“播磨国”の読み方と例文
読み方割合
はりまのくに100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
宗春むねはると改名して寛文十二年に病死した。景一の六男又次郎は京都に住んでいて、播磨国はりまのくにの佐野官十郎の孫市郎左衛門を養子にした。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大鷹おおたかはかしこまって、その鳥のあとをどこまでも追っかけて、紀伊国きいのくに播磨国はりまのくにへとくだって行き、そこから因幡いなば丹波たんば但馬たじまをかけまわった後、こんどは東の方へまわって、近江おうみから美濃みの
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
播磨国はりまのくに飾東郡しきとうごおり姫路ひめじの城主酒井雅楽頭忠実うたのかみただみつ上邸かみやしきは、江戸城の大手向左角にあった。そこの金部屋かねべやには、いつもさむらいが二人ずつ泊ることになっていた。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)