とみ)” の例文
安達君は心気とみに回復した。外へ出たら、秋の空が高かった。日本橋から麻布の狸穴まみあなまで、電車の中も佳子さんのことを思い続けた。
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
鋭どい痛みを感じたように眉をしかめながら、しかしとみには信じかねるような良左衛門の顔に、考太夫は微笑の眼をやりながら云った。
初蕾 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
帆村はこの機嫌のいい、しかし何だかひやかされているような気がしないでもない北外の挨拶に対して、とみに言うべき言葉もなかった。
爬虫館事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「…………」ホセの顔を瞶めたまま私はとみには言葉も出なかったが、仕舞いにはあまりの荒唐無稽さに、腹を抱えて笑い出してしまった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
「あ!」と叫びし口はとみふさがざりき。満枝は仇無あどなげに口をおほひて笑へり。この罰として貫一はただちに三服の吸付莨をひられぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
まして大宮浅間の噴泉の美は、何とであろう、磨きあげた大理石の楼閣台榭ろうかくだいしゃも、その庭苑ていえんに噴泉がなかったら、とみ寂寞せきばくを感ずるであろう。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
米友は、お角から言葉をかけられてもとみには返事ができません。お角は、お銀様に正面から見据えられて、しどろもどろです。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
以前にはかなり勤勉な学生であったが、落第して以来、勉強する気とみになくなる。この気持大学を卒るまで続く。夏、北海道及び樺太に旅行。
山本有三氏の境地 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
過ぐる晩、お力がやって来て切りかかったのを防いだ時、大咯血をし、それが基で、総司の病気はとみに悪化したのであった。
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
余の推察の情はとみに増加せり、学説をことにしても本心は善人たるを得べしとの大真理は余はこの時において始て学び得たり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
とみに答ふべき詞なきを、真女児一〇七わびしがりて、女の浅き心より、一〇八鳴呼をこなる事をいひ出でて、一〇九帰るべき道なきこそおもなけれ。
うわさはとみに高い。越後表でも謙信にたいしてしきりにすすめる武将もあった。が、謙信はその期間、敢て、甲信に兵馬をうごかさなかった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本の文化水準は一般的に、最近とみに停頓して来たし、特に又日本固有文化は決定的な衰退の途を、もはや引きかえすだけの勢をもっていない。
社会時評 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
その代り老来とみに加わった滋味と平明さは、クライスラーの演奏の良さを増すところ、その半ばに過ぎないかも知れない。
しかるにそののち趨勢すうせいとみに一変して貿易市場における信用全く地に落ち、輸出高益〻ますます減退するの悲況を呈するに至れり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
甚太郎は、とんだ破目になったというように、うつむいて、膝に載せた、わが手の指をみつめるようにしたまま、とみには答えることも出来ない。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
とみに衰運に向ったとはいえ、日清戦争の頃までは、まだ登山といえば一般には宗教的登山を意味している時代であった。
山の今昔 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
私は午前中だけ野良のらに出て百姓の稽古けいこをし、午後は講義録を読んだ。私はとみに積年の重たい肩の荷を降した気がした。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
我が国では昔から女が絵を習うということは極く稀なことでありましたが、近頃はとみにその数を増しております。
雷同性に富む現代女流画家 (新字新仮名) / 上村松園(著)
なしもし御承知なら御世話せんといふに此時娘も兩親ふたおやはなれ一人の事なれば早速承知し萬事頼むとの事故相談さうだんとみ取極とりきまりて感應院は日柄ひがらえらみ首尾よく祝言しうげん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「そんな冗談にも洒落しゃれにもならないことを云うものじゃありませんよ。そんなことを云えば、貴女だって、この頃はとみに、美しく若々しいじゃありませんか。」
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
有明ノ名とみニ都内ニク。豪士冶郎やろうコノ楼ニ一酔セザル者ナシ。川口平岩ノ二楼ノ如キヤゝソノ下ニ就ク。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となった。八百屋、生薬屋きぐすりや、呉服屋は皆この大発明家の末流ばつりゅうである。猿股期、羽織期のあとに来るのが袴期はかまきである。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
まる子不語しふご今古奇観こんこきかんにでもりさうな怪談だ。余り馬鹿々々しいので、探険の勇気もとみせた。
雨夜の怪談 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
岡の肩は感激のために一入ひとしお震えた。とみには返事もし得ないでいたようだったが、やがて臆病おくびょうそうに
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そうして今や、ローゼマリーを失った悦子と同じように、とみに彼女も寂寥を覚え出したのであった。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
とみに講談落語の速記を尊重しだし、親しく自宅へ速記者を派遣せしめ、また演者自らの執筆のかかるものを選びて掲載するなどの傾向を生じてきたのは喜びに堪えない。
形勢はとみに一変した。下女は急に真面目になって、雪江さんを棄てて置いて、急いで出て行く。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
もつと、整然として追憶文を書きたいのであるが、筆、とみに進まず自らを愧づる次第である。
その日のこと〔『少女』〕 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
「君公庁おおやけに召され給うと聞きしより、かねてあわれをかけつる隣のおきなをかたらい、とみに野らなる宿やどのさまをこしらえ、我をとらんずときに鳴神なるかみ響かせしは、まろやが計較たばかりつるなり」
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
にや縁に從つて一念とみ事理じりを悟れども、曠劫くわうごふ習氣しふきは一朝一夕にきよむるに由なし。變相殊體へんさうしゆたいに身を苦しめて、有無流轉うむるてんくわんじても、猶ほ此世の悲哀にはなれ得ざるぞ是非もなき。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
火鉢の灰をきならしている純一が、こんな風にとみに感じた冷却は、不思議にもお雪さんに通じた。夢の中でする事が、抑制を受けない為めに、自在を得ているようなものである。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大阪はもとより東京方面の要求がとみに拡大の一途をたどり、どうしようもない仕儀から、最初は心ならずも鳥取、松江、出雲、こんな沿岸つづきの海辺から似て非なるかれい、さば
若狭春鯖のなれずし (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
あれやこれやと周章狼狽して、とみに言葉も出ない有様。磨き粉の買い出しから、子供の pipi の始末まで、はるばる巴里パリーから手懸てがけに来るとは、なんたる因果、身の不仕合せ。
大に愉快ゆくわいの色をあらはし、つ未だみみにだもせざる「ぶらんでー」の醇良じゆんりやうを味ふを得、勇気いうきとみに百倍したり、じつに其愉快ゆくわいなる人をして雪点せつてんちかき山上にありて露宿ろしゆくするなるかをわすれしむ。
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
しかるに、その後、ふとソクラテスの伝記を読むに至って、私の満腔の崇拝心と愛好心はことごとくこの偉人の上にそそがれるようになり、同時に、永年の懐疑も、とみに氷解するを得たのである。
ソクラテス (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
抜手を切って泳ぎ着いた三次、心得があるからとみには近寄らない。を凝らして見るとどうやら女らしい。海草のような黒髪が水に揺れて、手を振ったのは救助御無用というこころか。
せいもすら/\ときふたかくなつたやうにえた、婦人をんなゑ、くちむすび、まゆひらいて恍惚うつとりとなつた有様ありさま愛嬌あいけう嬌態しなも、世話せわらしい打解うちとけたふうとみせて、しんか、かとおもはれる。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
枕にさす月の涼しい光も、ここに至ってはとみに凄涼な感じに変化するように思う。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
今まで蕾なりし花の唇とみに微笑み、ある限りの人々ただ夢を辿るおもい、淡い自覚に吾がうつつなるを辛くも悟り得る際の心地、西の国々の詩人が悦ぶはこうしたみぎりの感じでもあろうか。
残されたる江戸 (新字新仮名) / 柴田流星(著)
われ思はず方丈の窓を引き開きて言葉鋭く、何事をするぞと問ひなじりしに、馬十かたの如く振り返り、愚かしき眼付にてわれを見つめつゝ、もや/\とあざみ笑ふのみ。とみにはいらへもせず。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
が、見れば和尚も若僧も吾が枕辺に居る。何事が起つたのか、其の意味は分らなかつた。けゞんな心持がするので、とみには言葉も出ずに起直つたまゝ二人を見ると、若僧が先づ口をきつた。
観画談 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
或は今日にても、狂愚者にして其言、往々乘輿に觸るゝ者ある由、傳聞したれども、是れとても眞に賊心あるものとは思はれず。百千年來絶て無きものが、今日とみに出現するも甚だ不審なり。
帝室論 (旧字旧仮名) / 福沢諭吉(著)
お登和嬢はとみこたえず、たれたるこうべはいよいよ下を向て一雫ひとしずく涙のたれし様子。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
かの女は一行とゆるゆる日比谷公園の花壇や植込の間を歩きながら、春と初夏の花が一時に蕾をつけて、冬からはまるで幕がわりのように、とみ長閑のどか貌様ぼうようを呈して来る巴里パリの春さきを想い出した。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
勿論もちろん不埒ふらちですとも。』アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの加勢かせいとみちからて、つよくなり。『おれようるのだ! るのだ! 貴樣きさまなん權利けんりる! せとつたらせ!』
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
何如いかんぞ、年一たび改まれば、士気とみゆるめる。三元の日、来りて礼を修むる者はあれども、未だ来りて業を請う者を見ず。今ぼく使は府に入り、義士は獄に下り、天下の事せまれり。何ぞ除新あらんや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
独逸ドイツ近年の外圧に奮起して尚武の気風はとみに揚がつて居る。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
○同所にて染附食器を多数譲られて旅嚢りょのうとみに重くなる
台湾の民芸について (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
その秋に入って、旻の病勢はとみにすすんだ。
勝敗 (新字新仮名) / 渡辺温(著)