ひのき)” の例文
さて、聞かっしゃい、わしはそれからひのきの裏を抜けた、岩の下から岩の上へ出た、の中をくぐって草深いこみちをどこまでも、どこまでも。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
種々な小禽ことりの声が、ひのきの密林にきぬいていた。二人の頭脳は冷たく澄み、明智あけちしょうを落ちて来てから初めてまことわれにかえっていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひのきの生垣に囲まれた平家の日本建で、低い石門に気取った板のドアが閉まって、その五六間奥にガラスの格子戸がぼんやり見えていた。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その友だちの植えたひのきの木ももうかげをなしていたが、最近行った時には、周囲の垣がこわれて、他の墓との境界がなくなっていた。
『田舎教師』について (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ですから床の間がひのきの一枚板であるとか、柱が柾目まさめの杉であるとかいうようなことは、教授にとってなんの価値もなかったのです。
またその身體からだにはこけだのひのき・杉の類が生え、その長さはたにみねつをわたつて、その腹を見ればいつもが垂れてただれております
ひのきのあたらしい浴室である。高いれんじ窓からたそがれのうすしこんで、立ちのぼる湯気の中に数条すうじょうしまを織り出している。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
と、みちの上に新しい石磴いしだんがあって、やはり新らしいひのきの小さな鳥居とりいが見えた。勘作はたしかにこれだと思ってその石磴をあがって往った。
ある神主の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
万事がそういう調子なのですから、真に遊びになります。しかも舟はじょうだなひのきで洗い立ててありますれば、清潔この上なしです。
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
同じ鶴岡には竹塗たけぬりと呼ぶものがあって、材はひのきでありますが竹を模してあります。多少無理な仕事で活々いきいきしたあじわいを欠く恨みがあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
兵部卿の宮の若君の五十日になる日を数えていて、その式用の祝いのもちの用意を熱心にして、竹のかごひのきの籠などまでも自身で考案した。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
十畳位の広さで、内部には柾目まさめの通ったひのきの板を張り、保温のためその間には、木屑がつめられてあった。窓は防寒の二重戸になっていた。
(新字新仮名) / 楠田匡介(著)
隠れた場所は河見家の背後にある山で、そこから段登りにうしろへ高くなってい、杉やひのきや、さらに高くはかばぶななどの密林が茂っていた。
榎物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
泰澄はこの山に住んで、食べ物のなくなった時に、箸を地上にさしたのが成長したといって、大きなひのきが今でも二本あります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
雲の絶間から、傾き掛かった日がさして、四目垣の向うのひのきの影をえんの上に落していたのが、雲が動いたので消えてしまった。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
玄関の軒下に大きなひのきの一枚板に、緑色の文字で、点晴てんせいと書いてあつた。硝子戸は開かれ、沢山の下駄がずらりとタイルの床に並んでゐる。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
宿題もみんな済ましたし、かにを捕ることも木炭すみを焼く遊びも、もうみんなきてゐました。達二は、家の前のひのきによりかかって、考へました。
種山ヶ原 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
その丘の六百メートルばかり右にもひのきのまばらに生えているもう一つの丘があった。そこには、同じ五十五師団の野砲隊が、野営をしていた。
勲章を貰う話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ひのきけやきにまじる雑木のさわやかな緑がまたよみがえって、その間には木曾路らしいむらさきいろの山つつじが咲き乱れていた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
目に触れるたびに不愉快なひのきに、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「仮面と装束を中心生命とする綜合芸術」と註釈しても、何だか外国語を直訳したようで、日本のひのき舞台で行われる、実物のお能の感じがない。
能とは何か (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そのまたまるい天窓の外には松やひのきが枝を張った向こうに大空が青あおと晴れ渡っています。いや、大きいやじりに似たやりたけの峯もそびえています。
河童 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
根附の材料は種々あるので、日本は良材が多いのですから、ひのきなどよく使われましたが、その質が余り硬くないので、磨滅するおそれがあります。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
糸柾いとまさひのきの柱や、欄間らんまの彫刻や、極彩色の模様画のある大きな杉戸や、黒柿の床框とこがまちなどの出来ばえを、上さんは自慢そうに、お島に話して聞せた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
前に大溝の幅広い溝板どぶいたが渡っていて、いきでがっしりしたひのきまさ格子戸こうしどはまった平家の入口と、それに並んでうすく照りのある土蔵とが並んでいた。
蝙蝠 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その他、ひのきとか杉とか椎とか樫とか、一々雪の載せ方が違うし、また落葉樹も樹によって枝ぶりが違い、従って雪の花の咲かせ方も趣を異にしている。
京の四季 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
八ヶ岳の大傾斜スロープ、富士見高原の木地師のごう! 囲繞しているのは森林である。杉、ひのきというような喬木ばかりがそびえている。その真ん中に空地がある。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ひのき植込うえごみの所から伝わって随竜垣ずいりゅうがきの脇に身を潜めて様子をうかゞうと、なが四畳で、次は一寸ちょっと広間のようの所がありまして、此方こちらに道場が一杯に見えます。
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
庭にはいろいろの石ありあり、その樹は柳、ひのき、桃、にれその他チベットの異様の樹があちこちに植えられてある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
最前さいぜんはただすぎひのき指物さしもの膳箱ぜんばこなどを製し、元結もとゆい紙糸かみいとる等に過ぎざりしもの、次第にその仕事の種類を増し、下駄げたからかさを作る者あり、提灯ちょうちんを張る者あり
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ガラス障子越しに庭のかえでひのきのこずえが見え、隣の大きな栗の樹の散り残った葉が朝風にゆれていて、その向こういっぱいに秋晴れの空が広がっている。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
同じ常磐津の太夫になったとしても、ひのき舞台へでもつかってもらって初めからウンウン苦しめば、なかなか世のなかを甘くなんか見なかったんですが——。
初看板 (新字新仮名) / 正岡容(著)
扇骨木かなめひのきなどを植込んだ板塀に沿うて、ふと枇杷の実の黄いろく熟しているのを見付みつけて、今更のようにまたしても月日のたつ事の早いのに驚いたのである。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
杉とひのき鬱蒼うつさうとしてしげつて、真昼でも木下闇こしたやみを作つてゐるらしいところに行き、さくのところで小用こようを足した。
仏法僧鳥 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
みぞれまじりの夜の嵐をついて、往年の摂政宮行啓を記念するひのき造りの公会堂の、広さにくらべて座席の少い会場にほぼいっぱいの学生と市民があつまった。
木地きじはむろんひのきに相違ないが、赤黒の漆を塗り、金銀か螺鈿らでんかなにかで象嵌ぞうがんをした形跡も充分である。蓋はかぶぶたで絵がある。捨て難い古代中の古代ものだ。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一心にこういう名工の打った小刀を研ぎ終り、その切味の微妙さをひのきの板で試みる時はまったくたのしい。
小刀の味 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
この樹林じゆりんは、ひのきすぎ松等まつとう優良いうれうなる建築材けんちくざいであるから、國民こくみん必然ひつぜんこれをつていへをつくつたのである。
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
「でも、此處で曲者は棺の後ろへ穴を開けたんだぜ——それ見るが宜い、ひのきの屑が落ちて居るぢやないか」
恰度ちょうど旧の正月の朝、朝日がうらうらとお宮の森の一番高いひのきこずえてらし出すころ、恰度天から与えられた生命を終って枯れる木のように、静かに死んでいった。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
あすはひのきの木とかや、谷の老木のいへることあり。きのふは夢と過ぎてあすはいまきたらず。生前一樽いっそんの楽しみのほか、明日は明日はと言ひ暮して、終に賢者のそしりを
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
旗鉾からは山は次第に深くなり、樅、栂、ひのきなどの大木が茂って、路は泥深く、牛の足跡に水が溜っていて、羽虫が一面泥の上を飛んで、人が行くとぱっと舞い上る。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
塾堂の玄関げんかんは北向きで、事務室はその横になっているので、一日がささない。それに窓の近くに高いひのきが十本あまりも立ちならんでいて青空の大部分をかくしている。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
彼は胸の勾玉を圧えながら、いちいひのきの間に張り詰った蜘蛛くもの網を突き破って森の中へ馳け込んだ。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
そこは玄関に槍が懸けてあってひのきの重い四枚の戸があった。父はもう六十を越えていたが、母は眉の痕の青青した四十代の色の白い人であった。私は茶の間へ飛び込むと
幼年時代 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
その余の者は思い思いの半裸のすがた、抜身ぬきみ大刀たちを肩にした数人の者を先登に、あとは一抱えもあろうかと思われるばかりのひのきの丸太を四五人してかついで参る者もあり
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
窓から外を望むと松栗ひのきけやきなどが生え繁っており、それらを透して遠くに垣根が眺められた。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
磨きひのきの板壁に朱房しゅぶさの十手がズラリと掛かっている。その下へ座蒲団を敷いて、さて
出立し大坂さしおもむき日ならず渡邊橋向のまうけの旅館へぞちやくしたり伊賀亮が差※さしづにて旅館の玄關げんくわん紫縮緬むらさきちりめんあふひの御紋を染出せしまく張渡はりわたひのきの大板の表札へうさつには筆太ふでぶとに徳川天一坊旅館の七字を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
故郷のひのき舞台に、諸外国の劇壇から裏書きされてきた、名誉ある演伎えんぎを見せたのは、彼女が三十三歳の明治卅五年、沙翁セクスピアーの「オセロ」のデスデモナを、靹音ともね夫人という名にして勤めたのが
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)