あと)” の例文
「それにしても、今日は風當りが強すぎやしませんか。額の八の字に、吸口のあとを付けて、一體何がそんなに親分を困らせるんで?」
海にはこの数日来、にわかに水母がえたらしかった。現に僕もおとといの朝、左の肩から上膊じょうはくへかけてずっと針のあとをつけられていた。
海のほとり (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ところが、手燭のあった辺の着衣を調べると、焦痕は愚かやや水平から突出している鉄芯のあとらしいものさえ見出されないのである。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
背筋の虫に螫されたあと、その痒さをめる役目なので、蚊帳の中に入っても直ぐと後へ廻った為、顔を見られずに済んだのであった。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
そうと、外套の袖口と、膝の処が泥だらけになりおれども、顔面には何等苦悶のあとなく、明け放ちたる入りきたる冷風に吹かれおり。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
広びろしたコンクリートの床は掃除がきれいに行きとどいてゐて、血のあとはおろか、足跡ひとつちりつぱ一本落ちてはゐませんでした。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
「先頃の傷はどんなか」と、肌を脱がせて、そのあとを見た。周泰は、大勢の中なのではばかったが、主命のままに肌を脱いで示した。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「またやんちゃんが始まるな、」と哲学者は両手でおとがいを支えて、柔和な顔を仰向あおむけながら、若吉をみつめて剃立そりたてひげあとで廻す。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ソフアの傍には、の鉢植、むかしのままに、ばさと葉をひろげて、乙彦が無心に爪で千切ちぎりとつたあとまで、その葉に残つてゐる。
火の鳥 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
ちょっと沖縄の唐手にも似ています。孫の右頬には一筋大きな切り傷のあとがありますが、やはり喧嘩か何かで受けた創傷なのでしょう。
ボロ家の春秋 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
鼻をつんざく石炭酸の臭いは、室の中に込み上った。障子に浸みた消毒水のあとは、外の暗くなりかかった灰色の空の色をにじませていた。
悪魔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しんとしてさびしい磯の退潮ひきしおあとが日にひかって、小さな波が水際みぎわをもてあそんでいるらしく長いすじ白刃しらはのように光っては消えている。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
まばゆいほど白く、きめのこまかな女の肌に、鞭のあとが赤く幾筋となく印され、中には皮膚が裂けて、血のにじんでいるのが見えた。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
あまりそうでもなかっただろう(後団扇を検したところ八個所のあとがあったというからよほど何回かうちおろしているわけである)
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そしてこのことから、『茂みと河とのあいだには、柵の横木は打ちこわされ、地面にはなにか重い荷物を引きずって行ったあとがあった』
「さあ、あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端のきばを見ると青い煙りが、突き当ってくずれながらに、かすかなあとをまだ板庇いたびさしにからんでいる。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一面に麥畑の眞青な中を白くうね/\として行く平な國道を、圓顏に頬髷ほゝひげつたあとの青々とした車夫くるまやは、風を切つて駈け出した。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
食堂のとなりの客間サロンへはいって見ると、楽譜を取り散らした隅のほうの床の上に、ピアノが置かれてあったあとがはっきりと残っていた。
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
心臓を一えぐりにやられたということであったが、顔には苦悶くもんあともなく、微笑しているのかと思われる程、なごやかな表情をしていた。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかしぎわと云っても額の真中か耳のうしろかどこかにちょっぴりあとが附いたぐらいを根に持って一生相好そうごうが変るほどのすさまじい危害を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
見渡すかぎり蒼茫そうぼうたる青山の共同墓地にりて、わか扇骨木籬かなめがきまだ新らしく、墓標の墨のあと乾きもあえぬ父の墓前にひざまずきぬ。
父の墓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
少なくも、真黒な指のあとをつけている人は、名札の汚れなどという事には全然無関心な人であるというくらいのことは云われそうである。
雑記帳より(Ⅱ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
条痕すじあとの左側には、杖を突いていたと見えて、杖の先の雪輪リングで雪を蹴散らしたあとが二、三間毎についているが、右側には全然ない。
寒の夜晴れ (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
第二には燐寸の赤燐せきりんの表面は新しくて一度もったあとがないのに、その中身を見ると燐寸の数は半分ぐらいになっているのです。
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
細君ははしゃいだ唇に、ヒステレックな淋しいみを浮べた。筋の通った鼻などの上に、まだらになった白粉のあとが、浅井の目に物悲しく映った。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
兄どんの云うのにも、火傷しても火の中へ坐燻つっくばったではねえ、湯気だから段々なおるとよ、少しぐれえ薄くあとが付くべえけれども
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
漢文で、「慷慨こうがい憂憤の士をって狂人と為す、悲しからずや」としてある。墨のあと淋漓りんりとして、死際しにぎわに震えた手で書いたとは見えない。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
仮名書きの美しかりし手跡はあともなく、その人の筆かと疑うまで字はふるい墨はにじみて、涙のあと斑々はんはんとして残れるを見ずや。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
またその死体を検査した医師は、営養欠乏のために死亡したのだといい、しかもその全身にはなまなましい紫斑しはんあとが残っていたと言った。
その後、この廊下には雛僧のこぼした油のあとが、拭うても拭うても生々しく、その油にすべって倒れたほどの人が、やがて死ぬ。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
私は鋸屑おがくずにかわで練っていたのだ。万豊の桐畑から仕入れた材料は、ズイドウ虫や瘤穴こぶあなあとおびただしくて、下彫の穴埋あなうめによほどの手間がかかった。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
かほをあげしときほうなみだあとはみゆれどもさびしげのみをさへせて、わたし其樣そのやう貧乏人びんぼうにんむすめ氣違きちがひはおやゆづりでおりふしおこるのでござります
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
この池の出来損いの異様な金魚を見ることは、失敗のあとを再び見るようなので、復一はほとんどこの古池に近寄らなかった。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しかし新しい社会の意識はこの伝統に昔ながらの権威を認めることを拒む。道元の言葉にもこの伝統に対する反抗のあとは明らかに認められる。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
しかして時々の串または矢は朽廃して湮滅いんめつしやすいから特に土壇を築きそのあとを明らかにし兼ねて境上の祭を営んだことは
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
また山の近くには細かい砂利のあること、殊に北上山地のヘりには所々この泥岩層の間に砂丘のあとらしいものがはさまってゐることなどでした。
イギリス海岸 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
太平洋が月のとび出したあとであるかないかを論じているのを孫悟空がきいたならば、われわれが『西遊記』に驚くように、きっと驚くであろう。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
友人伊波普猷氏は、「おもろ双紙」の中に、短歌様式から琉歌様式に展開したあとを示すものの見えることを教えてくれた。
歌の円寂する時 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
ロミオ このいやしいたふと御堂みだうけがしたをつみとあらば、かほあかうした二人ふたり巡禮じゅんれいこのくちびるめの接觸キッスもって、あらよごしたあとなめらかにきよめませう。
その句の巧妙にして斧鑿ふさくあとを留めず、かつ和歌もしくは檀林、支麦のごとき没趣味の作をなさざるところ、またもってその技倆をうかがうに足る。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
こゝに至りて難波の理想と江戸の理想と、其文学上に現はれたるところを以て断ずれば、各自特種の気禀を備へて、容易に踪跡そうせきし得べきあとを印せり。
徳川氏時代の平民的理想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
窓の下はコールタのげたトタンぶきの平屋根で、二階から捨てる白粉おしろい歯磨はみがきの水のあとばかりか、毎日掃出はきだちりほこりに糸屑いとくずや紙屑もまざっている。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いみどりいろの顔面、相貌そうぼう夜叉やしゃのごとき櫛まきお藤が、左膳のしもとあとをむらさきの斑点ぶちに見せて、変化へんげのようににっこり笑って立っているのだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
落書がある、身をすり寄せたあともみえる、子供達は手をつないで鬼ごっこをしている。また遠慮なくおまじないの札がはりつけてあるのも円柱である。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
イヤ広海さん、この家もなかなか沢山の蠅で、御覧なさい、天井にはあの通り蠅のあとが胡麻塩のようになっています。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
現に石鏃の入りたる儘の土器、小砂利の入りたる儘の土器、繪具ゑのぐを入れたるあと有る土器等の發見されたる事有るなり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
無論一体にきずだらけで処々ところどころ鉛筆の落書のあととどめて、腰張の新聞紙のめくれた蔭から隠した大疵おおきずそっかおを出している。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
も待ず進み出御道理だうりの御尋問せがれ惣内は幼少えうせうの頃私しが毎度きうゑしによりて灸あとこれ有又子供同士の口論にかまきず
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
だが、夜が明けると狐どもは立去り、樹を降りると幹には鋸のあともなく、そこらに牛の肋骨あばらぼねが五、六枚おちてゐた。
春宵戯語 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
動かすがごとしという遍昭へんじょうが歌の生れ変りひじを落書きの墨のあと淋漓りんりたる十露盤そろばんに突いて湯銭を貸本にかすり春水翁しゅんすいおう
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)