もら)” の例文
あんまひどすぎる」と一語ひとことわずかにもらし得たばかり。妻は涙の泉もかれたかだ自分の顔を見て血の気のないくちびるをわなわなとふるわしている。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
重吉とは兄弟交際づきあいの友吉爺さんは自分の家でいっしょについた正月の五升の餅を届けに来て、実枝に向って、そう今昔の感をもらした。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
疲れた人のような五月の空は、時々に薄く眼をあいて夏らしい光をかすかにもらすかと思うと、またすぐにむそうにどんよりと暗くなる。
磯部の若葉 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「藤十郎は、生れながらの色好みじゃが、まだ人の女房と念頃ねんごろした覚えはござらぬわ」と、冷めたい苦笑をもらしながら付け加えた。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
かくても始末は善しと謂ふかと、をぢ打蹙うちひそむべきをひてへたるやうのゑみもらせば、満枝はその言了いひをはせしを喜べるやうに笑ひぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
そして養父から、善く働く作を自分の婿にえらぼうとしているらしい意嚮いこうもらされたときに、彼女は体がすくむほどいやな気持がした。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
も一つは父のいったことばで、ある時、父はしみじみと、幼い私に言うような事でない言葉をもらした。よほど胸につまっていたのであろう。
こんないきもらしながら、大伴氏のふるい習しを守って、どこまでも、宮廷守護の為の武道の伝襲に、努める外はない家持だったのである。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
初めから一冊の書とする予期があつたのなら、少しは読者の興味を刺激するに足る経験や観察を書きもらさずに置いたものを。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
平次は何か考へたことがあるらしく、『御朱印紛失』は誰にももらさぬやうにと嚴重に主人の口留めをした上、素知らぬ顏で土藏から出ました。
それはそれにて可いとして、少時しばらくなりとも下枝を蔵匿かくまいたる旅店の亭主、女の口より言いもらして主人を始めおれまでの悪事を心得おらんも知れず。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あとで入間川検査役がもらした言葉に『言葉道断ですよ』と嘆声を発してゐるを考へても、『呑込のみこみ八百長』はすぐ看破されるに決つてゐるのだ。
呑み込み八百長 (新字旧仮名) / 栗島山之助(著)
私はあまりの不思議さに、何度も感嘆かんたんの声をもらしますと、ミスラ君はやはり微笑したまま、また無造作むぞうさにその花をテエブル掛の上へ落しました。
魔術 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いや人間は賢いものだ、もしよもぎ菖蒲しょうぶの二種の草をせんじてそれで行水ぎょうずいを使ったらどうすると、大切な秘密をもらしてしまったことにもなっている。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
勾玉は彼の胸の上で、青い蜥蜴とかげ刺青ほりものたたいて音を立てた。彼は加わった胸の重みを愛玩するかのように、ひとり微笑をもらしながら玉をでた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
かの女はあきれて眼を見張った。まだ子供子供している青年の可愛気かわいげな顔を見た。青年は伏目になって、しかし、意地強い恥しげな微笑をもらした。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
其れは自分が対象にしてゐる恋人の生温るさには似ない熱意を見せて自分の近づくのを待つ薔薇ではないかと云ふのと同時に作者は溜息をもらした。
註釈与謝野寛全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
私はもうくよくよすることを止め、先程とは打って変って、ニヤニヤと気味の悪いひとり笑いを、もらしさえするのでした。
覆面の舞踏者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
作戦の機密をもらさせまいと努力しているのだというか、とにかく林の如く静かであることが、汎米連邦側にはすこぶる気味のわるいものであった。
地球要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「一詩箋しせん後便までに社中の者どもに書かせ差上げ申す可く候。よろづ後便に申しもらし候。頓首とんしゅ。春道様。四月二十日。藍。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
だから、他人をやり過したあと、そういう受け答えに抜け眼のない自分の性格に満足して、思わず会心の微笑をもらす。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
中には気味の悪い笑をもらして、さもさも、被害者の解剖されるのを喜ぶかのような表情をするものさえありました。
三つの痣 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
斯う言つて多吉は無邪気な笑ひをもらした。それにつれて皆笑つた。危く破れんとした平和は何うやら以前もとに還つた。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
するとちょうど助手の不注意で一枚余分に焼いたのが在ったので、草川巡査は久し振りに満足そうな笑顔をもらした。
巡査辞職 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
たゞ一寸ちよつともらしてくが、このてい百種ひやくしゆ機關きくわん作用さようつかさど動力どうりよくつね蒸氣力じようきりよくでもなく電氣力でんきりよくでもなく、現世紀げんせいきにはいまられざる一種いつしゆ化學的作用くわがくてきさよう
芥川氏はその手紙をけて見た。そしてにやりと皮肉な笑ひをもらしてゐると、丁度そこへ東洋精芸会社の社長某氏の手紙を持つた若い男が訪ねて来た。
前人の詩、多くは一時の感慨をもらし、単純なる悲哀の想を鼓吹するにとどまりしかど、この詩人に至り、始めて、悲哀は一種の系統をて、芸術の荘厳を帯ぶ。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
さて、幽霊船虎丸の甲板の、亡霊のような怪老人は、五ツの屍骸しがいよこたわる中甲板を、血のにおいをぎ、よろよろ歩き廻りながら、不気味な薄笑いをもらした。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
自動車の中でルパンのいったこの言葉を、ボートルレは聞きもらさなかった。ルパンが十日掛ったのなら、ボートルレにもきっと十日で出来ないことはない。
諸君、僕はわが海軍の軍機をもらすようで非常に心苦しいのだが、諸君にだけある重大な秘密をお告げしたい。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
いましめからでも解かれたやうに、一同は急にくつろいで、陽気に、がやがやとしやべり出した。「やれやれ!」といつたやうに大きな吐息をもらすものさへあつた。
野の哄笑 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
いかにも陰謀の一端をもらすという風につかみどころなく、しかも動顛のおおえない調子で報道されていた。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
怒髪は天を衝いたけれども、差当り、その怒気をもらすべき対象物とては、長持と馬とのほかにありません。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
鱒の口がピシヤリと〆ると、武の口が大きく開いて、はいのと痛いので、ワツト一声叫びをもらし升た。
鼻で鱒を釣つた話(実事) (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
おとが、あめあつして代助のみゝに響いた時、彼は蒼白あをしろほゝに微笑をもらしながら、みぎの手をむねてた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
「ああ」と私は詠嘆をもらした。「矢張り沙漠の生活の方がよかった。我に来よや! 蛮人の力よ!」
沙漠の美姫 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
これの事情を以て、下士のはい満腹まんぷく、常に不平なれども、かつてこの不平をもらすべき機会を得ず。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
どうぞ御聞遊してときつとなつて畳に手を突く時、はじめて一トしづく幾層いくその憂きをもらしそめぬ。
十三夜 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
それで私は重要な用件を聞きもらしたり頼まれた用事を皆忘れてしまったりしてしまうのである。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
それから後、お兄様に関することどもは細大もらさず書抜いたり、切抜いたりしてそれが長年の間に大分の量になったのを整理して、『鴎外森林太郎』の一冊を作りました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
誰やらが、樺太のテレベン油は非常な利益になりそうで、始て製造を試みた何某の着眼は実にえらいという評判だと云うと、黙って酒を飲んでいた博士が短い笑声をもらした。
里芋の芽と不動の目 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
自然にしんがりになっていた彼らは、言葉を聞きもらすまいとして耳をそばだて、足を速めた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
政宗は秀吉の男ぶりに感じて之を愛したには相違ないが、帰ってから人に語って、其の底の底までは愛しきらぬところをもらしたことは、尭雄僧都話ぎょうゆうそうずばなしに見えて居るとされている。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そういう言葉をちょっとでももらそうものなら、それが故意であろうと無かろうと、阿Qはたちまち頭じゅうの禿を真赤まっかにして怒り出し、相手を見積って、無口の奴は言い負かし
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
たとえば読者に悲しさを伝えるために、作者が嗚乎ああ溜息ためいきもらしたり、すぐさま悲しいと告白したとする。成程読者はこれを読んで、作者が悲しんでいるなということは納得がゆく。
ひとちをもらしながら、権内は、両わきの帳面と、算盤の珠とを見くらべて
雲霧閻魔帳 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、『新ロマン派』十二月号にも拙作に関する感想をおもらしになったこと、『新潮』一月号掲載の貴作中、一少女に『春服』を携えさせたこと等、あなたの御心づかいを伝えてくれました。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
戸口とぐちからだい一のものは、せてたかい、栗色くりいろひかひげの、始終しゞゆう泣腫なきはらしてゐる發狂はつきやう中風患者ちゆうぶくわんじやあたまさゝへてぢつすわつて、一つところみつめながら、晝夜ちうやかずかなしんで、あたま太息といきもら
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
娘はたちまちその蒼白く美しい顔に、会心かいしんえみもらして、一礼を述べてのちわたしがほんのこころばかりの御礼の品にもと、かねてその娘が死せし際に、そのひつぎに納めたという、その家に古くより伝わった古鏡こきょう
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
かえって嬉しく、よろこばしく感じ乍ら、会心の微笑えみもらすのでした。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)