あた)” の例文
旧字:
「気持の好いお部屋ですね。」とチチコフは、さっとあたりを見まわしてから言った。それはまったく、気持の悪い部屋ではなかった。
左門に追われて逃げた十数人の五郎蔵の乾児たちは、紙帳の角から少し離れたあたりで一団となり、左門を迎え撃つ姿勢をととのえた。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「どうもおしゃべりが過ぎたようだ。地下室の水は大方腰のあたりまでになったろう。さあ、君を入れて、水を止めなければならん」
計略二重戦:少年密偵 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
永い間の都会生活に比して、何んともいえず新鮮な心地がする。例えば大阪を仕舞風呂しまいぶろとすればこのあたりの空気は朝風呂の感じである。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
万太郎もあたりの動揺につり込まれずにはおられません、素破すわと立って、言い合せた如く、金吾のあとから望楼へ向って駆け上がる。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信濃町権田原しなのまちごんだわら、青山の大通を横切って三聯隊裏さんれんたいうらしるした赤い棒の立っているあたりまで、その沿道の大きな建物はことごとく陸軍に属するもの
方角や歩数等から考えると、私が、汚れた孔雀くじゃくのような恰好かっこうで散歩していた、先刻さっきの海岸通りの裏あたりに当るように思えた。
淫売婦 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
橋から見える限りのあたりの水面は、油のようなべっとりした感じの黒光りを放った、いっこうに皺のないなめらかさであった。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
その中を、軽井沢あたりの客と見えて、珍らしそうにながめて行く西洋の婦人もあった。町の子供はいずれも嬉しそうに群集の間を飛んで歩いた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
翌日は朝より赤塚氏のひ来給ひてさまざまの興ある話を聞かせ給ひさふらふ昨夜よべの散歩に天草あたりよりきたれる哀れなる女達の住める街を通り給ひて
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
「実はね、争議団から松金へ内通している者の話によると、奴等今晩あたりデモを起そうという計画を立ててる相だ。」
鋳物工場 (新字新仮名) / 戸田豊子(著)
「まだあの乞食こじきがこのあたりをうろついている。はやくどこへなりとゆきそうなものだ。いぬにでもかまれればいいのだ。」
黒い旗物語 (新字新仮名) / 小川未明(著)
数年前、1930年あたりを中心にして、数年間に欧米の一流の数学者が数人日本へ引続いて来たことがある。これはまだ記憶にも新しいことである。
回顧と展望 (新字新仮名) / 高木貞治(著)
その声が襖越しにかしこあたりの御耳に入つた。そして何事かとのお尋ねがあつたので、皆は恐縮しながら、そのなかの一人から事の仔細を申し上げた。
ひとたびそれが理解されはじめると、歌人全体の傾向がひととびにそのあたり近くまで押し移ったことでも判るのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
彼はその時服装なりにも、動作にも、思想にも、ことごとく当世らしい才人の面影おもかげみなぎらして、たかい首を世間にもたげつつ、行こうと思うあたりを濶歩かっぽした。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
時どきけむりを吐く煙突があって、田野はそのあたりからひらけていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。
城のある町にて (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
喬介にともなわれた一行が、二号船渠ドックの海に面した岸壁のあたりまで来た時に、どきまぎしながら彼等について行った私に向って、初めて喬介が口を切った。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
助けるけれども薩州あたりから何とか口を添えてれると都合が宜いなんてまた弱い事を云うから、よろしいとてゝ、れから私は薩州の屋敷にいっ
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
と短く折った蓮のしべを抱えて、売ってくれる子とも馴染なじみになって、蓮の実の味も知った。そんな事は日本橋油町あたりの子供の誰一人知ってはいなかった。
出発の朝、ぼくは向島むこうじまの古本屋で、啄木たくぼく歌集『悲しき玩具がんぐ』を買い、その扉紙とびらがみに、『はろばろと海をわたりて、亜米利加アメリカへ、ゆく朝。墨田すみだあたりにて求む』
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
席上に年若き紳士あり、金縁きんぶち眼鏡めがねを眼の上ならで鼻の上のあたりにせながら眼鏡越しに座敷の隅々まで眺め廻し
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
内室様かみさんへ少々伺いますが、いずれの方かは存じませんが、只今四つの時に別れたと仰しゃいます、その人は本郷丸山あたりで別れたのではございませんか
伯夷叔斉の時代に海外に渡る大船があったなら、恐らく首陽山に隠れないで、日本あたりに来たのであったろう。
真の愛国心 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
刑事は頬のあたりを変にゆがめて、いやらしい笑いを見せた。赤羽主任は云われるままに梯子を昇って行ってみた。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
少女おとめは旅人が立ち寄る小さき茶屋の娘なりき、年経てその家倒れ、家ありしあたりは草深き野と変わりぬ。
詩想 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
私どもが聞いたんでも、吾妻橋あづまばしの佐竹様のお屋敷のあたりかと思うと、松倉まつくらの方に変り、原庭はらにわ松厳寺しょうげんじの空地かと思うと、急に荒井町の方角に変ったりいたします。
わずか百年と少し前までは、こういった快活な女性が、まだあのあたりにもいたということもなつかしいが、同時にまたこの一種のエキゾチシズムが無限に持続して
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
身動みうごきをなさる度ごとに、あたりをらすような宝石がおむねの辺やおぐしの中で、ピカピカしているのは、なんでもどこかの宴会へおいでになる処であったのでしょう。
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
そしてまもなく、およいだり、くぐったり出来できようみずあたりにましたが、そのみにく顔容かおかたちのために相変あいからず、ほか者達ものたちから邪魔じゃまにされ、はねつけられてしまいました。
と云つて、お嬢様は彼方あちら向いて男と一緒に行つた。緋の細工羽二重はぶたへ根掛ねがけの菊が、今迄この人の顔の美しいのを眺めて酔つたやうに立つて居たあたりの人の目に映つた。
御門主 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
溢血点いっけつてんがあるな。」と呟くと、今度は屍体を仰向けにした。すると、股下のあたりから——ちょうどしきいから一寸程下った所に当るのだが——真鍮製しんちゅうせいの手燭が現われた。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ん、そういえば、あのごんごろがね深谷ふかだにのあたりでつくられたのだ。いまでもあのあたりに鐘鋳谷かねいりだにというのこっているちいさいたにがあるが、そこで、たということだ。
ごんごろ鐘 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
僅か四ヵ月位の旅ですけれども殊にインドあたりの熱い所へ行くのだから死なないようにして下さい
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「自分はまだ生涯に三度さんどしか万歳を唱へたことはない。最初は、……二度目は、……三度目は、……」制服を着た大学生は膝のあたりの寒い為に、始終ぶるぶる震へてゐた。
漱石山房の冬 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
これ見馴れ聞き馴るるのあまり、その威をけがすを畏れてなり。近ごろ水兵などが、畏きあたりの御名を呼ばわりて人の頭を打ち、また売婬屋で乱妨らんぼうなどするを見しことあり。
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
全く作り方が同じである処から見ると、この玩具は初め印度あたりから渡ったものらしい。
長椅子ながいすうえよこになったり、そうしてくいしばっているのであるが、それが段々だんだん度重たびかさなればかさなほどたまらなく、ついには咽喉のどあたりまでがむずむずしてるようなかんじがしてた。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
かくすること毎日少しも変わらず、例刻に到り米舂こめつき場のあたり田畑のあぜ琅々ろうろうの声聞うれば、弟玉木文之進(松陰の叔父なり)常に笑って曰く、「ヤアまた兄さんのが始まった」と。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
あれは確か、私が八犬伝の信乃で舞台へ出た時であります——見物席の方をながめますと、何時もとはちがって、平土間の見物席のあたりが神々こうごうしく輝いているように思ったのであります。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
私たちは鐘ヶ淵のさきを墨田堤の尽きるあたりまで行き、荒川放水路にかった堀切橋を渡って堀切の方まで行った。日曜のことなので放水路の堤には三々五々行楽こうらくの人の姿も見えた。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
ここは吾々にはかくれた倉庫である。特に町の街道がやがて終るあたりには、在方ざいかたの人々が寄る荒物屋が一、二軒必ずあるものである。山間や奥地の村々で日常使う品物がとおり揃えてある。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
籔のあたりにはしきりに鳥の声す。月のあかきに彼等の得眠えねぶらぬなるべし。
良夜 (新字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
朧ろ朧ろの月の光も屋根にさえぎられてそこまでは届かず、婆裟ばさとして暗いそのあたりを淡紅色にほのめかせて何やら老人は持っているらしい。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
流れこむ冷気におもてをなでられて、徳川万太郎、ふッと、脇息から顔をあげると、金吾です。が、入口にたたずんで、あたりを見廻しながら
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は支那料理食べるためにのみ本田町あたりへ出かけるが、思う。天華てんかクラブや天仙閣てんせんかくのも支那の、そのかど口から見る家の眺めを私は愛している。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
ひかりびて、ちょうは、いくらか元気げんきてきました。そして、どこかのあたりに、はないてはいないかと、ひらひらとがったのでした。
ちょうと怒濤 (新字新仮名) / 小川未明(著)
が、彼は彼で自分の考えごとに夢中になっていたので、激しい雷鳴が一つガラガラっと来た時、初めて我れに返って、ようやくあたりを見まわした程である。
かもじのあたいも日本の十倍位するのである。首筋のあたりで髪を切つて、そしてたゞちゞらせて垂らした人もあるが、さう云ふ人も床屋へ来て網を掛けさせて居る。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
学校の名もよくは覚えて居ないが、今の高等商業の横あたりにって、僕の入ったのは十二三の頃か知ら。何でも今の中学生などよりは余程よほど小さかった様な気がする。
落第 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)