ゆたか)” の例文
旧字:
春は水嵩みずかさゆたかで、両岸に咲く一重桜の花の反映の薄べに色に淵はんでも、瀬々の白波しらなみはます/\えて、こまかい荒波を立てゝゐる。
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
ゆたかにまろらかな立唄たてうたの声と、両花道からしずしずとひれをふりながらあらわれる踊り子の緋鯉ひごいの列と……とりわけあざやかに幻に残ってるのは
小品四つ (新字新仮名) / 中勘助(著)
おのずから南は人口も多く、町々も多くまた繁昌はんじょうきたしました。しかしどういうものか、それに比べ手仕事が特にゆたかだとは申されません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
新政府にし、維新功臣の末班まっぱんに列して爵位しゃくいの高きにり、俸禄ほうろくゆたかなるにやすんじ、得々とくとくとして貴顕きけん栄華えいが新地位しんちいを占めたるは
うちゆたかでもなかったので、気の長い話しだ、僕は小学教員をかせいで、そのかせぎためた金で、上京して苦学をしようと思い立ったものだ。
百面相役者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
過去帳にも竹田氏一族五十余名の名前がちやんと書き残してあるのを思ふと、竹田一族が寛文以後七八十年の間ゆたかに生活を送つてゐた事がよく判る。
と呼びかけられ、ぱッちりとした目をみはって、ゆたかな頬を傾けたが、くっきりとした眉のあたり、心懸こころがかりのない風情。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
木魚の顔が赤くなって、しどくゆたかに、隠居いんきょじみた笑いを浮べて、目をショボショボさせながら繰返していっていた。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
昨日誘拐されました長男のゆたかは、先妻との間にできた子でございまして、豊の母は、昨年の四月に病死しました。
塵埃は語る (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
本当の意味の写実は最も必要で、その写実が含まれていない限り、人の想像をゆたかにする事は出来ない。
舞台の薄暗い物かげなどで、一寸ちょっと見れば三人とも誰が誰やら見分けがつかない。食料不足の世と云うにも係らず、三人とも栄養不良の様子は更に見られないゆたかな肉づき。
心づくし (新字新仮名) / 永井荷風(著)
新魚町しんうおのまちの大野ゆたかの家に二人の客が落ち合った。一人は裁判所長の戸川という胡麻塩頭ごましおあたまの男である。
独身 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
叔父が死んだ今日こんにちでも、何不足のない顔をして、あごなどは二重ふたえに見えるくらいにゆたかなのである。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
海部あまべは日本人よりは多分遅く渡来して、ひどい片隅の文字なき生活を続けていた人たちだけれども、海の知識においては誰よりもゆたかなるものを持ち、しかも文字が無いばかりに
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その功によりて月宮殿げっきゅうでんより、霊杵れいきょ霊臼れいきゅうとを賜はり、そをもてよろずの薬をきて、今はゆたかに世を送れるが。この翁がもとにゆかば、大概おおかた獣類けもの疾病やまいは、癒えずといふことなしとかや。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
くに三輪みわさき大宅竹助おおやのたけすけと云うものがあって、海郎あまどもあまた養い、はた広物ひろものものを尽してすなどり、家ゆたかに暮していたが、三人の小供があって、上の男の子は、父に代って家を治め
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
このゆゑに市にちゞみを持ゆくは兵士へいし戦場せんじやうにむかふがごとし。さてちゞみの相場は大やうは穀相場こくさうばにおなじうして事は前後ぜんごす。としきようすればこくは上りちゞみは下る。年ゆたかなればちゞみは上りこくは下る。
けだしその由縁ゆえんは、下等士族が、やや家産かさんゆたかなるを得て、仲間なかまの栄誉を取るべき路はただ小吏たるの一事にして、この吏人りじんたらんには必ず算筆の技芸を要するが故に、あたか毎家まいか教育の風を成し
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
が、さう決心した刹那に、もう自動車は、公園の蒼い樹下闇このしたやみを、後に残して、上野山下に拡がる初夏の夜、さうだ、ゆたかに輝ける夏の夜の描けるが如き、光と色との中に、馳け入つてゐるのだつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
と、ママが奥から出て来て、眼で会釈をすると、すぐに善良なゆたかな笑顔になった。そうして窓際の小さなテーブルに、その大きな図体をぶっつけるようにして腰掛けると、無造作に壁に背をもたした。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
霧くらくめて晴れざる巴里パリーにてゆたかなるものを日々ひびに求めき
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
足まめにやる方針は一草医秋成を流行はやらせて暮しもゆたかになつた。医者をはじめて四年目に、家を買ひ、造作をし直して入るやうになつた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
概して見ますと輪島のものも近頃の品はくだる一途なので、工人に望むところは形をゆたかにし絵附を活々したものにして貰うことであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ピカピカ光るあらい網の目から、或はゆたかな、或はせっぽちな、或はすべっこい肉体が、異様にすいて見える。頭には同じ南京玉のナイトキャップだ。
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかるに、梓はもと仙台のうまれで、土地の塗物師ぬりものしの子であったが、ゆたかなる家計のもとに育ったものではなかった。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
本当の意味の写実は最も必要で、その写実が含まれていない限り、人の想像をゆたかにする事は出来ない。
油絵新技法 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
「四十余年戯楽中。老来猶喜迎春風。請看恵政方優渥。一邸不知歳歉豊。」前詩はとしゆたかにしてこめいやしきを歎じ、後詩は年の豊凶と米価の昂低とに無頓着であるものと聞える。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
えん遅日ちじつ多し、世をひたすらに寒がる人は、端近くかすりの前を合せる。乱菊にえり晴れがましきをゆたかなるあごしつけて、面と向う障子のあきらかなるをまばゆく思う女は入口に控える。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
崋山の親友に真木まき重兵衛といふ男がゐた。その重兵衛にゆたかといふ遊び好きな孫があつて、ある時廓返くるわがへりに馬を連れて、古い素麺箱を一つ、豊橋のさる骨董屋に担ぎ込んだ。
染めたようなゆたかな頬や、読経のために充血したくちびるや、岩間を清水の流れてゆく尼僧の境涯には涙なしには住めまいほどなまめいている。これからどこをまわるのか斑尾の道のほうへいった。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
老婆は最初の想像とは案に相違して、お千代夫婦の境遇を不審に思ったが、しかしとにかくここまで零落していれば、以前ゆたかに暮していただけ、かえって話は早いかも知れないとも考えた。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
中にはとても見事なのがあって、作りのよいのや、形のゆたかなのや色の美しいのがあります。とりわけ漆塗のものは眼を引きます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
顧みると国文学者の分子の方が勝つてしまつた彼の生涯の中で、かえって生れつきゆたかであつたと思はれる、物語作者の伎倆ぎりょうを現したのはわずかに過ぎない。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
実際は、わずかばかりの月給なぞほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家はゆたかではなかったのだ。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ト見ると襖から承塵なげしへかけた、あまじみの魍魎もうりょうと、肩を並べて、そのかしら鴨居かもいを越した偉大の人物。眉太く、眼円まなこつぶらに、鼻隆うして口のけたなるが、頬肉ほおじしゆたかに、あっぱれの人品なり。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
薄きにもかかわらずゆたかなる下唇したくちびるはぷりぷりと動いた。男は女の不平を愚かなりとは思わず、情け深しと興がる。二人の世界は愛の世界である。愛はもっとも真面目まじめなる遊戯である。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
実をいふと、須磨子の感情生活は、決してゆたかな方ではなかつた。
一度ひとたびひつ栄えつ、はげしく強くゆたかなる
さて、以上の論旨を要約すると、単純とか健康とかいう美の目標が、最もゆたかに民藝の領域に見出せるということ。
美の国と民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「神様。私は、青く澄んだ青い瞳と、広い額の蔭にかくれた、ゆたかな智慧になりましょう」
トシオの見たもの (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ぬれかつらの如く、ゆたかにたくましき黒髪、アラビヤ馬にもって、精悍せいかんにはり切った五体、蛇の腹の様につややかに、青白き皮膚の色、この肉体を以て、私は幾人の男子を征服して来たか。
火星の運河 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
すっと入交いれかわったのが、の大きい、色の白い、年の若い、あれは何と云うのか、引緊ひきしまったスカートで、肩がふわりと胴が細って、腰の肉置ししおき、しかも、そのゆたかなのがりんりんとしている。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
馴々なれ/\しいのとは違ふ。はじめからふる相識しりあひなのである。同時に女はにくゆたかでないほゝを動かしてにこりと笑つた。蒼白いうちに、なつかしい暖味あたゝかみが出来た。三四郎の足は自然しぜんと部屋のうちへ這入つた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
かえって下手げてさげすまれるそれらのものに、何故美が最もゆたかに宿るか、またその美が何を私たちに語っているか、それらの事に対して私たちの理解は皆一致する。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
なるほどところ衣服きものとき姿すがたとはちがふてしゝつきのゆたかな、ふつくりとしたはだへ
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
俯向うつむいた眼の色は見えぬ。ただゆたかなる頬をかすめて笑の影が飛び去った。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
青い木綿もめんの洋服が、しっくり身について、それの小皺こじわの一つ一つにさえゆたかな肉体のうねりが、なまめかしく現れているのだし、青春の肌のかおりが、木綿を通してムッと男の鼻をくすぐるのだし、そして
木馬は廻る (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
労働への悦びも、仕事への道徳も、手工藝の方にはゆたかに見出すことができるのです。それ故工藝と呼ぶ時、私は手工藝を以てこれを代表さすことが至当だと考えます。
民芸の性質 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
往年いんぬるとし、雨上りの朝、ちょうどこのあたり通掛とおりかかった時、松のしずくに濡色見せた、紺青こんじょうの尾をゆたかに、の間の蒼空あおぞらくぐり潜り、かささぎが急ぎもせず、翼で真白まっしろな雲を泳いで、すいとし、すいと伸して
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
のみならず何の摂理か、美の健康さが最もゆたかにそこに見出されることを知ったのです。しばらくの間、私のこの信念について心を開いてよき聴手となって頂けたら幸いに思います。
美の国と民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)