但馬たじま)” の例文
二十余年前まで但馬たじま因幡いなば地方で馬極めて稀なり、五歳ばかりの児に馬を知るやと問うと、顔を長く四疋よつあしと尾あり人を乗せると答う。
意趣喧嘩いしゅげんかをして、高家を斬ったというか。馬鹿なっ、何というたわけ者だ。しかも、勅使登城の目前に不埓ふらち至極しごく但馬たじまを呼べっ』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
またオキナガの宿禰の王が、カハマタノイナヨリ姫と結婚して生んだ子がオホタムサカの王で、この方は但馬たじまの國の造の祖先です。
特に焼物で丹波を語りましたが、但馬たじまを語るものは「柳行李やなぎごうり」であります。これは豊岡とよおか町が主な産地で仕事は盛なものであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
小野氏の『本草啓蒙ほんぞうけいもう』にると、佐渡の他にも但馬たじま若狭わかさ、奥州にも四国にも椰子の実の漂流してきた前例がすでに有った。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
だから學校がくかうなまけては不可いけない、したがつてをそはつたことわすれては不可いけない、但馬たじま圓山川まるやまがはそゝぐのも、越後ゑちご信濃川しなのがはそゝぐのも、ふねではおなじうみである。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
が、その内に夫と共々、但馬たじまへ下る事になりましたから、手前もその節娘と一しよに、御暇おいとまを頂いたのでございます。
六の宮の姫君 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
但馬たじまの国朝来あさき郡の生れで、始めは同国健屋たてのやの与光寺の学頭であったが、後に高野山へ登って学侶の華王院に住した。
覚海上人天狗になる事 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
其處そこをよくわきまへて、たゞしくはたらいてもらひたい。つめあかほどでも、不正ふせいがあつたら、この但馬たじまけつしてだまつてゐない。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
そのうち公儀御用というのが七軒、墨屋が三軒、格式のやかましかった時代で、大抵出羽でわとか但馬たじまとか豊後ぶんごとか、国名くになを許されて、暖簾のれん名にしております。
すなは大正十二年たいしようじゆうにねん關東大地震かんとうだいぢしんおいては十萬じゆうまん生命せいめい五十五億圓ごじゆうごおくえん財産ざいさんとをうしなひ、二年後にねんご但馬たじまくにのけちな地震ぢしんため四百しひやく人命じんめい三千萬圓さんぜんまんえん財産ざいさんとをそん
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
翌日代助は但馬たじまにいる友人から長い手紙を受取った。この友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰ったぎり、今日までついぞ東京へ出た事のない男であった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
だって、あの骨董屋こっとうや但馬たじまさんが、父の会社へ画を売りに来て、れいのおしゃべりを、さんざんした揚句の果に、この画の作者は、いまにきっと、ものになります。
きりぎりす (新字新仮名) / 太宰治(著)
宮側の五智院の但馬たじま、渡辺のはぶくなどが射かける矢は、強弓から放たれた。楯を抜き鎧を通して人を倒した。
但馬たじま皇女が薨ぜられた(和銅元年六月)時から、幾月か過ぎて雪の降った冬の日に、穂積皇子が遙かに御墓(猪養の岡)を望まれ、悲傷流涕りゅうていして作られた歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
中国山脈といっても、播磨はりま但馬たじまの国境になった谷あいの地に、世間から忘れられたような僅か十数戸の部落があったが、生業は云うまでもなく炭焼と猟師であった。
風呂供養の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「丹後の国をふり出しに、但馬たじま因幡いなば播磨はりま摂津せっつと、打って廻りましてござりまして……」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬たじま美作みまさか、備前、讃岐さぬきあたりから多くの遍路がくる。
海賊と遍路 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
大正十四年五月二十三日但馬たじま地震の直前に大阪府堺水族館で不思議な現象が観察された。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
「朝野君は但馬たじまというの、知らないですか。浅草で脚本なんか書いていたという……」
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
利安は後但馬たじまと云つた母里もり太兵衞友信、後周防すはうと云つた井上九郎次郎之房等と、代わる/″\商人の姿に身をやつして、孝高の押し籠められてゐる牢屋らうやの近邊を徘徊はいくわいして主を守護した。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
上夜久野の驛を過ぎて、但馬たじまの國に入つた。攝津せつつから丹波たんば、丹波から丹後といふ風に、私達は三つの國のうちを通り過ぎて、但馬の和田山についた。そこは播但線ばんたんせんの交叉點にもあたる。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
大鷹おおたかはかしこまって、その鳥のあとをどこまでも追っかけて、紀伊国きいのくに播磨国はりまのくにへとくだって行き、そこから因幡いなば丹波たんば但馬たじまをかけまわった後、こんどは東の方へまわって、近江おうみから美濃みの
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
今まで但馬たじま辺りの山の中で働いていたものが急に神戸へ連れて来られて美味い物を食べさせられてそれで運動をせんから人間がそういう場合になったと同じように必ず糖尿病にかかるそうだ。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
清河一味を京都における討幕派巨頭田中河内介たなかかわちのすけに紹介したのは京都の同志で医師を職業とした西村敬蔵けいぞう。河内介その人も本来但馬たじまの医師の次男坊で、中川家諸大夫田中氏の養子となったものである。
新撰組 (新字新仮名) / 服部之総(著)
十一月十日 但馬たじま豊岡、京極杞陽邸。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
但馬たじま山国やまぐに
雨情民謡百篇 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
伊勢国(山田、松阪、津、一身田、四日市、桑名) 尾張国(名古屋、熱田、津島、大野、半田) 三河国(豊橋、岡崎、北大浜、西尾、蒲郡、豊川) 遠江とおとうみ国(掛川、浜松、平田、中泉) 駿河するが国(静岡、小川、清水、藤枝) 相模さがみ国(大磯) 武蔵国(忍) 上総かずさ国(千葉、茂原) 近江おうみ国(大津、豊蒲、五ヶ荘、愛知川、八幡、彦根、長浜) 美濃国(岐阜) 上野こうずけ国(安中、松井田、里見、高崎、八幡) 岩代いわしろ国(福島) 陸前国(築館、一迫) 陸中国(盛岡、花巻) 陸奥むつ国(弘前、黒石、板屋野木、鰺ヶ沢、木造、五所川原、青森、野辺地) 羽前うぜん国(米沢、山形、寒河江、天童、楯岡、新庄、鶴岡) 羽後うご国(酒田、松嶺、湯沢、十文字、横手、沼館、六郷、大曲、秋田、土崎、五十目、能代、鷹巣、大館、扇田) 越後国(新井、高田、直江津、岡田、安塚、坂井、代石、梶、新潟、沼垂、葛塚、新発田、亀田、新津、田上、加茂、白根、三条、見附、浦村、片貝、千手、六日町、塩沢、小出、小千谷、長岡、大面、寺泊、地蔵堂、新町、加納、野田、柏崎) 丹波国(亀岡、福知山) 丹後国(舞鶴、宮津、峰山) 但馬たじま国(出石、豊岡) 因幡いなば国(鳥取) 伯耆国(長瀬、倉吉、米子) 出雲国(松江、平田、今市、杵築) 石見いわみ国(波根、太田、大森、大国、宅野、大河内、温泉津、郷田、浜田、益田、津和野) 播磨はりま国(龍野) 備前びぜん国(閑谷) 備後びんご国(尾道) 安芸国(広島、呉) 周防すおう国(山口、西岐波、宮市、徳山、花岡、下松、室積、岩国) 長門ながと国(馬関、豊浦、田辺、吉田、王喜、生田、舟木、厚東、萩、秋吉、太田、正明市、黄波戸、人丸峠、川尻、川棚) 紀伊国(高野山、和歌山) 淡路国(市村、須本、志筑) 阿波国(徳島、川島、脇町、池田、撫養) 讃岐さぬき国(丸亀、高松、長尾) 伊予国(松山、宇和島、今治) 土佐国(高知、国分寺、安芸、田野、山田、須崎) 筑前国(福岡、若松) 筑後国(久留米、吉井) 豊前ぶぜん国(小倉、中津、椎田) 豊後ぶんご国(日田) 肥前ひぜん国(長崎、佐賀) 肥後ひご国(熊本) 渡島おしま国(函館、森) 後志しりべし国(江差、寿都、歌棄、磯谷、岩内、余市、古平、美国、小樽、手宮) 石狩国(札幌、岩見沢) 天塩てしお国(増毛) 胆振いぶり国(室蘭)
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
依つて更に還つて、但馬たじまの國に船てをし、その國に留まつて、但馬のマタヲの女のマヘツミと結婚してんだ子はタヂマモロスクです。
丹波には久下くげ一族をのこし、但馬たじまには細川、仁木。播州ばんしゅうには赤松。そのほか、四国、山陽の諸所の要々かなめかなめにはキメ石を打って、退いていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此地こつち與力よりき贅澤ぜいたくだと、かね/″\いてゐたが、しかしこれほどだとはおもはなかつた。おかげ但馬たじま歌舞伎役者かぶきやくしや座頭ざがしらにでもなつたやうながする。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
イカシ 粃をイカシと呼んでいる地方もある(但馬たじま方言集)。イカシバットウというのはこれを粉に挽いたもので、この地方のハットウは多分炒粉いりこであろう。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
やゝ大粒おほつぶえるのを、もしたなごころにうけたら、つめたく、そして、ぼつとあたゝかえたであらう。そらくらく、かぜつめたかつたが、温泉まち但馬たじま五月ごぐわつは、さわやかであつた。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
山陰道の東端は丹波たんば丹後たんご但馬たじまであります。これらの国々の名は色々の言葉で思い出されます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
一人は井上家の郡奉行、志水但馬たじまという武士であり、一人は紀州藩士であって、五十嵐右内を警護して来た、その警護方の隊長であったところの、加藤源兵衛という武士であった。
猫の蚤とり武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「ミーちゃんが、ところが、いけないとめているらしいんで、やっこ但馬たじまさんのところへ、どうしたもんかと、——つまりお伺いですな。但馬大明神に手紙でお伺いを立てているらしいですよ」
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
但馬たじまの方へまわって、そこへ上陸しました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
「ああ。それすら分らない坊ンち。打つも張合はないが、但馬たじまどのが帰られるまでの暇つなぎに——お見せしようか。勝負を」
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御城與力おしろよりきは、御城代ごじやうだいあづかものだが町奉行まちぶぎやう與力よりき同心どうしんもらつたのだ。まり各々おの/\今日けふから、この但馬たじまもらものだ。もらものだから、かさうところさうと但馬たじま勝手かつてだ。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
兵庫県但馬たじまの村々などでは、この霜月三夜には山々の獣までが山から出て来て、この晩の祭をするという言い伝えがあり、子供は楽しいというよりもむしろ気味わるく
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
実はその「柳行李」は富山で出来るのではなく、遠い但馬たじまの国の豊岡とよおかで作られて、ここに運ばれます。それを仕上げるのが富山で、町はずれに行くとそれを作っている店々を見られるでしょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
但馬たじまは猟奇趣味で浅草を見る人を、とても嫌っていたわ」と言った。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
かつて、ものにしるして、東海道中とうかいだうちう品川しながはのはじめより、大阪おほさかまはり、山陰道さんいんだうつうじて、汽車きしやから、婀娜あだと、しかして、窈窕えうてうと、に、禽類きんるゐ佳人かじんるのは、蒲田かまた白鷺しらさぎと、但馬たじま豐岡とよをかつるばかりである
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
敵は、ここばかりでなく、但馬たじま境から赤穂にまでわたる諸所の陣もみな引いて、一せいに、播州加古川へぞくぞく落ちて行くと聞え渡った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
海中の暗礁をグリということは、決して但馬たじま・丹後(土俗と伝説一巻八三頁)ばかりではない。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
秀吉は、ここを尼子一党に預け、但馬たじま播磨はりま掃討そうとうを片づけると、ひとまず安土へ凱旋した。明けて天正六年の一月、湖南の春色は若かった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山形県のオバコは今日は未婚の女のことだが、米沢よねざわ地方ではままごとをオバコダチ、中国地方のオバサンは他家の婦人のことなのに、但馬たじまではこの遊びをオバサンゴトと呼んでる。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三年か四年目には、寺へ泊る但馬たじまの国の雲水で、三十歳ぐらいな若い禅坊主なのだ、胸毛のはえた肌を陽なたにさらして
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分はまた大唐田だいとうだという地名をも集めてみた。丹後・但馬たじま美作みまさか・備前・備中にかけていくらもある。農夫が稲を選択するのは自由であれば、特定の稲の名を地名に負うはずがない。
いや、お取次でもよろしい。……但馬たじま宮本武蔵むさしという武者修行の者、道場へ立ち寄り、門弟たちに立ちむかえる者一人もなく、若先生のお帰りを
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)