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
きまつてあやしく映るのは、地平線のうへに、次ぎから次ぎへと湧きでる、あの星ともいへぬ星、ひとつひとつが胸飾りのやうに鮮明な、エメラルドの星のまたたきである。
緑の星 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
非衛生的な奥深おくふかい部屋にめて育った娘たちのとおるような白さと青さと細さとはどれほどであったか田舎者の佐助少年の眼にそれがいかばかりあやしくえんに映ったか。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
わたくしはもうそのまま身動きもできず、この世の人の心地もいたさず、その炎と白と鼠いろのあやしい地獄絵巻から、いつまでもじいっと瞳を放てずにいたのでございます。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
そこには、青年の所謂巨大な鏡に写った、池の景色が、ほの白く、あやしげに横わっていた。
目羅博士の不思議な犯罪 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
なんとなくあやしげで、これから犯罪が行なわれようとするのに、うってつけの場面である。
キャラコさん:06 ぬすびと (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その着物にこもあやしい鬼気といったようなものを取扱ったのであるが、これも多分に鏡花式の文学分子を含んでいた。又美術学校の卒業製作には、還俗げんぞくせんとする僧侶を作った。
自分と詩との関係 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
〔ヱヴェレストはおもつたよりとほいな〕と独言ひとりごとしながら四辺あたり見廻みまはすと、うすひかりうつくしくあやしくみなぎつて、夕暮ゆふぐれちかくなつたのだらう。下界したても、くもきりでまるでうみのやうだ。
火を喰つた鴉 (新字旧仮名) / 逸見猶吉(著)
しかし波間に没する瞬間の赤蛙の黄色い腹と紅の斑紋とはあやしいばかりに鮮明だつた。
赤蛙 (新字旧仮名) / 島木健作(著)
それからわたくしはよきほどにうめせいとの対話はなしげ、ほか妖精達ようせいたちしらべにかかりましたが、人間にんげんからればいずれも大同小異だいどうしょういあやしい小人こびとというのみで、一々こまかいことはわかりかねました。
最後に、ステップ、ウインク、投げキッスと、三拍子さんびょうし、続けてやられたとき、そのれたような漆黒しっこくの瞳が、瞬間しゅんかんあやしくうるんで光るばかりにまばゆく、ぼくは前後不覚のい心地でした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
それを聞くと、豊雄は、あまりのことにびっくりして、身の毛もよだって恐怖が全身をはしり、ただ茫然として、どうしてよいやら、うろたえるだけであったが、女はあやしいえみをうかべると
夜半、ふつと便所に立つて、その檻にぶつかりさうになつたりすると、狐が燐のやうなあやしい光を発する眼で、じつと疑ひ深さうな敵意をこめて睨みつけてゐる、ぞつと寒気がするのであつた。
大凶の籤 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
梅紅羅ばいこうら軟簾なんれんの中に、今夜こんやも独り眠つてゐる、淫婦潘金蓮はんきんれんあやしい夢。
動物園 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
刀身はあやしく光を放ちながら、彼の手にしたがって、さやに収められた。軍刀のつばがさやに当って、かたいはっきりした音を立てたのを私は聞いた。その音は、私の心の奥底までみわたった。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
額のせまい、丸顔のたちで、美しくはありませんが、歯がきれいで、そして何よりも、眼が……黒目のうわずった、見つめると近視か乱視めいた愛嬌をつくって、変にあやしい色をおびてきます……。
肉体 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
地形図の上で黙示するすばらしい岩壁フルー、連続する瀑布、三角州デルタのような広いかわら、塗りつぶしたような奥深い原始林などによってわれわれをあやしくひきつけてからどのくらい日がたったことであろう。
二つの松川 (新字新仮名) / 細井吉造(著)
彼女が立ったとき、椅子のふちにかけた手は、あやしく光った。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
甚だあやしき、ぞくぞく感である。これは妙だと思った途端とたん
しゃもじ(杓子) (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
燃ゆる吹雪のさなかとて、 あやしき盽をなせるものかな。
文語詩稿 五十篇 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
巖陰いはかげはさ青に透り黒鯛の尾鰭白々とあやしくかへ
河馬 (旧字旧仮名) / 中島敦(著)
あわれ、この花園のあやしさよ。
およそ、夜といえば、光に乏しい世界に住んでいる人間にとって、光ほど、尊く、有難く、また、あやしく考えられるものはなかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
身扮みなりはそんなに惡くはなく、顏立も惡いほどではないのですが、お喜代の死顏のあやしい美しさにくらべると、これは唯の女にしか過ぎず。
何処どこかかなり深いところで、その情趣をことにしている所以ゆえんは、その幻想が支那大陸のあやしいまでに広大な自然と融合しているからであろう。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
このあやしげな夢の風景には恐怖などと云うより、もっともっとどうにもならぬ郷愁がらいついてしまっているようなのだ。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
きもののしたようなあやしいもの、責任をもって、自己の行動を裏づける、強い意志と情熱とが、漂っているように、金五郎には感じられた。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
それはかなりきみの悪い、あやしい話であり、のちに、兵庫という叔父の奇怪な失踪しっそう、という出来ごとにも、関連していた。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)