くつ)” の例文
また、ひとかごのたちばなの実をひざにかかえ、しょんぼりと、市場の日陰にひさいでいる小娘もある。下駄げた売り、くつなおしの父子おやこも見える。
急にひきつったか、怪我をしたか、馬子は案じて、もしやと、足蹠あしをしらべにかかってみました。くつが外れて、釘でも踏みつけたか。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
橋の上にはしばらくの間、行人こうじんの跡を絶ったのであろう。くつの音も、ひづめの音も、あるいはまた車の音も、そこからはもう聞えて来ない。
尾生の信 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
くつぬぎの土間へも降りて見まわしているうちに、かれは何か小さいものを拾った。それを袂に入れて、半七はもとの座敷へ戻った。
半七捕物帳:41 一つ目小僧 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その蟇は毎年の様に出て来て、毎夕の様にくつぬぎの下に来たそうであるが、しらず、今年の夏は? 無心の彼にも、歎きがあるであろう。
解説 趣味を通じての先生 (新字新仮名) / 額田六福(著)
陳氏はすっかり黒の支度したくをして、袖口そでぐちくつだけ、まばゆいくらいまっ白に、髪は昨日きのうの通りでしたが、支那の勲章を一つつけていました。
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
そして、日本のひとのように膝かけはかけないで、黒い布でこしらえたくつをはいた両足をひろげた間に、大きい反物包みをはさんでいた。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
人の話によると、彼は外套の下に、三十斤の錘をつけているとのことであった。形のほとんどくずれかかった古いくつを素足にはいていた。
半ば登りかけたときに、持彦がくつをわすれたことを花桐は知った。夜まわりが廻って来ると、すぐ沓がわかる位置におかれてあったからだ。
花桐 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
金色の寝台の金具、家鴨あひるのぶつぶつした肌、切られた真赤な水慈姑みずくわい、青々と連った砂糖黍さとうきびの光沢、女のくつや両替屋の鉄窓。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
如何いかにせんと此時また忽然と鶴的鞍にひて歩みきたる見れば馬のくつを十足ほどの竹杖にくゝし付けて肩にしたり我馬士わがまご問ふて曰く鶴さん大層くつ
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
かゝれば尊きベルナルドは第一にくつをぬぎ、かく大いなる平安をひて走り、走れどもなほおそしとおもへり 七九—八一
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
さいわい誰にも見とがめられずに、奥座敷の縁側のそばまで来たお露は、くつぬぎにうずくまるように身をかがめて、低声こごえ
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
上着の模様は唐草で、襟と袖とに銀の糸で、細く刺繍ぬいとりを施してある。紫色の袴の裾を洩れ、天鵞絨ビロードに銀糸で鳥獣を繍った、小さなくつも見えている。
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
例えば常陸ひたち石那阪いしなざかの峠の石は、毎日々々伸びて天まで届こうとしていたのを、しずの明神がお憎みになって、鉄のくつをはいてお飛ばしなされた。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「ほんとうに、おじいさん、さんごのくつをはいて、あおたまのかんざしをさしたおんなが、このいえまえとおるのですか?」
幸福の鳥 (新字新仮名) / 小川未明(著)
正装した源氏のすがたを見て、後ろのほうを手で引いて直したりなど大臣はしていた。くつも手で取らないばかりである。娘を思う親心が源氏の心を打った。
源氏物語:07 紅葉賀 (新字新仮名) / 紫式部(著)
おそらくこの種の形を持つものは起原が古く、よく絵にある藤原鎌足ふじわらのかまたり公のかれているくつの形そのままであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
フランツは父がふもとの町から始めて小さいくつを買って来て穿かせてくれた時から、ここへ来てハルロオと呼ぶ。呼べばいつでも木精の答えないことはない。
木精 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
パーシユーズの事情を察してマアキュリーは彼に海陸を自由に飛ぶことの出来るくつを与へ、女神は彼に如何にしてゴーゴンに近づくべきかの方法を教へる。
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
そして間もなく母屋の縁先のくつ脱ぎで、地面に残された跡とピッタリ一致する二足の庭下駄が発見みつけられた。
石塀幽霊 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
薩摩と肥後の穀物畑では、変った型のすきが使用される(図574)。鉄のくつと剪断部とは、軽くて弱々しいらしいが、犁は土中で転石にぶつかったりしない。
松雲が寺への帰参は、くつばきで久しぶりの山門をくぐり、それから方丈ほうじょうへ通って、一礼座了いちれいざりょうで式が済んだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
涙と水ぱなが流れだした。そして、むかむか腹立たしくなった。もくもくくすぶっているき木に怒りがぶっつかって行った。雪のついたくつの先でそれをにじりつけた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
ふぢかづらを取りて、一夜のほどに、きぬはかま、またしたぐつくつを織り縫ひ、また弓矢を作りて、その衣褌等を服しめ、その弓矢を取らしめて、その孃子の家に遣りしかば
眞面目まじめらしくりつぐをけば、時鳥ほとヽぎすもず前世ぜんせ同卿人どうきやうじんにて、くつさしと鹽賣しほうりなりし、其時そのときくつひてだいをやらざりしかば、れが借金しやくきんになりてもずあたまがらず
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
表の大地は箒木目ははきめ立ちてちりもなく。格子戸はきれいにふききよめて。おのずから光沢をおびたり。残ったる番手桶ばんておけの水をきたるとおぼしき。くつぬぎのみかげ石の上に。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
それは神官の着るやうなはうだの指貫さしぬきに模したものだつた。おまけに、ボール紙で造つた黒い冠、しやくの形をした板切れ、同じく木製の珍妙なくつだのいふ品々が揃つてゐた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
その刀を取れとかくつを持てとか、そういったようにね、それからまた銃隊をさがらせろ、なんという命令を伝えにもゆきます、そういうときは酒井さまのお口まねだから
日本婦道記:萱笠 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
魔法杖でもちょいと振りゃ、娘ふたりがダンスのくつにもなりそうだ。躍れよ躍れよ、おどり沓。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
藁草履は穿物はきものの中の簡素なものである。未だ一度も人の足に触れぬ新しい草履なら、極めて清浄でもある。元日気分と調和する点からいえば、革のくつ塗木履ぬりぼくりの比ではない。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
出てくる人物が、みんなかんむりをかむって、くつをはいていた。そこへ長い輿こしをかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
枕も髪も影になって、蒸暑さにくつ脱ぎながら、行儀よく組違くみちがえた、すんなりと伸びた浴衣の裾をれて、しっとりと置いた姉の白々とした足ばかりがの加減に浮いて見える。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
小道具など色々の細工物に金銀をついやし高価の品を作り、革なども武具のおどしにも致すべきものを木履ぼくり鼻緒はなおに致し、もっての外の事、くつは新しくとも冠りにはならずと申すなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
かけければ天一坊は常樂院を見るにはやくつを脱たりまた後を振返り伊賀亮左京をもみるに何も履物はきものを穿ざれば天一坊も沓をぬぎ捨ける夫より案内に從ひ行き遙か向を見れば一段高きとこ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それは埃だらけのくつの上でひと休みし、それからやつと膝に匍ひ上がつて、人びとの組み合はしてゐる手のなかを覘いたりする。それには翼がないのだつた。人びとの顏も暗い。
地面をうようにして縁側までたどりつくと、爺さんはくつぬぎにうつ伏せになって、肩の動き具合から見ると、虫のようにしくしく、長いこと泣いていましたよ。ほんとに長い間
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
静かな緊張した空気の中に、軽く揃つてひゞく舞人のくつの音も忘れ難いものであつた。
君臣相念 (新字旧仮名) / 亀井勝一郎(著)
 寛平くわんびやう法皇此事をきこしめして大におどろかせ給ひ、御車みくるまにもめし玉はず俄に御くつをすゝめ玉ひて清涼殿に立せ玉ひ、かくと申せとおほせありしかども左右の諸陣警固けいごして事を通ぜず
軍記物語の作者としての馬琴は到底『三国志』の著者のくつひもを解くの力もない。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
臙脂えんじ色の小さなくつもちらりと見えたやうだ。そのどつちも僕は見覚えがあつた。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
剃刀かみそりを遠ざけ、月光石ムーン・ストンあがめ、板っぺらのくつをはき、白髪のまげを水で湿し、手相見の紙着板を首にぶら下げ、大型移動椅子を万年住宅としてつつしんで、これに近づかなければならない。
ヤトラカン・サミ博士の椅子 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
青い三色菫パンジイを散らした更紗さらさの安服に赤いくつをはいて、例の大きな麦藁帽子をかぶっているところは、自分ながら無邪気で可愛らしくて、身軽でふわふわして、まるで蝶々のようだと思った。
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
『夫木抄』に「ぬぐくつの重なる上に重なるはゐもりの印しかひやなからん」。
啓吉は腹が空いたので、ランドセールから弁当を出してくつぬぎ石に腰を掛けて弁当を開いた。弁当の中には、啓吉の好きな鮭がはいっていたが、珍しい事に茄で玉子が薄く切って入れてあった。
泣虫小僧 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
真先まっさきかの留吉とめきち、中にお花さんが甲斐〻〻かいかいしく子をって、最後に彼ヤイコクがアツシを藤蔓ふじづるんだくつ穿き、マキリをいて、大股おおまたに歩いて来る。余は木蔭からまたたきもせず其行進マアチを眺めた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
くつの音全都に響き、唯一人大路を練れり。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
時間は黄金こがねくつを穿いて逃げる。
クサンチス (新字旧仮名) / アルベール・サマン(著)
我駒のくつあらためん橋の霜 湖春
俳句の初歩 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
鞦韆しゅうせんに抱き乗せてくつ接吻せっぷん
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)