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臣
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しん
ふりがな文庫
“
臣
(
しん
)” の例文
ましてや、
梅雪入道
(
ばいせつにゅうどう
)
は、
武田家譜代
(
たけだけふだい
)
の
臣
(
しん
)
であるのみならず、
勝頼
(
かつより
)
とは
従弟
(
いとこ
)
の
縁
(
えん
)
さえある。その
破廉恥
(
はれんち
)
は小山田以上といわねばならぬ。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「『
君
(
きみ
)
辱
(
はずかし
)
めらるれば
臣
(
しん
)
死
(
し
)
す』ということさえある。臣が君より上席に坐れば、とりもなおさず臣が君を辱めることになる」
苦心の学友
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
廉直
(
れんちよく
)
の・
(五三)
邪枉
(
じやわう
)
の
臣
(
しん
)
に
容
(
い
)
れられざるを
悲
(
かなし
)
み、
(五四)
往者得失
(
わうしやとくしつ
)
の
變
(
へん
)
を
觀
(
み
)
る、
故
(
ゆゑ
)
に
(五五)
孤憤
(
こふん
)
・五
蠧
(
と
)
・
内外儲
(
ないぐわいちよ
)
・
説林
(
せつりん
)
・
説難
(
ぜいなん
)
、十
餘萬言
(
よまんげん
)
を
作
(
つく
)
る。
国訳史記列伝:03 老荘申韓列伝第三
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
蜀漢
(
しょくかん
)
の
劉備
(
りゅうび
)
、
諸葛孔明
(
しょかつこうめい
)
の
草廬
(
そうろ
)
を三たび
訪
(
と
)
う。これを三
顧
(
こ
)
の
礼
(
れい
)
と言うてナ。
臣
(
しん
)
、もと
布衣
(
ほい
)
……作阿弥殿、御名作をお残しになるよう、祈っておりますぞ。
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
眇
(
びょう
)
たる一山僧の身を
以
(
もっ
)
て、
燕王
(
えんおう
)
を勧めて
簒奪
(
さんだつ
)
を
敢
(
あえ
)
てせしめ、
定策決機
(
ていさくけっき
)
、皆みずから当り、
臣
(
しん
)
天命を知る、
何
(
なん
)
ぞ民意を問わん、というの
豪懐
(
ごうかい
)
を
以
(
もっ
)
て、天下を鼓動し
簸盪
(
ひとう
)
し
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
毛利輝元勢
(
もうりてるもとぜい
)
宍戸備前守
(
ししどびぜんのかみ
)
の
臣
(
しん
)
、川音清兵衛、
討
(
う
)
ち取ったとな、大声で——大声でいうのじゃぞ
三両清兵衛と名馬朝月
(新字新仮名)
/
安藤盛
(著)
それは背のずんぐりした
白髪
(
しらが
)
の眼だった男であった。皆道三の
臣
(
しん
)
で悪逆無道の義竜を殺しに来たところであった。皆きっさきを集めて
躍
(
おど
)
りかかろうとした。二人の少女は叫んで逃げて往った。
赤い土の壺
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
以て江戸町奉行仰付られけり
誠
(
まこと
)
君君たれば
臣
(
しん
)
臣たるとは此事にて有るべき
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
君
(
きみ
)
臣
(
しん
)
を
択
(
えら
)
ばず、臣君を択ぶというようになっていたと見えて、五百が
此
(
かく
)
の如くに諸家の奥へ
覗
(
のぞ
)
きに往ったのは、
到処
(
いたるところ
)
で
斥
(
しりぞ
)
けられたのではなく、自分が仕うることを
肯
(
がえん
)
ぜなかったのだそうである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
帝
(
てい
)
頻
(
しきり
)
に
再
(
ふたゝ
)
び
見
(
み
)
んことを
欲
(
ほつ
)
して
終
(
つひ
)
に
如何
(
いかん
)
ともすること
能
(
あた
)
はず。
侍中
(
じちう
)
進
(
すゝ
)
んで
曰
(
いは
)
く、
獺
(
だつ
)
や
鯔魚
(
しぎよ
)
を
嗜
(
たし
)
む、
猫
(
ねこ
)
にまたゝびと
承
(
うけたまは
)
る。
臣
(
しん
)
願
(
ねがは
)
くは
是
(
これ
)
を
能
(
よ
)
くせんと、
板
(
いた
)
に
畫
(
ゑが
)
いて
兩生
(
りやうせい
)
の
鯔魚
(
しぎよ
)
を
躍
(
をど
)
らし、
岸
(
きし
)
に
懸
(
か
)
けて
水
(
みづ
)
を
窺
(
うかゞ
)
ふ。
聞きたるまゝ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
羽生
(
はにゅう
)
某の記する所に
拠
(
よ
)
るに元義は岡山藩中老池田
勘解由
(
かげゆ
)
の
臣
(
しん
)
平尾新兵衛
長治
(
ながはる
)
の子、壮年にして沖津氏の
厄介人
(
やっかいにん
)
(家の子)となりて沖津新吉直義(退去の際元義と改む)と名のりまた源猫彦と号したり。
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
爲
(
な
)
し、おのれ
毒龍
(
どくりよう
)
、
爾
(
なんぢ
)
が
魯鈍
(
うつけ
)
の
故
(
ゆゑ
)
を
以
(
もつ
)
て、
股肱
(
ここう
)
の
臣
(
しん
)
を
喪
(
うしな
)
ひ
鬼桃太郎
(旧字旧仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
「では、われわれと
大久保家
(
おおくぼけ
)
の
臣
(
しん
)
と、武技をたたかわせたうえに、その勝ったるほうへ、
咲耶子
(
さくやこ
)
を
渡
(
わた
)
してくださるというのですな」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
...
臣
(
しん
)
竊
(
ひそか
)
に
起
(
き
)
の
(九九)
留心
(
りうしん
)
無
(
な
)
きを
恐
(
おそ
)
る」と。
武矦
(
ぶこう
)
即
(
すなは
)
ち
曰
(
い
)
はん、「
奈何
(
いかん
)
せん」と。
君
(
きみ
)
、
因
(
よ
)
つて
武矦
(
ぶこう
)
に
謂
(
い
)
つて
曰
(
い
)
へ、「
試
(
こころ
)
みに
(一〇〇)
延
(
ひ
)
くに
公主
(
こうしゆ
)
を
以
(
もつ
)
てせよ。 ...
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
照彦様があんな目にあわされるのを学友としてだまって見ていられるものでない。
君
(
きみ
)
辱
(
はずかし
)
めらるれば
臣
(
しん
)
死す。安斉先生のお教えになったところはここだ。仕方がない。
苦心の学友
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
帝は
滇南
(
てんなん
)
に
往
(
ゆ
)
きて
西平侯
(
せいへいこう
)
に
依
(
よ
)
らんとしたもう。
史彬
(
しひん
)
これを危ぶみて
止
(
とど
)
め、
臣
(
しん
)
等
(
ら
)
の中の、家いさゝか足りて、
旦夕
(
たんせき
)
に備う
可
(
べ
)
き者の
許
(
もと
)
に
錫
(
しゃく
)
を
留
(
とど
)
めたまい、緩急移動したまわば不可無かるべしと
白
(
もう
)
す。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
賜
(
たまは
)
り又忠八は
足輕
(
あしがる
)
小頭
(
こがしら
)
となりて兩家共
代々
(
だい/\
)
岡山に
繁昌
(
はんじやう
)
せしとぞ
寔
(
まこと
)
に君君たる時は
臣
(
しん
)
臣たりと云
古語
(
こゞ
)
の如く岡山侯
賢君
(
けんくん
)
に
在
(
まし
)
ます故に喜内
不幸
(
ふかう
)
にして
僕
(
ぼく
)
の爲に
討
(
うた
)
るゝと雖も其
妹
(
いもと
)
に
又
(
また
)
勇婦
(
ゆうふ
)
有て仇を
討
(
うち
)
家を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
「李白一斗詩百篇、
自
(
みずか
)
ら
称
(
しょう
)
す
臣
(
しん
)
はこれ
酒中
(
しゅちゅう
)
の
仙
(
せん
)
」
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
見ると、弁天堂のまえへ、
大勢
(
おおぜい
)
の武士をつれて
篝火
(
かがりび
)
を
焚
(
た
)
かせている者は、かの
賤
(
しず
)
ヶ
岳
(
たけ
)
で
勇名
(
ゆうめい
)
をはせた、
加藤虎之助
(
かとうとらのすけ
)
の
臣
(
しん
)
、井上大九郎であることがわかった。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
孫子
(
そんし
)
、
(二四)
其馬足
(
そのばそく
)
の
甚
(
はなは
)
だ
相遠
(
あひとほ
)
からず
馬
(
うま
)
に
(二五)
上中下
(
じやうちうげ
)
の
輩
(
はい
)
有
(
あ
)
るを
見
(
み
)
る。
是
(
ここ
)
に
於
(
おい
)
て
孫子
(
そんし
)
、
田忌
(
でんき
)
に
謂
(
い
)
つて
曰
(
いは
)
く、『
君
(
きみ
)
第
(
ただ
)
重射
(
ちようせき
)
せよ。
臣
(
しん
)
、
能
(
よ
)
く
君
(
きみ
)
をして
勝
(
か
)
たしめん』
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
「そうです。ナカナカ頭がいい。この心得がなければいけません。当節の家庭教師には
論語
(
ろんご
)
読まずの論語知らずが多いから困る。つぎに、
君
(
きみ
)
君たらずとも
臣
(
しん
)
臣たらざるべからず」
苦心の学友
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
...
寡人
(
くわじん
)
、
此
(
この
)
二
姫
(
き
)
に
非
(
あら
)
ざれば、
食
(
しよく
)
、
味
(
あぢはひ
)
を
甘
(
あま
)
しとせず。
願
(
ねが
)
はくは
斬
(
き
)
る
勿
(
な
)
かれ』と。
孫子
(
そんし
)
曰
(
いは
)
く、『
臣
(
しん
)
、
既
(
すで
)
に
已
(
すで
)
に
命
(
めい
)
を
受
(
う
)
けて
將
(
しやう
)
たり。
將
(
しやう
)
は
軍
(
ぐん
)
に
在
(
あ
)
りては
君命
(
くんめい
)
をも
受
(
う
)
けざる
所
(
ところ
)
有
(
あ
)
り』
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
ただ
臣
(
しん
)
亮
(
りょう
)
もはや知命の年齢ですから、戦陣の不常どんなことがあろうとも知れません。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
臣
(
しん
)
は
素
(
もと
)
卑賤
(
ひせん
)
なり、
君
(
きみ
)
之
(
これ
)
を
(五)
閭伍
(
りよご
)
の
中
(
うち
)
より
擢
(
ぬき
)
んで、
之
(
これ
)
を
大夫
(
たいふ
)
の
上
(
うへ
)
に
加
(
くは
)
ふ。
国訳史記列伝:04 司馬穰苴列伝第四
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
「されば、あの
鹿角
(
かづの
)
の
前立
(
まえだ
)
て打ッたる
兜
(
かぶと
)
と、白糸おどしのよろいには、すぐる年、
姉川
(
あねがわ
)
の合戦で、しかと、見覚えがござりまする。——彼こそ、家康の
股肱
(
ここう
)
の
臣
(
しん
)
、本多平八郎にちがいありませぬ」
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
...
臣
(
しん
)
を
以
(
もつ
)
て
君
(
きみ
)
を
弑
(
し
)
す、
仁
(
じん
)
と
謂
(
い
)
ふ
可
(
べ
)
けんや』と。
(三〇)
左右
(
さいう
)
(三一)
之
(
これ
)
を
兵
(
へい
)
せんと
欲
(
ほつ
)
す。
(三二)
太公
(
たいこう
)
曰
(
いは
)
く、『
此
(
こ
)
れ
義人
(
ぎじん
)
也
(
なり
)
』と。
扶
(
たす
)
けて
去
(
さ
)
らしむ。
武王
(
ぶわう
)
已
(
すで
)
に
殷
(
いん
)
の
亂
(
らん
)
を
平
(
たひら
)
げ、
天下
(
てんか
)
、
周
(
しう
)
を
(三三)
宗
(
そう
)
とす。
国訳史記列伝:01 伯夷列伝第一
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
“臣”の解説
臣(おみ)は、ヤマト王権で使われていた姓(かばね)の一つで、姓の中では連と並んで高位に位置していた。古くは使主とも表記される。語源には諸説あるが、身体ならびに人格を意味する「ミ」に指小辞の「オ」をつけたもの(すなわち「小身」)とする説が有力である。『日本書紀』などの官撰史書では、臣姓の多くを継体天皇以前の天皇から別れ出た氏族とする。また、有力七氏族は系譜上武内宿禰を共通の祖としている。
(出典:Wikipedia)
臣
常用漢字
小4
部首:⾂
7画
“臣”を含む語句
大臣
朝臣
陪臣
家臣
中臣志斐媼
老臣
大臣殿
大臣家
内大臣
寵臣
太政大臣
臣下
中臣
蘇我臣
忠臣蔵
右大臣
儒臣
臣等
中臣寿詞
忠臣
...